何者にもならんでいい…という気楽さ
禅病ってなにか?
かなり広範囲、、、なのだろうと解釈しています。ざっくり言ってしまうと、こういうことについて気になっている状態全般のこと!だから、きっと、、、あなたもわたしも、みーんな٩( ᐛ )و お仲間です。
なので、シラフ(完全に酒が抜けている状態)というのは、いわゆる十牛図の10枚目
「 フツーーーーの人 」
なんだろうなって、、、いうのが
個人的な十牛図解釈です。
先日書いたkindle本でも、たしか、、、
それっぽい状態が「それ」じゃない
みたいな表現をしていたかとおもうんですけど、
まったく違う表現でもないなって、
いまでもおもってます。
「それがそれなんだ」としちゃうと
オープンシークレット
(おでこの上のメガネ) が起きちゃうよ…って。
「それっぽいそれが、それなんだ」という視点が
それに気づくことを逆に「邪魔」しちゃう
ということがあるんじゃないかなともおもっていて、なので、、、、とても矛盾した表現になっちゃうのですが、
そういう「それっぽい状態」がそれじゃないっていう視点で、いったん、こだわり(先入観)を手放してみたほうが
逆に「そういうこと」も起きやすいんじゃ、、、
という いやらしい話です(笑)
でもでも、同時に、、、
それに気づいている「状態」がそれじゃない
…っていう話もしているわけで、それに気づくと「それも明らかになる」んじゃないかな…とおもったりしてます。
それとこれの違いのなさ、、、です。
悟ってみると「それっぽいそれ」も「それぽくないそれ」もなにも違わないということが明らかになる、、、かの有名なあの方も「悟りはない」っ言っているらしくって、、、
ん、、、じゃあ、、、あれあれ??? となってきます。
じゃあ、そのことに気づくことがそれなんじゃない?
と、探求マインドは考える。。。そんなふうにエンドレスに「いまここにないなにか探求」が続いていくマインド
そうとアタマではわかっていても「知りたい」という気持ちが湧くなら「知りたい」だし、「そうなりたい」という気持ちが湧くなら「そうなりたい」
個人的には、こういうのって、ドラゴンボールなどの「ヒーローものの刷り込み」があるんじゃないかなって妄想したりします。
ヒーロー願望が「なにかになりたがっている」
とはいえ、そうおもう、そうかんじる、
いまあるものに「ウソ」はつけない。
自分にはウソをつけない…って言ったりしますけど、
それはどーしたって「ある」んですよね。
それが「ある」
いまのこれが「ある」
ちゃんと「ある」
この「明らかさ」が
そのまま「それ・これ」
わからないが「ある」
わかったが「ある」
気づいているが「ある」
気づいていないが「ある」
それっぽい状態が「ある」
それっぽくない状態が「ある」
気持ちいい「状態」があれば
「じぶんー思考ー肉体」からしたら喜ばしいこと。
いまみたいな寒い季節ならば、
寒い吹きっさらしにいるよりも、
暖かい部屋やお風呂の中にいるほうが極楽。
でも、そういう、、、
「 状態の違い・状態の変化 」
のことを言っているのだろうか?
たぶん、これも方便でしかないけど、
悟りには、、、2種類あるらしい
・ 非二元(ひとつ)の悟り
・ 二元性(状態)の悟り
「悟っている」と「悟っていない」があって、
「凡人」から「覚者」になるというストーリーがあるとしたなら、、、
それは二元性(ふたつ)
非二元(ひとつ)じゃない。
= 悟りって「ある」ちゃあるけど「ない」
ストーリー(夢)には必ず
「これとそれ」
「スタートとゴール」
「そうであるとそうでない」
これとそれという2つバラバラがあります。
空が「それ」だなんて、言ってない。
色即是空空即是色って
「色」と「空」がある、、、んじゃなくて
色は空であり、空は色である、、、ってことで
バラバラじゃないよ、、、っていっている。
空が「それ」だなんて言ってない。
なんであれ「これ」だよ
とはいえ、、、そうはいったって、、、
生きている限り、、、
この「状態・二元性」っていうのは大事。
なにせ「自分とは状態・ストーリーそのもの」
生きるか死ぬか、、、
それが最重要であるストーリーが展開されている
だから、、、
当たり前の、
なんのへんてつもない
誰でもみんなが気づいている
フツーのこれ、、、では、
「じぶん」が納得しないんです。
なにも変わらないじゃん!
なにも変えてくれないじゃん!
そこになんの価値=変化も見出しようがないとき、
「 これではないなにか 」を求めて、探すことで
「 いまのこれがある 」ってことを見失う。
でも、まさに、探しているのは「これ」
当たり前の、
なんのへんてつもない、
フツーのこれ
誰もが気づいている
特別でもなんでもない「これ」
なのだけど、、、
「ないない=これじゃない」から「ない」
これがそうだなんて気づか「ない」
おでこの上のめがね=オープンシークレット
「じぶんー思考ー肉体」としては
生きなくちゃならないわけで、
痒かったり、お腹がすいたり、
殴られたら痛いんですけど、
何者にもならんでいい…となると
それ以上の「必要以上の負荷・苦しみ」がない
「ゴール」がないから、、、
このまま、そのまま、いま、ある、これ。
必要最低限 こざっぱり
それはそれとして、これはこれとして、
何者にもならんでいい…という、
この「気楽さ」の中で
なにかになったりならなかったりという
(状態・ストーリー)を
楽しめばいいんじゃないか、、、
っておもったりするわけです。
、、、、っていうような話を書いてみているので
よかったらご覧になってみてください。
( 宣伝かよ!!というオチになってしまって恐縮です )