誰かの〝言葉〟で傷ついたときは
皆さんこんばんは!shioriです。
今日もお疲れ様です。
普段、この時間(22時過ぎ)は布団に入りますが
タイトルの内容を書きたくなって書いています。
(結局まとまらず、翌日に書いています笑)
皆さんは誰かの言葉に左右されることはありますか?
私自身、以前は本当に左右されまくりで。
他人の言葉に敏感になって
ちょっとした一言がずっと引っ掛かり
引きずったあげく、その人を嫌いになる。
ですが、アーユルヴェーダを知り
ヨガ哲学も同時に深めていくことで
捉え方が変わりました。
とっても楽です。
すべては自分に返ってくるから
誰かの悪口を言うこともありません。
それでもまだ、人の言葉が
グサッとくることが正直あります。
「なんでそんなこと言うの?」
「なんでそんなにきつい言い方するの?」
悲しくなったり、辛くなったり
不安になったり、その人を避けたくなったり。
そんなとき、哲学を思い出すのです。
物事は〝目に見えないもの〟が
〝見えるもの〟を作り出している。
例えば、怒ったとき。
怒りという感情(目に見えないもの)が
表情(目に見えるもの)として現れるように。
つまり、誰かの〝言葉〟〝表情〟〝態度〟で
左右されるということは
『目に見えている』部分に着目しています。
じゃあ、『目に見えていない』部分は?
その人の〝心〟
「その人はどんな気持ちで、この言葉を言ったんだろう」
言葉だけ切り取ると
「なんだよ!」って思うことも
その人の〝心〟を知ろうとすると
「なんか意図があるんだろうな〜」って思えて
振り回されなくなります。
一歳の娘から学んだこと
娘はコップを私の顔に叩きつけました。
私は、叩きつけられたという〝行動〟に着目し
「痛いのやめて」と注意すると
とってもお怒りに。
「なんでそんなに怒るんだろ」
「何がしたかったんだろう?」
「叩こうとしたんじゃなくて、他の意図があったのかな?」
と、娘の思いを知ろうとしました。
「もしかしたら、私にお茶を飲ませようとしてくれたのかな?」と思い
娘の持っているコップを私の顔に近づけ
「ゴクゴク」と飲んでいるふりをすると
娘は大喜び!
何度も繰り返し
私にお茶を飲ませようとしてくれました。
本当にお茶を飲ませようとしてくれたのかは
わかりません。
私の思い違いかもしれない。
始めは、私にむかついて
コップで顔を叩いたのかもしれない。
その答えは娘にしかわからない。
いつも気をつけていることは
〝娘はこう思っているに違いない!!〟
と決めつけないようにすること。
ただ、娘のとった〝言動〟にとらわれず
目に見えない〝心〟〝思い〟〝背景〟に
目を向けるようにする。
それだけで、怒りはスッとなくなります。
といいつつも、自分が整えられていないときは
ギャーーーーってなりますけどね。笑
子どもと過ごす生活は
いかに自分を整えておくことが大事か
痛感します。←結局ここ
完璧でないが十分である。
私の師匠がよくおっしゃるお言葉。
今日もみなさま、過ごしてるだけで十分。
気負わず自然の流れに身を任せて過ごしましょ☺️
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