細島の河童伝説(宮崎県日向市細島)
細島の河童伝説
『ふるさとの昔話』に、細島の河童、ヒョウスボの話が取り上げられている。
この類型の伝承で、すぐに思い出されるのは、都農町に伝わる金丸家の話であろう。「金丸一統手がけをしやんな」と言えば河童がいたずらをしないという内容である。都農町の金丸家は神官の家系であり、河童との関係も想像できるが、はたして細島のヒョウスボどんの話に出てくる「江川家」「堺屋」とはいったいどのような家なのであろうか。
現在聞かれる「堺屋」という屋号の家は、江川商店を営む江川惠之助さんの家系であるというが、惠之助さんはこの河童の話は聞いたことがないという。妙国寺の若い住職に「細島の河童は空を飛ぶと祖母に聞いたことがある」という話から、この江川家の話を尋ねたところ、「江川家は水の管理をしていたので、その関係があるかもしれない」と伺い、早速、江川キミ子さんにお話を伺ったところ、件の江川家であることが分かった。
キミ子さんの江川家は元々郵便局近くの惠之助さん宅右横に並んであったが、道路が通るために現在の平野町へ引っ越すこととなった。以前は、敷地内に湧き水のたまり場があり、それをキミ子さんの家が管理し、道路を挟んだ向かいでは風呂屋も営んでいたという。水神様も祀っており、現在も道路脇にはその一帯を見下ろす場所に安置されている。
キミ子さん宅では、「包丁」ではなく、「宝刀」と語られ、その実物を現在でも保存されている。そして、江川家では、前述の話より詳しく伝えられている。
ヒョウスボどんは岩の上の刀を取りのけてもらった謝礼に、江川家に毎朝鯛を二匹届けたという。数年経って「江川家では魚はいらないから、堺屋関係者や江川一族に害を与えないようせよ」とヒョウスボどんに告げ、これを誓わせたという。
この話で、刀を拾い上げたのは堺屋新家の九左右衛門と伝えられ、本家の四代目兵右衛門がその後保管したという。ちなみに彼は明治三十三年七月から三十五年四月まで細島町の六代目町長を務めた。
江川家に今も伝わる宝刀は、左文字の名刀だと言われる黒さやは六十五センチの長さ、刀身は四五センチの小刀である。戦時中には他の刀は供出したが、ヒョウスボどんの宝刀だけは倉庫の奥深くに格納していたという。
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