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観察者からはこれが「夢」にみえる。
いまこの瞬間、今日のあれこれはもう「ない」
感覚としては「ない」
=忘れてる・思い出せないような感覚
これは…
空「ない」に観測者が気づいている…
そのかんじ感覚について
後づけ実況中継している左脳・言語化
、、、ってかんじです。
空「スペース」に
なにも浮かんでいないときには、
その「無」に気づくし、
なにか浮かんでいれば、その「なにか」に気づく。
これ、寝ているときの「夢」も
同じことが起きているんじゃないかなあ。
夢の役割って
「排出・デトックス・情報整理」
というイメージなのだけど、日中このスペースに浮かぶものも「そんなかんじ」がします。スクリーンに流れている情報、それを観ているこちら側・気づきはすっかり脱力していて、ただ観ているだけ…
そのかんじは、まさに「夢」をみているときとおなじ感覚。
、、、と書いていて気付きました。
寝ているときは「自我・自分」がいない or 薄いですよね。
自我の活動が、かなり落ちているのではないだろうか。
夢をみているときというのは、
夢(情報)+それに気づいている気づき+うっすらとした自我。
場合によっては、夢の中で「あ、これ夢だ、、、」と気づいている気づき & その認識・自我があるときもある。
目が覚めているときも「自我・左脳がうしろ/気づき・右脳が前に立っている」と、おなじような感覚がするのかな…と。だから、この世は夢だ、幻想だ、蜃気楼だ、、、、というような表現がでてくるわけなんですね。そこの視点からすると、
本体からの気づき目線では「夢」。
スペースと気づきはなにも変わらず、
スペースに映し出されるものが無常。
空に映し出された映像(対象)ではないのだけど、
対象と一体化することで
「対象として生きている」ような体験
が起きてくる…という不思議…!!!
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