書いて 忘れて - 過去に自分が書いた記事を忘れても良いと思う理由
過去に自分が書いた記事の内容を覚えているでしょうか。
正直なところ、私は覚えていません。
タイトルを見てようやく思い出すことができます。
日常生活のなかでも、覚えておかなければいけないことがたくさんあります。
それらに押し出される形で、記憶から抜け出してしまうようです。
ただ、忘れてしまうことについてはマイナスにとらえていません。
以下にその理由を書いてみましょう。
①読み返せば思い出せるから
たとえ何を書いたかを忘れてしまったとしても、過去に自分が書いた文章を読み返せば、その時に自分が何を考えていたのかを思い出すことができます。
忘れてもいいように書き残している、ということもできます。
②きっかけがあれば思い出せるから
日々の投稿は、その時に自分自身がおかれている状況によって内容が決まっていきます。
そのため、同じような状況になったときには、それがきっかけとなって、過去に自分が文章化した内容を復元できることがあります。
何か意見を求められたときや、思考の整理が必要なときに、過去に考えを整理し、文章化しておいたストックがあれば、スムーズに必要な回答を言語化していくことができるでしょう。
たとえるならば、数学の定番の問題を事前に練習として解いておけば、その答えや具体的な数値を覚えていなくても、試験でその解法を再現できるようなものです。
日頃から思考を言語化していくということは、思考の言語化が求められる場面に備えて練習問題を解いておくようなものだといえます。
③書いて忘れてスッキリするから
まとまった文章を書き終えたとき、頭の中が空っぽになったような感覚になることがあります。
「今はもう書くことがない」と思えるような状態です。
混雑した頭の中が整理されて、思考がクリアになった状態ともいえるでしょう。
「あれも書きたい」「これも書きたい」
「⚪︎⚪︎について考えている」
……と様々な思考が渦巻いている状態は、アイデア資源が豊富であるという意味では好ましくもありますが、在庫過多な状態はそれはそれで窮屈でもあります。
アイデアを記事に変換するということは、その分だけ頭の中のアイデア倉庫に空きができるということでもあります。
記事を書いて、その内容を忘れている状態というのは、その「空きスペース」を見つめている状態なのかもしれません。
空いたスペースに新たにアイデアを入荷するために、また情報をインプットして思考する……
楽しい新たな一歩の始まりです。
———
リスが埋めたドングリの場所を忘れ、忘れ去られたドングリから芽が出て木に成長する
という話を聞いたことがあります。
記事を作るのは、ドングリを埋めるようなもの。
たとえ忘れてしまったとしても、思わぬ形で木に育っていく可能性はあります。
いつか掘り返せるように蓄えておくのもよし、(リスは意図していなかったとしても)木を育てるつもりで埋めておくもよし。
以上、本日のドングリでした。
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