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式場隆三郎『こころの声』

千人針の心理
日露戦争の時に.千人針の行はれたのを子供心に不思議に思ったのを憶えてゐる。そのとき私の祖母や母は「これをつけて戦争に出れば剣も鉄砲の丸(ママ)も決して通らない」と教へてくれた。ところがそれをつけて戦場に出た筈の兵士が、遺骨になつて帰つてきたのを知つたとき、私は一層不思議におもつたものだ。
その後.長いこと忘てゐた千人針が支那事変以来旺んに街頭で行はれてゐる。日露戦争の頃の千人針は、一軒一軒に廻つてきて、女達が茶の間へ上つたり、玄関で縫つたりしてゐたものだが、今度は電車通や、百貨店や劇場の入口などに立つてやつてゐる。それも年とつた兵士の母でなく、若い女たちが針を求めてゐる。昭和の千人針風景は、布や手法は古風でも、やる人の態度がまるで変わつてゐる。その人達の心理は、昔と変らぬ真心から出てゐるかも知れないが、何となしに近代戦の銃後風景には似合わぬ感じがする。
新兵器の発達は、千人針などの及びもつかない猛力をもつことは誰も知つてゐる。それを承知で千人針をつくる心理には、迷信として笑へないものがある。四千(死線)を越えるのだといつて、四千一人以上の針の入つたものが最もいいといふ。これなぞはあまりに迷信的で苦笑を禁じえないが、多くの人々の力によつてつくられた腹巻なりチョッキは、貰つた兵士にとつて何か守護神以上のものを感じさせるのであらう。
科学の神様のやうな野口英世博士すら、研究の旅にでるときは、國の母から貰つたお守りを肌につけてゐたというふ。そして.あの最後の殉職の旅に出る時には、お守りを忘れて出たのを気にしつつ、死んだと伝へられてゐる。
今の戦争は、決して膽力だけで勝てるものではないだらう。科学的な武器や、科学的の戦術が勝敗を決するといつてよかろう。しかし、その科学を動かすのは、やはり人間の魂なのだ。その魂は僅かのことで左右される。千人針を笑つてたよらない軍人もあるだらうが、人事と優れた兵器使用のベストをつくす、あとは何だか知らない力にまかすといふ気持の軍人もあらう。さういふ人には、千人針は大きな力になるだらう。
流行といふものは、文化が進んで報道機関が敏速になると、一層波及力を増してゆく。千人針が忽ち全国に行はれ出したのは、今度の戦争の重大性にもよるであらうが、一つは流行心理の現はれでもある。人がやり出すと、自分だけじつとしてゐるのが不安になる。迷信だかどうかなど詮議してゐる余裕がなく、すぐ模倣して終ふ。
千人針の起源は知らないが。ゆかしい妻や母の心づくしから出たものであらう。初めは母や妻だけの手で縫はれたものが、親類や近人がそれに参加して、遂には千人もの針によつて縫はれれば、一層強力なMのになると信じられたに違ひない。千人切りとか、千人何何とかいつて、千人針といふ数はなまやさしいことでは達しられないものである、その困難を克服するところに祈願をこめる人のよろこびが湧く。受ける人とても同じ想ひがするであらう。
千人針が日露戦争の頃よりも一層さかんになつたのは、迷信が文化と逆比例して進行する証拠だといつてゐる人がある。しかし、これは必すしも迷信と流行だけでは片づけられないと思ふ。婦人の社会的進出が各方面にみられる現代に、戦争のやうな国家の非常時にかうした形で現はれるのだともいへるだらう。干人針それ自身は、案外つまらないものかも知れないが、女の社会的活動に参加する気持は汲んでやらねばならない。
式場隆三郎『こころの声』(昭和刊行会、昭和十八年、PP.64-67)

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