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不定愁訴の克服が難しい本当の理由

今回は、なぜ、不定愁訴の克服は難しいのか。その理由について自分なりに言語化してみたい。


不定愁訴の定義

ここでいう不定愁訴とは、「基礎疾患がなく」「器質的な異常はない」にも関わらず、日常生活すら送ることが困難なほどに追い詰められる一連の症状を指す。

【不定愁訴に関連する病】
コロナ後遺症、慢性疲労症候群、鬱、パニック障害、適応障害、自律神経失調症、リーキーガット、副腎疲労症候群 など

【不定愁訴の症状】
ブレインフォグ、首・肩・背中の執拗なこり、不眠、脱毛、冷え、イライラ、気分の落ち込み、強烈な倦怠感、希死念慮、むくみ、便秘、めまい、体のだるさ、頭痛、耳鳴り、のぼせ、動悸、腹痛、下痢、ふらつき、しびれ、息切れ など

早速だが、以下の3点が主な理由と考える。

異常が可視化されない

まずは異常が可視化されないという難しさがある。
実際に自身もおよそ30ヶ所近くの医療機関等に足を運んで、MRIやCT、詳細な血液検査等を何度も行ってきたが、そうした検査では何一つエラーが出てこなかった。
これが「問題を解く」という難しさだけでなく、そもそも周囲からその深刻さを理解されないという「無理解」に繋がり、これが患者にとってはとてつもない苦しみとなる。

症状が多彩で、全身に及ぶ

そしてもう一つが、症状の「複雑さ」と「範囲」による問題。

言うなれば、様々なエラーが、身体の広い範囲で、現れるために真の原因を特定することが難しく、それが対処療法的な現状のアプローチにとどまっている要因となっている。

これは問題を解く側(医療従事者たち)の立場で考えれば理解しやすい。つまり、症状が多彩で全身にわたるということは、特定領域のプロフェッショナルではなく、部門を横断した「スーパーマン」的な医療経験やノウハウがなければならない。反対に、早合点して、特定の専門領域ばかりに固執すると、何ら改善点が得られないという状況が続いてしまう。

そして、これは私自身が多くの医師と対話してきた上での肌感覚だが、おそらくこれを外部による観察(=診察、検査など)だけで解決しようと試みるのは、限りなく不可能に近い作業だと思う。

結局は患者が自分自身で「答え」を探し続けるしかない

上記の2つの事情を踏まえると、結局は患者本人が自分で答え探しを続けるしかないということになる。

これは具体的にどういうことかというと、「37.5度の熱がありながら毎日フルマラソンの距離を完走させられる」ほどのキツさである。注意しておきたいのが、この苦しみはたった1日の出来事ではなく、24時間365日続いていくという点である。

寝たきりの状態でありながら眠ることは許されないという限界状況で、周囲の無理解に耐えながら、無いお金を工面し、膨大な情報群の中から自分で情報を取捨選択し、強烈な疲労と不安の中で試行錯誤を繰り返すのみ。
患者に許された道はこれしかない。

おわりに

いかがだっただろうか。
今回は、なぜ、不定愁訴の克服が難しいのか、自分なりに言語化してみた。

3つ目の理由で、患者本人が自分で答え探しを続けるしかない、と突き放す形になったものの、不幸中の幸いとはよくいったもので、この世界には既に同じ体験を乗り越えた本当の意味での「先導者」もいる。そして私もその一人であると強い自負がある。

固定記事では、私が数千万の資産を失いながら、不定愁訴を乗り越えるに至った全ノウハウ(体験)を公開している。また、今後も半永久的により良い情報があれば更新していく予定なので、もし、ご興味があれば是非一度覗いて頂ければと思う。


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