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絵本 「 おおきな木 」 が教えてくれたこと。|「 Give & Give 」はブレないから疲れない。

僕が今も大切にしている絵本「おおきな木」。

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シェル・シルヴァスタインの「 The Giving Tree 」に、村上春樹が訳をつけているものが僕はいちばん好きです。

損得勘定を超えた「 Give & Give 」の親と子の世界

この絵本の中に出てくる「木」は「 the Giving Tree 」の名の通り、ひたすらに与え続けます。そこに「 親と子 」の関係や「母性」を感じ取る人も多いと思いますが、とにかくこの木は「感謝」や「愛情」といった見返りを求めず、ひたすら与え続けるのです。

しかし僕はこの本を読んで、「無償の愛」の素晴らしさを感じ取ってもらいたいわけではありません。見返りを求めずに与え続ける木の姿勢を「自己犠牲による献身」と感じ取る人もいるでしょうが、それも違うと僕は思っています。

例えば、僕の親は子どもである僕に大学に行かせてくれました。学費は全て出してくれましたが、バカな僕はそれがいくらだったのかさえも知りませんでした。調べてみるとどうやら四年間で「300万円」くらいはかかっていたようです。僕は「300万円」の学費を出してもらうことによる親への見返りを要求されていません。老後の面倒を見ろとも、社会人になったら返しなさいとも何も言われていません。

この「自分の子どもを大学に行かせる親の心境」について考えるきっかけになったのがこの「おおきな木」という絵本です。

決して金持ちとは言えなかった僕の親は、自分の子どもを大学に行かせるために必要な「300万円」を、なぜ「欲しい洋服」「贅沢な食事」「新しい車」「海外旅行」などに使わなかったのだろうか。そっちの使い道の方が父や母は良い想いができたのではないか、、、。

世の中には色んな人や家庭や人生があるので、これはあくまで僕個人の話ではありますが、うちの親が自分の贅沢を捨てて子どもの学費を優先したのは「親の責任」や「義務感」からではなく、そっちの方が嬉しかったのだろうと思います。3万円のディナーを食べることより、海外旅行を楽しむことより、自分の子どもが「生きたい人生」を生きてくれていることそのものが嬉しかったのだろうと思えるのです。もし仮に僕が「医者になりたい」と言えるような優秀な人間だったとしたら、なんとしてでもその学費を準備してくれたでしょう。

できるだけ少ない貢献で、できるだけ多くの恩恵を受け取ろうとするアルバイト店員

そんな幸せのあり方は「 Give & Take 」という利害の世界を超越しているように感じます。例えば僕は大学生の頃に「おいしいアルバイト」を先輩から紹介してもらっていて、時給は高いけど楽で、仕事が暇な日はただぼーっと3時間何もせず過ごして3時間分の時給はもらえていました。だから暇な日は僕にとって最高だったのです。つまり当時の僕は、できるだけ少ない貢献で、できるだけ多くの恩恵を受け取れるということに喜びを感じている典型的な「損得で生きる Give & Take タイプの人間 」だったわけです。

ただ、そんな僕にも「できるだけ多くを貰える」ことだけが喜びではないという一面もあります。僕は大学の学費を出してもらうことに罪悪感を感じていませんし、ありがたく出してもらっていましたが、もしも親が僕の学費のために「週7日勤務」「睡眠時間3時間」「食事は一日一食」という生活をしなければならない状況になっていたとすれば、僕はサークルを全て辞めて、勉強以外の時間を全てアルバイトに当てて、場合によっては奨学金を借りるなどしてでも、親に休んでもらうことやご飯をちゃんと食べてもらうことを望んだと思います。

つまり「貰えるものならできるだけ貰いたい」という僕の損得勘定が通用しない世界が僕にとっての「親と子」の関係なのです。ただこれは必ずしも家族だけに言えることじゃないかもしれません。

例えば僕に何の得もないけど学生の「就活相談」を2時間、3時間受けることもある。後輩の人生相談のために深夜遅くまで付き合ったりすることもある。感謝されるかどうかも分からないけど、なんなら憎まれたり嫌われたりするかもしれないけど、真剣に後輩を叱ったりすることもあるのです。

「 Give & Take 」は揺らぐから疲れる。「 Give & Give 」はブレないから疲れない。

そんなことを考える中で強く思ったことがあります。「 Give & Take 」の損得勘定の世界で生きていくのは結構疲れるのです。自分の方が損しているかもしれない、もっと得をしている人がいるかもしれない、そう思い始めると喜びがなかなか感じられないのです。

でも「この人が幸せになってくれることが私にとっての幸せでもある」というような存在や関係は「 Give & Give 」でも成り立つから疲れないのです。「あなたと私」が敵対関係ではなく、相手のために自己を犠牲にするのでもなく、共により良くなっていこうという「私たち」の関係性なのです。

そして、そういう境地に到達した人は自分の行為の「判断基準」が周囲からの評価や反応、他者との比較による優劣ではなく、自分自身がどうしたいかどうありたいかという自分自身の中にある軸に基づいたものなので、ブレないのです。

そんなことを考えるきっかけになったのが、この「おおきな木」という絵本で、今でも僕にとって大切な絵本です。


Main Photo by Johann Siemens on Unsplash

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