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恵良八幡伝説とシャーマン

 五ケ瀬町には江良八幡神社があり、その八幡さまを守護神とする篠村さんという巫女が現在も活動している(平成5年頃)。江良八幡さまに選ばれた巫術者は先代の長迫サマエさんを含め二人存在し、いずれもがその土地に伝わる伝説を拠り所に江良八幡の実在を確信している。以下篠村さんにきいた江良八幡の伝説をあげる。

 高千穂町には槍飛ケ池という池がある。八幡さまは家来を引きつれて逃走中であった。すると目の前に大きな池があり、家来たちがその池に落ちてしまったが、八幡さまは槍をついて、その池を飛び越えた。そこから槍飛ケ池と名がついている。そして内之口(五ケ瀬町)に逃げのびた。ある家に逃げ込んだところ、大きな桶に匿ってくれた。(その桶は実際に現在も家宝として残っているという。)そこに追っ手が来たとき、その匿ってくれた人は、「ここに侍が逃げてこんかったか」という質問に、「ああ、そんな人間なら、足早にあっちの方向に去っていったが」と答えた。助かった八幡さまは去るときに、「ここでは俺を救けてくれたので、たとえこの村が火の海になっても救けてやる。」といった。さらにそこを逃げのびて次にある村に八幡さまが逃げてきた。すると一人の女が川で洗濯をしていた。そこで八幡さまは女に向って、「自分は今から川上に行くが、追っ手が来ても教えてくれるな。」といって、尾原(五ケ瀬町)の現在の江良八幡神社の下の方にある川原の岩陰に隠れていた。やってきた追っ手はその女に、侍が来なかったかときいたところ、女は口では教えなかったが首で合図して教えた。その頃八幡さまは蛍刀を逆さに水を流されていた。その刀の光で尾原にやってきた追っ手に見つかってしまった。結局八幡さまは岩の上で自ら切腹された。(八幡神社にあり、篠村さんのお婆さんが小さい頃にはまだ血の跡が残っていたという話を聞いた。何百年かして長原のの体を使って八幡さまは人助けをはじめた。

 この話は『五ヶ瀬町史』にも恵良八幡物語として記載されている。墓には天正十九年(一五九一)の碑名が刻まれ、また八幡さまがかくまわれたという桶が、内之口の甲斐美登利氏宅には宝物として保存しており、嘉永五年(一八五二)の由緒書が添えてある。ちなみに江良八幡神社に祭られている恵良惟澄という人物についての古手川善次郎氏による考察がある。(『高千穂の民家』)

 篠村さんは八幡神を抽象的な神格として捉えているのではなく、伝説上(彼女にとっては実在)の具体的な人格を持った存在として認識している。篠村さんが神ごとをはじめるきっかけは、子宮癌手術のために熊本の病院に入院して三日目に手術だった。息を引きとるかもしれないということで三○人ぐらい見舞いにきた。手術後は昼寝をしているようになんともなかったが腹が急に痛みはじめた。毛布を頭に被って「八幡さま、腹の痛いのを助けてください」とお願いした。すると急に眠たくなり、夢のなかできれいな白馬に乗り、鎧を着て、右手に菊水紋の旗、左手で手綱を持った八幡さまが、江良八幡神社の庭で「俺はこうして待っているぞ。一日も早く帰ってこい。」といった。夢を見ていると同時に病室では夫の名を急に叫びだしたそうである。「俺は江良八幡じゃ。ツイ子の体は病院は治さんといっても俺が治して連れて帰るから、ツイ子の体を俺に貸してくれ。俺は犬神でも、猿神でも、蛇神でもない、正真正銘の江良八幡じゃ。」といったという。
 その後みるみる回復し二○日ほどで退院し、江良八幡さまを守護神として活動している。
 春分・秋分の日と八幡さまの命日である旧暦十月十九日に行なわれる江良八幡神社の祭りには一○○人を超える人々が朝早くから参拝に来る。そのときにも配布されるゴフサンは御守り袋に入れたり、一文字づつ飲むと病気が治るという。


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