徳は、得なり。~東洋哲学・陽明学入門~【第14回京都えびす大学】
2021年6月22日、~東洋哲学・陽明学入門~【第14回 京都えびす大学】を開催しました。
陽明学とは、「三方よし」の近江商人、幕末に活躍した「吉田松陰」「勝海舟」「西郷隆盛」、日本資本主義の父「渋沢栄一」など多くの偉人が学んで実践した学問であり哲学です。今年の大河ドラマ「青天を衝け」も注目です!
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今回のテーマは「聖人の教え」
今回は王陽明の時代(日本で言うと織田信長の少し前)から更に遡った古代中国のお話が紹介されています。
「聖人」って、そもそもどんな人でしょう?
古代中国には、理想的な3人の聖人がいました。
堯(ぎょう)・舜(しゅん)・禹(う)
禹が創った国「夏」の存在は証明され、中国4,000年の歴史の始まりとされています。
堯には、才能と知性にすぐれた賢い人物であった子どもがいましたが、人徳に欠けるとして王位を譲らず、人びとの推薦した舜を後継候補とし、その人徳を調べたうえで、舜に帝位を譲ったそうです。
堯、舜から、禹が受け継いだとされる中国哲学の要。
「人心は危うく、道心は微か(かすか)に表れる、これを精密で純粋なものにし、心を一つにして、まことにその的中することを行いなさい」
そして、その内容は次の5つにつきると伝えられています。
舜・禹から三代の世は、教える者もただこれだけを教えとし、学ぶ者もただこれだけを学びとしました。
その当時には、人々に意見の相違はなく、家々に習俗の違いもなく、ただ、この教えを安々と(自然に)行う者は、聖人と呼ばれ、これを勉めて行うものは賢者といわれ、もしこれに背けば、たとえ才能と知性にすぐれて賢い人物でも不肖(愚か)といわれました。
そうして、下々の暮らしに目を向ければ、あらゆる場所で農民、職人、商人を問わず庶民に至るまで、一人としてこれを学びとしないものはなく、ただその徳のある行いをなすことを務めとしていたのです。
講師の解説ではこんなお話がありました。
なるほど、そう言われて見てみると、確かに!といろいろ思い浮かびました。
ディスカッションでは、
など、心の置きどころを話し合うことができました^^
最後の感想・気づきでは次のようなことが共有されました。
そして、これからの教育を見つめ直す問いかけも。
みんなでこれからの教育を一緒に良い方向へ変えていけたらと思いました^^
前回までの様子はこちら ↓
~今後の開催について~
2020年9月から毎月オンラインで開催してきた京都えびす大学ですが、2021年7月からは一度内容をブラッシュアップするための充電期間としたいと考えています。
2022年から、また新たな形でスタートしたいと考えていますので、それまで楽しみにお待ちください(*^_^*)
\陽明学を学んでみたい!という方へ/
京都えびす大学以外にも、陽明学を学べる場所があります!
二宮尊徳、吉田松陰、西郷隆盛、、、
私も参加していますが、とても深い対話や学びの場になっています。いろいろな人の生き方から学んでいきたいですね^^