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空(普遍)と共に気づいている右脳意識

右脳優位な日常あるあるは

・ いろいろすぐ忘れる
・ すぐ、フラットになる(単純に忘れちゃう)
・ ずーっと同じことについて考えていない(忘れちゃう)

忘れちゃう…というワード連発なんですけど、

たとえば、、、

誰かにとっての苦しみも、
それが自分個人へ向けられたものでなくとも
「そこで起きている痛み・苦しみ」をキャッチしたり、
共感・共鳴したりもするんですけど、、、

それがパッと「いま」に現れて
スクロールした瞬間、もう消えてしまう。
( 右脳意識のいまここ・あるある )

左脳さんならば、、、ひとひとつに
「ひっかかっていく」かもしれない。
それを長々と(またはネチネチと…)
継続していったりしがちなのですけど、

右脳優位であるときには、、、

それを持ち越していく自動思考が
浮かばない…からなのだとおもう。
結果的にそれは、こざっぱりとした…
テーブルの上が常にスッキリ片付いているような
シンプルなかんじ感覚「いまここ」

無常という原理原則

思考を含めた「なにか」が浮かんで、すぐ消えちゃう

でもこれって、、、

左脳過剰であろうと
右脳優位であろうと
どちらであろうと起きている事実
「 事実は そういうことになっている 」

いまここにあるものがあって、
いまここにないものはない…

よくよくみてみれば、、、

事実って「そう」ですよね


常に移ろって、過ぎ去ったものはなく
いまの最新だけがある、、、

無常という原理原則

なのだけど左脳過剰の場合は、
この事実そのまま
(いま本当に起きている事実)に気づかず

いまここにない記憶や思考、過去未来…
=ストーリーのほうに意識の重心がある

だから、、、

それはもうない・いまここにない
という…事実そのものに気づかない。

空と色の比重の変化

そして、瞬間瞬間、現れては消えていく
「最新のいまここ」と共にあるのが
右脳意識なわけですが

これって、どういうことが起きているか??

先日も 空と色の意識 について話していたんですけど

左脳過剰のときには、
左脳活動(思考の世界、色の世界)に
重き・比重がある状態なわけです

空:色という機能性があって、
右脳優位であることで、

その比重が 色→空 にかわってくる

右脳優位な感覚は、
着地にしている空(普遍)から
色(無常)を眺めているかんじ

でも、これって右脳:左脳を
空:色と言い換えているだけなんですけどね😅

そして、右脳域からは左脳:色に気づけるけれど、
左脳域からは右脳:空には気付けない

(だから、左脳だけが過剰になる。片手落ちになる。)

色は無常なので、どんどん変化していきます。

もう勝手に、自動的に変わっていく。

だから「じぶんが変えよう」としなくてもいいわけです。

勝手に、無努力=自然に移ろう。

その様子に、気づいている右脳域
(なにもする必要がない・しようしようじゃない意識)

なので、忘れちゃう、、、

動画も、こういう記事も、
書いたらもう忘れちゃう、、、
あの記事・動画について…と言われても

「どんなこと、しゃべってました??」

その時々、無常として現れるものを
書いたり、しゃべったり、表現しているだけ…

でも、これは、みんなそう。
そういうことになっている。

でも、いまここにないものを
継続・維持させる思考がないので、
ちょっと体感が変わってくる右脳意識

左脳過剰の場合は
「思考が過ぎ去ったものを
延々と継続させているかんじ」
もう事実そのものは消えていて、
その記憶・思考を生きているかんじ

右脳域は、ないなら、もう「ない」

こざっぱり、シンプル
子供のときの感覚です(まったく難しくない)


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