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心ゆたかに~次の世代への贈り物~

2020年8月29日、日本初のノーベル賞受賞者である湯川秀樹さんが晩年に過ごされたお家を訪ねました。もしかすると、もうこのお家に来ていただくことが叶わなくなるかもしれないということで、陽明学を学ぶ方々や子ども達も一緒に伺ってもよいかお尋ねするととても喜んでお迎えくださいました。

夏の終わりの真っ青な晴天。お庭の入り口にも光がさして、天から見守ってくださっているよう。

▼お庭の入り口には「静處」の文字
 心静かにすごしたいという想いが込められているそうです。

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小2の次男は、トトロとコダマに会ったよ、と。


ご家族からお話を伺いつつ、お部屋をご案内いただき、記念品やお庭を見学させていただきました。

▼アインシュタイン博士と湯川秀樹博士とノーベル賞受賞者(長男撮影)

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小5長男は「ノーベル賞をとったえらい人」という本を読んで、アインシュタイン博士と湯川秀樹博士のことを少し事前学習していたので、自らカメラマンを買って出てくれました。興味深く感じとっていたようです。

▼湯川秀樹博士と世界連邦
 アインシュタイン博士が原爆投下に心を痛めて湯川さんの手を握り涙を流されたというエピソードも。科学者たちが中心となって「世界連邦」や「パグウォッシュ会議」など、核兵器廃絶と世界平和のための運動にご尽力されました。昭和28年には、初めての「京都市名誉市民」に。

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▼ノーベル賞をはじめとした記念品の数々

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恐れ多くも写真にとらせていただきました。

▼歩歩清風
 世界に影響を与えた日本人初の哲学者、西田幾多郎さんの書

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▼湯川秀樹さんが愛でられたお庭

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▼お庭の飛び石
 和服で歩く歩幅につくられているそうです。

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こちらのお庭にある灯籠に明かりを灯す夜の風景もまた絶景だそうで、昔は湯川秀樹さんを囲んで、学者の方々が灯籠の明かりの下で議論を交わされたこともあったそうです。

また秋にでも、夜の灯籠の明かりを楽しむ会ができたらいいですね、とお話くださいました。

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湯川さんのご家族と初めてご縁をいただいたのは、2019年2月9日。家族ぐるみで長年お付き合いをしていたご近所の方から、湯川さんのご家族が「湯川秀樹さんが愛されたお部屋やお庭を若い方の学びの場に使ってもらえたら・・・」という想いを持っておられるということで、ご相談をいただきお会いすることになりました。私一人では力不足と感じ、父にも一緒に来てもらいました。

そして、お話を伺ってすぐに閃いたのは、陽明学の学びの場にぴったりなのではないかと。ちょうど2019年1月19日に、一般財団法人咸生書院の難波浩気さんのご指導の下、えびす大学という学びの場を事務所内研修として行ったところでした。2月19日にもえびす大学の研修を予定していたところ、一度その学びの場として湯川邸をお借りしてみてはどうかということで、浩気さんにも来ていただくことになりました。

そして、浩気さんにお越しいただいたところ、「僕ではもったいない。父に相談してもいいですか」とお父様である陽明学の世界的権威、難波往男先生にご相談いただき、3月2日にご家族とお会いいただくことになりました。国際学会でもご活躍されるような先生が、少年のように目をキラキラとさせて感動しておられたのが今でも昨日のことのようによみがえります。そして、ご家族も難波先生のお話を聴いて終始笑顔でとても喜んでくださり、お会いいただいて本当に良かったと心から思いました。

実は、湯川秀樹さんのご家族は「儒学者」の家系だったそうで、儒学(陽明学)ともご縁がつながっていたことがわかりました。この出逢いは必然だったのかもしれません。

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ご家族としては、湯川秀樹さんの「平和への願い」を次の世代にもつなぎたい。先人の思いが刻まれたこの家やお庭を残してほしい。更地になってしまうのはしのびない。という想いを持っておられます。

しかし、大きな家を維持管理していくのはとても大変なことで、ご家族だけではもう守っていくことができないかもしれないと・・・

先人の想いや四季折々の自然に触れることができるこの場所とこの景色を、「心ゆたかに」すごせる場所、「心ゆたかに」生きていく人を育む場所として、次の世代への贈り物として生かす道を考えたいと思っています。

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