播磨 魚佛「『千人結び』に就きて」
迷信といへること、厄介物に相違無しと雖も、理屈一辺に固まり居る人間、是亦厄介物の一なるべし、理屈の外に理てふもの有ることを知らざれば、ものゝ道理は分らぬことゝ知るべし。此頃流行り出したる「千人結び」といふものゝ如き、迷信不迷信の毀誉褒貶甚だしきことなれど、髪の毛一本で象を繋ぐとさへ云はるゝ女子の手にて為されし事なれば、玉や霞と飛び来る弾丸を避け得られぬとも限られざるべし、国を傾け城を傾する程の女子なれば、何んといふ理屈は無しに此位の効力は有るものならんと信ず。此種の事、理屈を以て彼れ此れ云ふべきものに非ず、理屈以外に於て、然かあるべき筈のものなりと信じて奨励しやること、一種の方便なるべし。出征軍人の母親姉妹が、我が子兄弟を懐ふの至情は、農繁の際なるにも拘らず、彼方此方へと奔走して、見ず知らずの子女に向ひ、笑みを含み媚びを呈して一ト針御頼み申す有様、一瞥豈に涙無からんや、時節柄偶感ずる所ありて之を記す、
濡れつゝぞしひて折りつる年のうちに
春はいくかもあらじと思へば (業平朝臣)
『日本青年』三十一号、十四頁、『日本』青年会事務所、明治三十七年六月十五日