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多田鼎『扉を開いて』

一〇五 千人針
昨秋、支那の事変が初まつてから、私が寅年であるからとて、出征軍人の家族から、頻(しきり)に千人針の布をさしつけられて、「爾(おまへ)の歳だけ縫つてくれよ」と頼まれます。皆弾除のためだと申されます。その宗派はと問へば、真宗だがといはれる人も、随分多いのには驚きますが、是等の人々が余りに真剣なので断はりかねてゐます。如何致したらば宜しう御ざいませうか。―昭和七、五、愛知県、Y K女

一。千人針の初(はじめ)は、余り古い事ではありませぬ。日露戦役の頃、何処かで一人の老媼(おうな)が、千人の針で縫つて貰つた腹巻を、戦地の児か孫かに送りたいと思ひ立つて、其を人々に頼むでをる、珍らしい思付だとの噂をきいてゐました。其が二三十年の間に、今のやうに盛に全国に行はれて来ました。静岡県の或町では、その高等女学校の校長が、之を迷信だとか申したといふ噂が立つて、其町の新聞では、校長を非国民だと罵りました。或処では之を冷評した者が、直に殴り倒されたやうであります。「千人針」の行はれゆく処に、国民の熱情が漲つてをる事は否まれませぬ。殊に此度の支那事変において、弾除のために、私共再び今後の戦争などに用ゐられるであらうとは、夢にも思はなかつた昔風の鉄兜が用ゐることも、決して無駄ではありますまい、されば此の腹巻にも、もつと研究を凝したが善いでありませう。若し貴方に頼む者があらば、心をこめて、丁寧に縫つてやつて下さいませ。
二。されども私共は此の大切な贈物に迷信をこめてはなりませぬ。初めの間は、たゞ「千人の女」だけであつたのに、此頃になつて、寅歳の女に、其年の数だけ縫はせて、其余は誰にでも一針づゝ縫つて貰ふとか。猶ほ其上に縫ふべき処を印をつける事をば、御判を頂くと唱へ、最後に神官の祈祷を求めるとか、又其は鬱金の布にかぎるとか、様々な事をば新に加へて来ました。之は善くございませぬ。縫手は一人でも二人でも、布は何でも、針の数は五百でも千でも、兎にかく其の腹巻をして剣や弾をよけさせるに効(しるし)のあるやうに縫へば善い。別に祈祷も祈願もいりませぬ。たゞ仏恩を仰ぎ、国恩を念(おも)ひ、出征の将卒の労苦を察しんながら、愈(いよいよ)御本願の念仏の御大行を行じつゝ、親切に縫つてあへなさいませ。さうして都合よくば、貴方の針を運ばるゝ間に、頼みに来た人に、大法の御力こそ本当の畢竟依であることを御つたへなさいませ。並に、この千人針が私共にとつて、亦報恩の大きな御縁になります。
三。滋賀県とかの或る地方の事と聞きました。或る女性が、戦地にでかけてをる児に、千人針の腹巻を送りました処、間もなく其児から、其(それ)を返して来ました。「私は命をさしだして働いてをるから、このやうな者はいらぬ」との事でありました。その母は深く愧(は)ぢいりました。此の児の如き勇敢なる覚悟からでなければ、真実の偉勲はうまれませぬ。御符も、千人針も打ちこえて、たゞ久遠の真実によれ。この久遠の真実こそ、私共を御すくひ下さるゝと共に、斯国斯世を御すくひ下されます。
(多田鼎『扉を開いて』法蔵館、昭和八年)

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