ライターになりたいなんて言えない
もっと何かを書くことがしたいと思った。
#1ヶ月書くチャレンジ に取り組み、1か月半かけて30テーマの文章を書いてきた。
書くチャレンジが終わる頃には、もっと書くことをしてみたい、ライターになってみたい気がしていた。
なってみたい気がする……であり、その時は明確に、ライターになりたいと自信満々に発言できなかった。
その理由はおそらく、まだ決意表明をするだけの経験も学習した結果の知識もないから……など。言い訳だと言われてしまうかもしれない。
できるか分からないことに対して、なりたいとかやりたいとか言う勇気がなかったのだ。
勇気がない。なんというか、度胸がないのか。
でかいことを言ってしまえばいいものの、本心から絶対にできる、やりたい、なる!って思わないと発言ができない。
自分の気持ちに嘘はつけないし、自分にもこれを読んでいる人にも嘘をつきたくない。
どこの誰かも分からない他人が、なにかしてみたいと発言したことで大きく世界が変わる訳でもないのに。
書くことをお仕事にしてみたいってこと。
今は初心者でも副業でも、ライターはなりやすいみたいなことを言われているのをみかける。
みんなが言っているなら、初心者でも挑戦しやすいのだろうなと私も思う。
思うのに、何故かチャレンジができない。
そういうお仕事的なものに応募するとか、お仕事的なライティングを勉強して書いてみるとか、しないと始まらないと分かってはいるのだが……。
やるぞという心が動かないのである。
本当に心から思ったことしかできない、言いたくない、嘘をつきたくないつけないという性格がストッパーみたいになっている。
ゲーーーッ 本当になんなんだ私は。
面倒くさすぎるこの女。自分のことだが嫌になる。
言い訳しないで何かやれ!と焦って怒る自分と、なんかやりたくないんだもんと意地を張る自分。
そういうふたつのものが対立することはよくある。
チャレンジができない心理状態が続いていたが、現実的にやらざるを得ない状況になってきたため、少々ライティングの学習を始めた。
受講しているキャリアスクールの講座で学習。
ライティングの学習のためにと購入して積んでいた本も読み始めた。
古賀史健さんの「取材・執筆・推敲 書く人の教科書」である。
ライターの教科書というコンセプトで書かれた本。おすすめされたので、かつて意欲があった時に購入していた。
この本が届いて驚いた。分厚いのである。
3000円+税だったが、それでも分厚い本だった。今見たら476ページ(本文)もある。
こんな分厚いのか、読む気がなくなってくる。案の定かなり放置されていたのだが。
もうどうしようもないので本を読み始めた。
……驚いた。想像よりも読みやすいじゃないか。
自然にスーッと頭に入ってくる文字、ページが捲りやすい。不思議だった。
まだ81ページまでしか進んでいないのだが、私のわけのわからないモヤモヤしたものが解決しそうな予感がした。
急いでnoteに気持ちを書き殴る。
なんなんだこの人は。
著者の古賀さんという人を私は知らなかった。多分本をあまり読んでいなかったからだ。
私が何となく感じていたことや、知りたかったことを、きっとこの人は全て知っているのだろうと思わせる。まだ81ページしか読んでいないのにね。
この感覚は哲学の本を読んだ時以来だった。
就活生の時、私は新大阪駅の書店で「超訳ニーチェの言葉」という本を購入した。
ニーチェは哲学者だ。私は哲学には詳しくないが、こうやってニーチェの言葉を砕きわかりやすく教えてくれている本は多く出版されている。(と思う。)
ニーチェの言葉を読んだ時は、自己分析をしたり就職先に悩んだりしていた。
悩むとやっぱり哲学に手が伸びるのだ。少なくとも私は。
書店でなんかいい本ないかなとボケーッと歩いている中で、何か目を引くポップを見つけてこれを手に取った。
ニーチェは己、生、心、友、愛などあらゆるものへの思想を語っていた。この本自体は超訳なのだが……。
哲学的思想というのか、表現が分からないが、悩んだり自信がなくなっていた私にはピッタリの言葉が書いてあった。
同時に、こんなこともう知ってたよ!と思った。当時私は20歳を過ぎたくらい。ニーチェが考え抜いたことは、成人するまでに私が考えていたことそのものだと感じた。
張り合いたいわけじゃなくて、子どもの私の積み上げてきた経験や思考一一生きてきた証みたいなものを、ニーチェは言語化してくれたなと。
とにかくハタチそこそこの私にとって、すっごい本に出会っちゃった瞬間だったのだ。
今読んでいる古賀さんの本にも、その出会っちゃったかのような予感がする。
どこか哲学のような匂いがするのは気のせいか。
ライターとしての「技術」だけではなく、「マインド・メンタルケア」の本のような雰囲気も感じる。
全く本の中身に触れずここまで来たのだが、ちょうど私が読んだところのラスト、81ページは凄かった。
ライターに不可欠な心構え。
私の勇気も度胸もないモヤモヤしたやつは、これか。自分を変える勇気。
数行のこの部分で、私はこのnoteを書こうと思った。
古賀さんは本書の冒頭ガイダンスで、「そもそもライターとは、からっぽの存在である。」と言っている。
何の知識も持ち合わせていない。だから取材するのだ。
取材したそれをどう感じたか、どのように心を動かされたかを書くこと。原稿とは「からっぽの自分を満たしてくれたものへの返事」であると。
からっぽになる勇気がなかったのか。
いや、今だって本当は大して中身は入っていなくて、私はただそれを認める勇気がなかったのか?
書籍の「読書体力と自分を変える勇気」という項目の文章。
ここを読んで、この本は本当に今の私のためにあると思った。
ライターは読むことも大事だというところから読書について。座右の書は何かという問い。体力も時間もなくなり、あの頃のように読書ができなくなった。それは「体力」の問題なのだろうか?それは違う、と古賀さんはまたなるほどなぁと思うことを述べていた。
私は今、すっごい本に出会っちゃったかのような予感がしている。
この本を通じて、常識や価値観をひっくり返してしまうのか。新しい自分に生まれ変わるのか。人生を変えてしまうのか。
このままこの本を読んでいったら、私はどうなってしまうのだろう。
新しい自分になるのかもしれないという、期待と不安と、疑う気持ちと。
新大阪駅で出会ったニーチェのように、この古賀さんの本も私のなかでおおきく広がっていくのか。
恐ろしい本に出会ってしまった。だけど楽しみだ。
本をすべて読み終わったとき、私の気持ちはどう変化しているのだろうか。
自信をもって「私はこうなりたい」「やりたい」って言えるのだろうか。
▽古賀史健さんの「取材・執筆・推敲 書く人の教科書」
▽ニーチェの言葉