OMG!
皆さん、こんにちは。無神論者の木賃ふくよし(芸名)です。
まあ、無神論者と言うより、無信心者って言う方が正しいとは思いますが。ええ。
実際、神様はいないと思ってるし、いても信じないと言うより、眼前にいたところで、奉る事はしない訳ですよ。
無論のこと、神の奇跡でワタクシを裕福にしてくれたら、崇め奉りまくりますけれども。
要するに、信心がないのである。神様がいようといまいと、何でそれを崇めなきゃならんのだ? と思ってる訳で。
しかし、ワタクシは神の存在を否定している訳ではない。
例えば、宇宙は無から誕生したと言われてるが、だとしたら、
(´・Д・)」 質量保存の法則
狂ってる事にならねえか?
と思う訳である。エネルギーがゼロから生まれる筈はないし、宇宙が広がるはずもないのだ。
つまり、逆説的に考えると、「無」とは「ゼロ」ではなく、膨大なエネルギーなのではないかと考える訳です。
すなわち「無」という存在がそもそも莫大なエネルギーで、それは膨らみ切った風船のような状態だったとする。それが弾けたのがビッグバンであり、無というエネルギーが色々なモノを生んでいったのではないか。
そう考えると、最初にあった莫大な「無」というエネルギーこそが万物の父、「神」なのではないか。
そして、生物が遺伝子の命令に従って、生命の方向性を定めていく事こそが、
(´°Д°)」 神の意志
なんじゃないかと。
そう思うのである。
はい。そんな訳で本日はタイトルに書いてありますように、
Oh, My God!
ってインド映画のお話でもしてみようかと思います。
先日観た映画で、ブッダの生まれたインドにて「神を否定する男」のお話。
「RRR」や「バーフリ」「ロボット」のような派手さを期待すると、おそらく肩透かしを食らう。
「ムトゥ 踊るマハラジャ」的な面白さや、「オーム・シャンティ・オーム」的なダンスや衣装を期待しても、期待ハズレだろう。
かと言って、「ボンベイ」ほどシリアスで心に訴えかける内容でもない。
こう書くとつまらなさそうだが、これがなかなかどうして結構面白いのだ。
物語は、1人の無神論者から始まる。
そりゃ、インドにも無神論者はいるだろうが、彼の場合は度が過ぎた。宗教行事の邪魔をしてしまったのだ。宗教者は言った。「天罰が下る」と。
その時、地震が起き、彼の店だけが倒壊するという目に遭う。
彼は保険会社に掛け合うが、「天災は保証適応外だ」と突っぱねられる。
そこで彼は「こんな目に遭わせた神が悪い」と、神様を相手に訴訟を起こすのだ。
これが日本なら、ただの馬鹿な行為と見做されるだろうが、敬虔な宗教者の多いインドでは話が違う。彼は宗教者から命を狙われる羽目になり、、、
ってな感じの内容である。
ぶっちゃけ、
宗教観念の薄い日本ではピンと来ない作品かも知れない。
しかし、これがインドで制作された事に大きな意義がある。下手すりゃ、暴動が起きたり、映画館が焼かれたりしかねないのだ。
それも、ヒンドゥーだけでなく、ムスリムやクリスチャンも批判する内容なので、割と本気で危険だったと思われる。
内容だけを切り取ると説教くさい映画かと思われそうだが、むしろ軽いコメディ調ですんなり観られる構造。正直言って、話の筋が見え始める最初の40分ぐらいが退屈なのだが、そこを超えると面白くなる。
まあ、作中に「神様」をうまく登場させる事で、映画が神を否定していないと理解させるやり方も上手だし、神を否定する内容と見せかけて、
(´・Д・)」 宗教の
在り方を問う映画。
なので、どれだけ映画の内容にムカついても、この映画を批判したら、批判した方が批判されるトラップになっており、なかなか感心させられる。
そして、ワタクシがこの映画で最も感心したのは、
(´・Д・)」 神は
万物の父ではなく
万物の友なのだ。
と言うくだり。これは非常に良かった。
ハッキリ言えば、誰にでも無茶苦茶オススメしちゃうような映画ではないが、地味〜に、実に地味〜に良かった映画だと思う。
さて。ここでようやく本日の本題に入ろう。
先日のDJ SODAなる芸能人が、ライブ会場で観客に身体を触られる、という事件があり、「こんな事は初めてだ、痴漢大国日本!」ってな流れに発展した。
その事件に関しての雑感はこちらに記した通りだ。
この後、加害者と見られるyoutuberが、何故か人気youtuberの元に出頭してきたり、
SODAの過去の映像にて、別の国で触られてるのが発見されたり、何故か、警備会社や保険会社ではなく直接加害者を訴えたり、
更には何故か過去の性被害事件を告白したり、
周囲は何故かDJイベントに最も縁遠そうなオタクを叩き始めたり、と地獄の様相を見せている。正直言って、
(´・Д・)」 どうでもええわ。
ってのが本音なのだが、ワタクシはこの事件を2度も記事に取り上げるには、心の底で引っかかっている部分があったからである。
前回の記事で、相手が男であろうと女であろうと、どんな服を着ていようと、有名人であろうとなかろうと、
(´・Д・)」 相手の許可もなしに
身体に触れるのは犯罪である。
と書いた。書いたし、その考えが特に間違っているとは思わない。思わないが、
(´・Д・)」 ワタクシ、
正直に告白すると、
(´°Д°)」 格闘家や
プロレスラーには
触ってるのである。
そこに性的な気持ちは一切ないが、試合会場で、花道を通る格闘家やプロレスラーには何度も触っている。
無邪気な子供時代はともかくとして、大人になってからは確実に、ディック・フライと成瀬昌由には触ってる記憶があるので間違いない。(ヴォルク・ハンとも握手した。話がリングスの選手に偏ってるのは、たまたま花道近くの席を取れたのがリングスが多かっただけ)
(´・Д・)」 ミュージシャンでは大槻ケンヂに触ってる。
そう。自分の基準で言えば、これは言わば犯罪告白であり、許される事ではない。
しかし、何と言うか、そこに罪の意識はない。ないのである。
そもそもプロレスにおける花道はファンが触れる距離だったりするし、レスラーもそれに応える形で手を伸ばしてくれたりもするし。
では一体、何が良くて、何が良くないのかを色々考えて、ようやく答えにたどり着いた。
ファンにとって、格闘家やアーティストは、
(´・Д・)」 御神体なのよ。
ワタクシは信心がないので、この答えにはなかなかたどり着けなかったが、要するに、
(´・Д・)」 地蔵の頭を
撫でるとご利益がある。
(´・Д・)」 ビリケンさんの
足を掻くとご利益がある。
そーゆー類の行為なのよね。
まさに生きた御神体。憧れのアーティストに触れた、というだけで幸せな気持ちになる。それはまさにご利益に他ならない。
だから、ワタクシは思ったのだ。
レスラーやアーティストが自らファンの群衆に近づくのは、
(´・Д・)」 ご利益を与えに
御降臨されているのだと。
格闘家であれ、ミュージシャンであれ、街中で突然触ったら、それは犯罪的行為である。ライブ会場でも、警備員を押し退けてステージに上がったら摘み出される。
しかし、群衆渦巻くステージ前に来るとか、花道を通る時は、それが許される、
(´°Д°)」 特別御開帳。
なのではないかと思うのである。
触れられるのが嫌な人は、御開帳でも「拝観のみ」にすればいい。そーゆー事ではなかろうか。
と、自分の考えから矛盾を排除、つまり正当化するために考えてみたのだが、如何なものだろうか。
(´・Д・)」 まあ、この日本には、
目の前にいても、声すら掛けずに見守るのみ、という、
(´・Д・)」 宝塚歌劇団
って例外が存在するけどナ。
ここから先は
¥ 100
(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。