イカれた親父の相続放棄したときの話

2021年7月下旬。

家に帰ると、オカンがいつものような笑顔ながら、しんみりこう言った。

「あのね、JOY……お父さんが亡くなったんだって」

その日はオカンは休みだった。
昼間に俺と父親の名前宛てで、区役所から郵便を受け取ったそうだ。
住民税を払うように督促状と納付書が届いていた。

「分かった、相続放棄しよう」

俺は詳しく聞く前に、二つ返事で答えた。
それが正しい選択であると分かるくらい、法律を勉強してきた。

相続を放棄して、督促状を無視する以外を選択した場合のヤバさは詳細を聞くまでもなかった。

※注意
本記事は俺の重大な過去に触れる部分となります。


JOY家三代にわたる最後の戦い

イカれたクソ親父のこと

俺は生まれてすぐに親父を離婚で失った。

実は親父のことは、今でも全部は知らない。
写真などの情報が家にはほとんど残っていなかった。

オカンには、なかなか聞けなかった。
他の家族や親戚、知人は教えてくれなかったので、よっぽどの人物なのは薄々気づいていた。

それでも成長する度に少しずつ教えてもらった。
今の俺は、見た目も経歴も親父に似ている。

知識量や頭の回転自体は一流。
高身長でタレ目な食いしん坊。
法律、不動産、金融、会計など様々な分野にプロ級の知識を持つ、一応は経営者だった。

結婚する前から、家を何日も空かせて、仕事だなんだといって、全国各地を転々としていて、まともに連絡がつかなかったという。
弁護士に負けないほどの知識とコミュニケーション能力だったが正しいことのために知識を使わなかった。

俺が生まれた頃から、蒸発気味だった。

名前の候補は和義か大和だったけど

予定より10日早い6月14日に、予想より1kg以上重い3860gで生まれた。ちなみに医者が「医学の予想を上回るな!」とブチ切れていた。

退院してすぐに離婚の準備を始める事態となり、弁護士に会いに行った。

弁護士「離婚を決断してください。お金の方はご両親に助けてもらいましょう。その子を助けるためなら、やむを得ません。」

俺は名前を決めてもらう前から、最低でも親が片方はいない一人っ子の人生になることが決まってしまった。当時は阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件などが起きたばかりで社会全体が暗かった1995年、時代も良くはなかった。
家庭も社会もドン底だった。

オカン「この先どうなるか分からない。

もしこの子が両親を失くすことになっても、どんな世の中になったとしても、安泰な人生を成してほしい。

だから、この子の名前は…!」

オカンは弁護士からの帰り道に、俺の名前をつけた。
本来の候補にしていた和義でも大和でもないが、俺は自分の名前を気に入っている。

その血の運命

母方の祖父母は自営業で、片田舎ではあるものの、町のトップを飾れるくらいに稼いでいた。そこを狙われたのかもしれないが、お金は都合がつきそうだった。

意外にも親父は「離婚に応じてもいいが、JOYは貰っていく」と主張してきたそうだが、祖父母と弁護士の尽力により完封し、完全に退けた。

その後は何の音沙汰もなく、面会もできず、俺は母方の家族の祖父母、叔父、叔母、そしてオカンと6人家族で穏やかに暮らし、現在に至る。


俺が10歳くらいの頃に、離婚の反省と、シングルマザーでも充分な働きができるようにと、オカンは行政書士試験に挑み、あと少しのところで敗れた。
なぜその試験を挑んでいるのかを聞いたのが、自分の親父や出生の話につながった。

生まれた時からの因縁と感じて、法律や士業の世界と向き合うことにした。あえて親父のようなキャリアを歩み、その力を正義のために使おうと思った。

当時は偏差値35ほどのポンコツなクソガキで、資格の違いも業務の内容もよく知らなかったが「まずは法学部に進んで、行政書士試験に挑んでみたい」というのだけは決めていた。

少しずつ実力をつけて進学校・法学部に進み、士業事務所に就職など、法律家や士業らしい「王道」の進路を真っ直ぐに歩み続けた。

紆余曲折はあったし、肝心の法学部生時代にはまともに勉強せず、ほとんどの期間諦めてしまっていたが、25歳で悲願の行政書士を制覇した。
士のつく資格は、その道を歩むすべての人にとって、何よりの栄誉だ。生涯で1つ取れるかどうか、とても険しい道のりだった。

オカンの不合格から15年、離婚から25〜26年。
オカンの無念を晴らし、引き継いだ夢が始まったばかりの頃に法律と向き合う元凶となる親父の死が通知された。

しかも亡くなった日は行政書士試験の合格証が届いた2月のある日だった。

どこか運命を感じずにはいられなかった。
やはり俺は、そういう星の下に生まれているのかな、と思いながらも、相続放棄をして父親との縁を完全に絶ち切るため、最後の戦いに臨んだ。

相続放棄を弁護士に依頼しよう

オカンは、ある程度の話を終えたあと、今までにないほどの強い口調で俺に言った。

「このときが来たら、JOYには絶対に相続放棄をしてもらうつもりでいた。

悪いけど、財産は諦めてほしい。

行政書士に受かるぐらい勉強したJOYなら分かってると思うけど、あの人だけは相続したら危険すぎる。

後からどれほどのことになるか分からないし、なにもないかもしれないけど、相続できる財産分はお母さんが弁償するから。」

俺は切実な願いを全面的に受け入れることにした。
もっとも、反対されても賛成されても、相続放棄するつもりでいたが。

相続放棄の手続きだが、実は自分でもできる。
他の相続人と揉めることも少ないし、相続をする場合の手続きよりは簡単だ。行政書士試験に勝ったことだし、自分でやってみようかなという気持ちはあった。

しかし、相手が相手だった。
一緒に暮らしてきた普通の親父の相続であれば、そもそも相続をしたほうがいいのか、放棄をしたほうがいいのかの判断自体を弁護士と相談するものだが、俺の場合はするまでもなかった。

迂闊に動くと危険な特殊なケースだった。

そこで、少し前に別件でお世話になった弁護士に相続放棄の手続きを依頼することにした。去年、オカンが誹謗中傷を受けたときに、内容証明で慰謝料200万円をブン獲ってくれた埼玉県の弁護士だ。

https://note.com/webjoy0614/n/n93468e6487be

今回の依頼人は俺だが、正直俺にあまり責任は感じなかった。

オカン「悪いのはお母さんだし、これが最後の仕上げだと思えば50万円でも安いくらいだよ。費用はお母さんが出すから、一緒に埼玉まで行ってくんない?」

と言ってくれたので、費用はお言葉に甘えた。
お盆前に弁護士に会いに行くことが決まった。

相続放棄の基本

ここで「相続放棄」という普通に暮らしているとまず聞かない言葉の解説をする。

相続放棄は、最初から相続人ではないものとみなしてもらい、一切の権利を放棄し、相続をしないことだ。
トーナメント表のような家系図から、外れるイメージだ。

人が亡くなる(被相続人)と、相続が始まる。

葬儀を終えて落ち着いた後は、相続人には誰がいるのか、相続される財産はどれほどのものか、遺言書は存在するのか、これらを調査する。

相続人は遺言書があればそれ従う。
なければ全員で合意した遺産分割協議により、遺言書と異なる決め方で遺産を分配することもできる。それでもまとまらなければ、法律で決まった優先順位と割合に従って相続する。

そして相続税の申告や車の名義の変更など細かい手続きを経ていく。

これが相続の基本的な流れだが、ここで相続したくない事情を持っている人がたまに出てくる。

一緒に暮らした普通の親や、単に夫婦間の不仲や性格の不一致で惜しみながら生き別れた親の相続ならともかく、どうしようもない理由で離婚したり、借金まみれのヤバい親の相続をしたいという人は常識的に考えても多くはない。

そこで、民法では相続したくない事情を持つのに相続人になってしまった人を保護するために「相続放棄」という方法を認めている。

相続放棄する人はこんな理由

相続で問題となるのが、相続する財産の内容である。

相続できる財産の範囲とは、

現金や預金、自動車・貴金属、株券、土地建物などの資産や権利というプラスの財産全部

借金や未払いの家賃、様々な契約の当事者(保証人など)としての地位や立場、責任と呼ばれるマイナスの財産全部

損をするような相続することもあるため、相続放棄をした方がいい人もいる。

相続放棄を選ぶ理由は、以下のようなケースだ。

  1. プラス全部を売り払ってもマイナスが残るなど、相続に魅力を感じない。

  2. お金に困窮している他の相続人に優先的に相続させる事情がある。

  3. そもそも、どれほどの財産があるのか複雑で把握できない。

  4. 相続人の数が多い上に不仲で疎遠など、円満迅速な相続が困難。

  5. 相続人が、被相続人の地位や財産を継承したくない事情がある。

住民税の納付書の金額を見る辺り、親父の晩年の年収は精々200万円ほどとしょっぱいものだった。

相続をできたとしても時間がかかる上に微々たるもので、最後に婚姻していた奥さんや異母兄弟たちと協議する手間もある。もちろん連絡先など知らないので、場合によってはお互いに弁護士を立てて長い間、醜い争いをすることもあるだろう。

マイナスの財産を相殺して、残ったプラスの財産だけを相続する「限定承認」という方法もあったが、より安全な「相続放棄」をして最初から相続人にならず、相続という争いの場から早々に手を引くことにした。

相続放棄のメリット

財産を何も得ない代わりに、負債を背負わないので安全が得られる。
相続の争いに巻き込まれず、あらゆる責任や支払いを免れる。

強いて挙げるなら、これだけ。

他の相続人も、債権者も、闇金の取り立ても、弁護士も、全てを撥ね除けることができるのだ。家庭裁判所での「相続放棄の申述」の手続きを終えて、放棄したことが認められると、受理した証書が後から送られてくる。

この証書さえあれば、後から何があっても全面的に守られる立場になる。

相続放棄の注意点

まず、相続をする場合も、放棄する場合も亡くなったことを知った日から、3ヶ月以内に家庭裁判所に必要書類を揃えて、申述しなければならない。

申述してから放棄したと受理され、通知書が来るまでに3ヶ月以上かかっていても問題にならないし、理由があれば延長を求めることもできる。

もちろん、相続放棄を撤回して、やはり相続しますということはできないし、正確な手続きや適切な対応をしなければ、相続放棄を認めて貰えないこともある。


次に、その間に督促状や請求書などが来ても無視していい。たとえ連絡が来ても、相続放棄の申請中なので払いませんと伝えて差し支えない。

というか、督促に応じて支払う(=遺産を使用または消費、被相続人の代理のような行動を取ってしまう)と、相続したものとみなされて、後から放棄したいとなっても、相続人としての立場を取り消すことができなくなってしまう。

「みなす」という状態を覆すことはほぼ不可能なため絶対に財産には手を触れてはならない。もし様々な請求書が届いて、支払いの期限が切れそうになっても相続放棄をするなら無視していい。


そして、自分が相続放棄をした場合は、自分の相続分が他の相続人に渡るし、債権者も支払って貰えなくなるので困らせてしまう。今回の俺にはなかったがプラスマイナス含めて「財産」を他の相続人(異母兄弟など)に押しつけることになるため、そこでトラブルになることもデメリットといえる。

二年連続で弁護士に依頼する親子

お盆前、俺とオカンは埼玉県へ行き、弁護士の先生に会った。

「ご無沙汰してます。
去年の件はあれから、大丈夫でしたか?

お母さんからメールでご相談いただいてから、お父さんのこと調べさせていただきました。随分とまぁ…今まで大変だったでしょう。

私としても、こういった人の財産に関わらないほうが賢明かとは思います。

もし放棄してもトラブルが起きましたら、私が担当させていただきますので、安心してくださいね。」

オカンは、先生の話を一通り聞いて、委任契約などの書類にサインをした後、こう言った。

オカン「先生。この子は両親の離婚がきっかけで、行政書士に合格するところまでやってきたんです…!」

試験難易度も、実務においても、行政書士は弁護士には遠く及ばないかもしれない。合格者というだけでは、ちょっと法律に詳しい人というだけだ。

不遇な生い立ちにも関わらず、真っ直ぐに育ち、王道を歩み続けた。自分が勝てなかった試験に挑み、無念を晴らした。

一人息子が行政書士試験を制する瞬間を心待ちにしていた。普段はとても謙虚なオカンだが、俺を初めて人前で自慢した。

弁護士は「素晴らしい息子さんをお持ちですね」とニッコリ微笑んだ。

手続きも、債権者や他の相続人との対応も、全てを一任した。

決着、新しい人生のはじまり

9月中旬くらいに、家庭裁判所からの証書、弁護士からの依頼料の請求書、親父の戸籍謄本などが弁護士経由で送られてきた。全てを一任したので、俺がやったことはほとんどなかった。

そこで初めて知ったのだが
親父はバツを5個重ねていた。

おそらく異母兄弟は相当の人数がいたと思うが、結局どれほどの人数がいて、それぞれがどのような相続をしたかまでは分からなかった。
遺産がどれほどあるのかは、あえて調べてもらわないことにした。

相続できる財産があれば弁償すると言っていたオカンには、結局財産の弁償はしてもらわなかった。
6万円の弁護士報酬と、2万円の交通費、帰りに食べた1万円弱の焼肉代だけを負担してもらった。

何はともあれ、26年間の戦いに決着がついた。
親子三代に渡る戦いが終わった。

実は少しだけ覚悟していた。
いつか親父と対峙する日が来るかもしれないと。
その心配さえもなくなり、大きな肩の荷が取れた。

そこで思った。

「改めて、今でも俺は法律家になりたいのか?」

実は数ヶ月前に、大本命だった大手事務所の採用試験に落ちた。
他の事務所はどこもろくでもない求人内容だし、面接での態度も悪かった。独立開業にも興味がなかった。腐れ外道なワンマン・パワハラ・意識高い系の昭和の空気漂う士業の世界に、そもそも嫌気が差していた。

社労士、FP1級、司法書士などを取って多重ライセンスを目指す気力も残っていなかった。というか、特別熱い執念を燃やしていながら、行政書士試験ひとつ勝つのでこれだけ苦労した自分には、さらに難しい社労士や司法書士はもちろん、行政書士の実務の勉強についていけるかも怪しかった。

目指す理由も価値も感じなくなってきた。
正直、その事務所に入れなくなった以上は、他の道に進んだほうが楽で幸せかもと感じていた。
いわゆる燃え尽きたというやつだ。

引退するには、ちょうどいい機会だ。
どうする?

相続放棄から3年後の2024年。

俺「お母さん、これが俺の行政書士バッジたよ。」

母「おめでとう、泰成。たいせいならできるよ。」

俺は行政書士になった。
コスモスが描かれた金バッジに出会った。

俺は、子どもの頃からの夢や宿命と、もう少し向き合い続けてみることにした。

おわり

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