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文化人類学がおもしろい

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わたくしコミュニケーションを専門とする博士(学術)の筆者が”複数の他者のあいだのコミュニケーションを記述すること”という切り口から文化人類学の文献を読んで行きます。 わたしは文…
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2020年10月の記事一覧

コスモスとしての文化と、カオスとしての文化 −岩田慶治著『コスモスの思想』を読む

文化人類学者 岩田慶治氏の著作『コスモスの思想』を読んでいる。 文化人類学が研究対象とする「文化」というものは、「自然」との対立関係の中で存在するようになるものだ。 例えば、山に大きな石が転がっていれば、私たちはそれを「自然」のものだと言うけれども、もしその石の表面がなめらかに整えられて規則的なパターンで線が刻まれていたならば、私たちはそれを文化的な何かだと考えてみたくなる。 つまり、どこかの誰かが、人間が、何らかの「意味」を表現しようとして自然物の石を加工したのだと考

魂と樹木と「ある」と「ない」 −岩田慶治『アニミズム時代』を読む

(この記事は有料設定ですが最後まで試し読みできます) ○ 前のnoteで文化人類学 岩田慶治氏による「こころ」と「魂」の話を書いた。 魂、タマシイというと、怪談のなにかかと思われるかもしれない。 しかし、文化人類学にとっては、そしておそらく情報学にとっても、私たち人間の共同主観性を扱おうとする限りタマシイというのは極めて重要な思考の核になる概念である。 概念、といっても難しい話ではない。 概念に親しむ上で必要なことは、ひとつの概念を別の言葉にイコールで置き換えて「

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あんがい過酷な「文化的」であること− ジョセフ・ヘンリック著『文化がヒトを進化させた』を読む(2)

ジョセフ・ヘンリック氏の『文化がヒトを進化させた』を引き続き読む。 ヘンリック氏によれば「文化」と「遺伝子」は共進化するという。 文化と遺伝子の共進化共進化とは、文化と遺伝子、どちらかが一方的に他方を生み出す原因であるとは考えず、相互作用を通じてそれぞれ変化、進化していく、という考え方である。 遺伝子の進化の選択圧となる環境としての文化文化は、遺伝子の進化を方向づける「環境」になる。 ここでヘンリック氏がいう文化とは、特に「社会規範」である。何かの「タブー」であるとか

森と人、こころと魂−岩田慶治著『アニミズム時代』を読む

岩田慶治氏の『アニミズム時代』をひきつづき読んでいると、「森の思想・森の生き方」という章で次のような一節に出会う。 岩田慶治氏が、文明の袋小路を逃れ「やり直す」ために、「身体からこころへ、こころから魂へ」と戻っていく必要があると論じる下りである。そこに次の一節である。 こころと魂「こころの世界は二元的で、形がある。海と山、善と悪、子どもと老人、男と女の差違と葛藤がある。」(岩田慶治『アニミズム時代』p.243) 「こころ」は二元的である。それに対して「魂」は一元的である

中沢新一著『レンマ学』を精読する(2)ー「縁起の論理」より、私は他者であり、他者は私である

中沢新一氏の『レンマ学』を読む。 互いにはっきりと区別された物事を、並べて積み上げたものとして世界を理解するのが「ロゴス」的な知性である。通常「知性」というと、明確に定義され互いにはっきりと区別された言葉を理路整然と積み重ねていくことのように思われているが、ロゴスはまさにそうした知性のあり方である。 ◎私は私であって他の誰でもないし、他の誰かは私ではない。 ◎私と他者は最初から、完全に分かれており、別々である。 その別々のところから初めて、つながりであるとか絆であるとか