川俣正『アートレス』と『創造性は・・・』第五章の読書ノート
五章の会が終わった。次の会は二週間先である。
時間に余裕があるので、主催のT先生が参考に上げた、川俣正『アートレス:マイノリティとしての現代美術』を眺めながら、この読書ノートをまとめている。
アートレスとは一言で言うと、括弧付の“アート/アーティスト”と距離をとることであり、“日常/普通の人”のことである。
こういうことを読むと「モノクロ写真でストリートスナップ」というメディア?スタイル?出力?としての芸術への強力な親和性が本当に感じられる。
中平卓馬も、写真が持つ作品化の力、を嫌っていたと記憶するが、トラウマ構造を脱色するには、これほどいいものはないのではないか?と保坂は思う。
ああ中平は、暗室、という非民主的なエリート的な空間をきらっていたのかな?
ホッブスがボイルを、実験室、と言う空間を批判したように。
中俣正がアートレスを提唱するように。
五章は、郡司ペギオ幸夫さんの実際の製作過程、展示、感想の当事者研究である。
全頁、ライン引きを拒否するほど全てが大事に思える。
人に何かを伝える時に結論やエッセンスではなく、方法やプロセスから語ることを選ぶことがある。
そういうときに大抵の保坂は傾聴モードになってしまうのだが、この本を読んでから方法やプロセスが面白くなった。
・以前と以後が同時に成立する「日常」の場でありながら、両親の不在によって、以前と以後を基礎づける意味が失われた場所――実家、p134
・実家に残された、通常の意味での遺品――生前(死の以前)と死後(死の以後)とを共立させるもの――の意味を脱色する。生前と死後の共立は、すでにして肯定的矛盾を成立させている。ここに脱色によって、否定的矛盾さえ共立させるとき、トラウマ構造が形成され、芸術的感興、芸術的理解が「やってくる」だろうというわけだ。p134
・したがって、遺品を脱色する方法として「私が虫となり、虫でも人でもない痕跡を残すこと」、これが採用されることになったのである。#場所を決める。肯定的矛盾と否定的矛盾を見出す。矛盾の強度を脱色する。この章の読みどころは、何種類かある脱色の方法である。
・私は人であるので、私が虫になるといっても、完全な虫になりきれるはずもない。だから、私は「ひとであり、かつ虫である」ものとなる。ここに、人と虫という共立不可能なものが共立する、肯定的矛盾が形成される。その上で、「人でも虫でもない」ものが作る痕跡を残すのであるから、ここに人と虫の否定的矛盾が形成されることになる。だから、肯定的矛盾と否定的矛盾の共立によって、トラウマ構造が形成される。p135
#ストリートスナッパーは傍観者であり、なおかつストリートそのものである。ストリートは全てが等価でありつつも、被写体は特別である。
・その痕跡は、人でも虫でも無いものによる痕跡である。そういうものを作らなければ。人と虫の強度は脱色されない。p147-p148
・痕跡とは、「そうであった」ことが遡及的に推察されるものだ。何がその痕跡を残したのか、「わたし」は知らないものの、原理的にその痕跡を残したものは存在している。それが痕跡の前提になっている。マンモスが残した足跡は、「マンモスの足が地面を踏んだ」という事実を絶対的な真としながら、しかし過去のことであるから、「わたし」はそこに漸近するだけで、原理的に知ることができない。痕跡においては、絶対的な真が、認識可能な世界の向こう側に隠されていることになる。p148
#ロラン・バルト「それは、かつて、あった」=写真のノエマ。
・対して、私がここで作ろうとする痕跡は、過去を持たないのであるから、そのような絶対的な真をもたない。p148
・つまりそれは、純粋な「痕跡」だ。p149
・デジャブとは初めての場所で「ここに来たことがある」と感じる体験のことだ。p149
・過去によって根拠づけられない記憶、という意味で、純粋な「記憶」なのである。p149
・純粋な「痕跡」も同じことだ。それは過去を持たない記憶の実体である。過去を持たずに現存する実体、それは、人と虫の肯定的矛盾と否定的矛盾を共立させる形において、外部を召喚するものであり、決して閉じていないものである。過去を持たず現在においてのみ存在し、外部を召喚しつづける存在、つまりそれは、もはや生き物の痕跡ではなく、生き物それ自体ではないか、と思われるのだ。p149-150
・この全体の光景を、私はひとり写真に収めた。私において、一個の全体が完結し、「作品化」した瞬間であった。p150
#生き物それ自体ではないかと思う≒外部を召喚した作品化≒脱色
中平卓馬と森山大道「記録/記憶/擦過」。
・こうして存在は、生成なのだと転回されることになる。p167
#この下りは、制作や展示によって「やってくきた」ものなのだが、非常に当たり前に読んでしまったので割愛。
いろいろな作家の“脱色”の方法論に興味がでている。
だからこそ「アートレス」を眺めている。
方法論としては、反復、ズーミング(よる・離れる)、モノクロ化が考えられる。
だから写真はいいと思うのだ。
どっとはらい。
2023/11/20 10:46