【緊急寄稿】ロシア・ウクライナ侵攻からの気づき(7)―台湾を”第二のウクライナ”としないための教訓(柳澤協二氏)
(1)長期化する戦争
5月9日の対独戦勝記念日に劇的な変化はありませんでした。マリウポリは陥落しましたが、戦争は長期化しています。心配なことは、ウクライナへの武器供給で戦力が拮抗し、戦争の目標が侵攻兵力の撃退、すなわちロシア侵攻前の現状回復ではなくなりつつあることです。西側諸国はロシアの弱体化を目指し、ウクライナはクリミア奪還を目標にしています。それは、かつて武力で奪われた領土を取り返すという意味で”侵略”とは言えないにしても、ウクライナが攻撃側に回ることです。少なくとも、”英雄的な抵抗”であった戦争から、双方が武力で現状の変更を目指す”普通の戦争”に変わってきている気がします。ロシア、ウクライナとも、戦争を、数週間ではなく数か月と見積もっているようです。
ロシアは、制裁で確実に弱体化しますが、制裁する側も、冬までエネルギー供給が持つかどうかが試され、世界の穀倉であるロシア・ウクライナからの小麦の供給がなくなって、食糧危機が予測されています。制裁の我慢比べも、数か月、おそらく、年を越して続くでしょう。ロシアに勝利への期待がある限り核を使うことはないと思いますが、世界中で命が失われ続けることになる。それが勝利の代償です。そんな勝利を祝う気にはなれません。
(2)3つの危機と3つの教訓
2月24日の戦闘以来、この戦争が世界に示した3つの危機と教訓をここで総括したいと思います。
<3つの危機>
① ロシアの侵攻は、明白な国連憲章違反であり、国連安保理常任理事国の優越的立場を前提とした戦後国際秩序を崩壊させています。
②プーチンが言及する核使用の脅しは、核廃絶に向けて積み上げてきた国際的な努力への挑戦であり、核不拡散体制を揺るがしています。
③ロシア軍による戦争犯罪は、第2次大戦後に形成されてきた国際人道法による戦争規制に逆行しています。
<3つの教訓>
①戦争で目的を達成することはできない
国際世論の反発のなかでロシアは孤立を深めています。西側諸国の支援と制裁で、ウクライナの抵抗が続き、ロシアの基礎的な国力が侵食されています。
この戦争の最大の教訓は、いかなる大国も、戦争で目的を達成することはできず、かえって大国の衰退をもたらすという厳粛な事実だと思います。ベトナム戦争、ロシアと米国それぞれのアフガニスタン侵攻、イラク戦争も、ことごとく失敗しました。それぞれ、金・ドルの兌換廃止、ソ連の崩壊、対テロ戦争からの撤退など、大国の地位を揺るがす結果となりました。戦争を楽観することは、大国の体質的な弱点かもしれません。もう、いいかげんに目を覚ましてほしいと思います。
②戦争は、始まる前に止めなければならない
戦争では、報復の連鎖が起こります。双方の戦争継続の意思と手段がある限り、戦争は終わらない。それと比べれば、戦争を避ける努力の方が容易かもしれません。
戦争における暴力の連鎖が妥協を困難にします。戦争は、始まる前に回避しなければならないのです。そこでは、不本意な妥協も必要ですが、その痛みは、戦争で失われる人命の痛みよりも常に軽い。妥協を探る外交こそ政治の最大の使命です。
戦争は相手の打倒、外交は相互の妥協です。日露戦争の講和をまとめた小村寿太郎が”賠償金をとれなかった”という理由で世論に叩かれ、国際連盟から脱退した松岡洋右が世論から喝さいを浴びた歴史があります。私は、政治や外交を志す人なら、どちらを模範とするのかを自問してほしいと思います。
③ 外交なしに平和はない
ロシアの侵攻を止められなかった直接の理由は、米国が軍事介入を否定していたことです。一方、米国が軍事介入を表明し、軍を展開していたら、ロシアがそれを差し迫った脅威ととらえ、かえって戦争を誘発した可能性もある。そして、米ロの戦争が世界規模の戦争に発展する危険があったことは否定できません。
大国間戦争は、戦略核の応酬による相互確証破壊によって抑止されてきました。それは、世界戦争を回避する理性が前提でした。大国間戦争を避けようとして中小国への戦争を防げなかったのが今回の戦争です。世界戦争を避ける理性が小さな戦争を招くとしたら、その理性が邪魔なのでしょうか。抑止の理屈から言えばそうなるのですが、そんな理屈はおかしい。つまり、抑止とは違う手法で戦争回避の道筋を見出さなければならない。これが三つ目の教訓です。
米国は、ロシアが長年にわたって表明していたNATO拡大に対する不満に対処してこなかった。それは、ロシアの戦争を正当化する理由にはなりません。しかし、ロシアの安全保障上の不安、あるいは大国でありたいという願望を軽視せず、適切に対処していれば、戦争の意思を封じ込める可能性はあった。その外交をしてこなかったことは、反省すべきだと思います。外交で戦争を防げるとは言いませんが、外交なしに戦争を防ぐことはできないのです。
また、戦争が終わっても、相互に脅威を感じないようになり、領土など歴史的な紛争要因を棚上げすることで合意しなければ、次の戦争の火種が残ります。平和にとって重要なことは、勝敗ではなく信頼の回復です。
(3)国際世論の可能性
明るい兆しがあるとすれば、安保理が機能不全に陥るなかで、国連総会が動いていることです。ロシア非難決議が圧倒的多数で可決され、常任理事国に対して拒否権行使の説明を求める決議がコンセンサスで成立しています。イラン・キューバなど、反米とされる国もロシアの行為を支持できなかった。他方、国連人権理事会におけるロシアの資格停止決議では、反対・棄権が増加しました。
国際世論は、武力行使に反対し、拒否権を使った大国の横暴に歯止めをかける点では一致しています。一方、人権や専制主義といった価値観による世界の分断を危惧しています。
国連総会の活性化は、国連と国際世論による戦争規制の新たな可能性を予感させます。国連も、まだ捨てたものではない。戦争行為の停止、大量破壊兵器使用の禁止、さらに、シリア、イエメンなど大国が介入する内戦に対しても、国連総会を通じた国際世論の積極的な発信が期待できると思います。
国際世論は、戦争の正当性を奪い、戦争の政治的代償を高めて、次の戦争を躊躇させる効果がある。米中・米ロの大国間対立が顕著になるなかで、地球温暖化、感染症、飢餓や人道危機といった課題が一向に解決されない現状があります。これらは、本当に喫緊の課題だと思いますが、専制主義対民主主義といったイデオロギーを軸にした大国外交で解決できないことは明らかです。ここに、日本のようなミドル・パワーの国が大国の利害と距離を置いて、国際社会をリードする余地があります。
戦争を止めるために、日本にできることはほとんどないのですが、日本が中小国の世論を結集することで、より良い世界を実現することはできると思います。
(4)ウクライナと台湾
日本では、”米国との同盟関係にないからロシアの侵略を抑止できなかった”として、米国との同盟関係を重視する認識が一般的です。しかし、比較すべきはウクライナと日本ではなく、台湾です。
ウクライナは、NATOに加盟していません。台湾については、米国との同盟関係にないだけでなく、国家として承認されていません。問題は、同盟関係にあるかどうかではなく、米国の防衛意思があるかないか、なのです。
米国は、台湾について軍事的介入を否定しない”曖昧戦略”をとっています。介入の意思を明確にすれば中国との関係を決定的に悪化させ、抑止を破綻させるおそれがあり、自らの判断の自由が奪われるからです。それでも、米国が軍事的に対応することには信憑性がありました。ウクライナ戦争が突き付けた問題は、核を保有する大国との戦争が世界戦争に発展するおそれがあるために米国が慎重にならざるを得なかったことでした。その論理は、中国・台湾にも当てはまります。
中国の立場から見れば、米国と対抗するうえでの政治的・軍事的盟友であるロシアが戦争の長期化と制裁によって弱体化することは避けたい。一方、国際世論の反発のなかで、ロシアへの明確な支持の表明や、直接の軍事的支援には慎重な姿勢をとっています。また、一国を武力で支配することの難しさを、あらためて認識したでしょう。
中国はロシアと違って、経済的にも軍事的にもその規模を拡大しています。それが、米国と対抗する力の源泉でもあります。中国には時間があるので、ただちにロシアのような暴挙に出ることは考えにくいのです。この時間を生かすことが、台湾を第2のウクライナにしないために必要です。それは、抑止力強化の時間であると同時に、外交の時間でもあります。抑止だけでは、相手の力に合わせて力を増強する無限の軍拡競争になることが目に見えています。相手は、核大国を目指す中国です。
戦争の動機の面で言えば、対立の焦点は、台湾の独立を容認するかどうかの一点です。中国が武力を使ってもこれを阻止したいのに対し、米国が武力を使ってでも台湾を防衛する、という対立です。一方、台湾自身は、中国と一つになりたくはないが、戦争してまで強引に独立しようとは思っていません。そうであるなら、米・中・台三者の思惑は、そんなに大きく違っているわけでもない。にもかかわらず緊張が高まるのは、台湾が独立を目指し、米国がそれを後押しするのではないか、中国は、いずれ武力を使って台湾を支配するのではないか、という相互の不信感があるからです。
それなら、”台湾は独立しない・米国は台湾が独立しても承認しない・中国も武力を使わない”という合意をすれば、戦争の動機は生まれないはずです。台湾有事で一番影響を受ける日本が、そういう打診をしてもいい。なぜその発想が出てこないのか、不思議でなりません。
欧州ではNATO諸国の結束が高まり、新たにNATOやEUに加入する動きが出ています。一方アジアでは、反ロシアの結束はおろか、反中国で結束することもありません。QUAD構想の中核であるインドも、対ロシア制裁には同調していません。かねてからアジア諸国にあった”米中の二者択一”を受け容れないという認識は、一向に変化が見られません。
東西対立をアジアに投影させるようなロシア排除・中国包囲の外交姿勢では、日本も米国も、アジア諸国をまとめることはできないでしょう。
中国の今の目標は、習近平国家主席の3期目を決める10月の党大会を無事に乗り切ることです。ちょうどそのころ、ウクライナ戦争の終わりも見えていることでしょう。戦後に向けた中国外交の活発化も予想されます。米国は、欧州から東アジアに、再び外交の焦点を戻してきます。日本では、敵基地攻撃を含む安全保障戦略の見直しが佳境を迎えている頃です。また、制裁に伴う世界経済の混乱が進んでいるかもしれません。そろそろ、戦争後に向けて、冷静な精神状況を取り戻さなければいけません。
(5)熱い心と冷めた頭をもって
日本には、ウクライナの人々を支援したいという熱い思いがあります。同時に、悲惨な戦争被害の情報を見ると、戦争になってはいけないという思いもあります。戦争は感情を高ぶらせますが、戦争を防ぐためには、感情や願望に任せた”勇ましい言葉”ではなく、”冷静な思考”が必要です。
ウクライナでは、国民が武器を持って戦い、軍を支援し、ロシア軍に抗議しています。命を落とした国民も多い。国防の本質は、”国民の命を守る”ことではなく、”国民が命懸けで国を守る”ことだと気づかされました。
日本の政界では、敵基地攻撃や憲法改正の議論が出ています。敵基地攻撃すれば1発のミサイルも飛んでこないのであれば、それは、国民の命を守る最善の方法です。しかし、敵も反撃してくるのだから、ミサイルの撃ち合いになる。その状況で、すべての国民の命を守ることは、不可能です。国民の命を守るための最善の道は、戦争しないことです。
政治が勇ましい議論をしても、多くの国民は、武器を持って戦いたいと考えているわけではありません。いざというときには、安全な地域に避難したいと考えています。国民は、冷静だと思います。自分と家族の身の安全を真っ先に考えることは、卑怯でも臆病でもない。地震や津波でも、それが求められています。なぜ、戦争ではそれがいけないことなのだろうか。
大切なことは、国民が何を守りたいと考えるかです。自分、家族は当然として、職場・地域・サークルの仲間・自分の街・・・と広がった先に、国家があるのかどうかということです。人は、自分を抱擁し、守ってくれるものを守ろうとするのだと思います。そういう信頼関係が国家と国民の間にないことが、日本の国防を不安にする最大の要因ではないか。そんなことを考えながら、これから、ウクライナ問題を一旦離れて、日本の安全保障問題を語っていきたいと思います。
【執筆者紹介】
柳澤協二(やなぎさわ・きょうじ)
東京大学法学部卒。防衛庁(当時)に入庁し、運用局長、防衛研究所所長などを経て、2004年から09年まで内閣官房副長官補(安全保障・危機管理担当)。現在、国際地政学研究所理事長。
【★画像出典】
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