『感染の令和: またはあらかじめ失われた日本へ』 佐藤健志 (著) 例によって、トンデモない装丁ですが、そこに込められた覚悟と思いは。先の大戦から現在に至る日本の政治的もつれを読み解く卓見だと思うが、「わからないやつにはわかるまい。いいよ、それでも」という、頭よすぎる著者の、それゆえの孤独を感じる内容でありました。
『感染の令和: またはあらかじめ失われた日本へ』 2021/12/22
佐藤健志 (著)
Amazon内容紹介
「土壇場ですべてが許される!
政治・外交・経済・社会・思想・コロナ
時代の全貌、ここにあり。
衰退・没落の色を日増しに強める令和日本。
「かつては繁栄を謳歌したのに、なぜこうなったのか?」と疑問に思う人も多いはず。
だが戦後日本は、もともと失敗を運命づけられていた。往年の成功は、それがたまたま抑え込まれていた結果にすぎなかったのだ!
七十年以上前から、われわれは「滅び」に感染していたのである。コロナ禍のもと、この病は「現実の否認と解体」という形を取るにいたった……
時代の全貌をつかみ、現実を再建せよ。本書は復活への道を示す「知の黙示録」だ。」
「美しい調和という「令和」本来の意味とは裏腹に、日本は濃霧に包まれている。
コロナウイルス以前に、日本人の精神が何かに感染しているのではないか?
鬼才、佐藤健志氏がタブーを破り、戦後を呪縛する神話を解いて、
われわれを現実発見へと導く。」 ———堀茂樹氏(慶応義塾大学名誉教授)、激賞!!」
ここから僕の感想
この本は前著『平和主義は貧困への道 または対米従属の爽快な末路』の続篇という位置づけだと思う。両方とも装丁が頭がおかしいので、まともな中身の本とは到底思えない、のだが、佐藤氏なりの考えがあっての、この装丁なのだと思う。
佐藤健志氏は、高名な保守政治学者、佐藤誠三郎氏の子供、1966年生まれで、東大教養学部国際関係論という、東大の文系全学部学科の中でも最難関を出た、めちゃくちゃ頭のいい論客である。政治社会評論を映画評論と重ねて語る、かなり独特の手法あること、思想内容が、保守思想、といっても、自民党従米エセ保守のことも新自由主義グローバリズムのことも、つまり現在の政権自民党のことは全部ぶった切るが、同時に左派リベラルのこともコテンパンに批判する、孤高の立場なので、味方はほとんどいない。
MMTを日本に紹介した『富国と強兵』著者、中野剛志氏くらいしかお友だちはいないのではないかと思う。故・西部邁氏に近い立場かなあ、とも思う。
あまりに頭がいい上に、ほとんど全員を敵に回すような立場からものを書くので、まともな装丁で真面目そうな佇まいで本を出しても誰も買ってくれない、と思っているのだと思う。戦後の日本の政治と文化のもつれ具合、自民党従属米右翼も大間違いだが、左派リベラルも大間違いだというのは、三島由紀夫がまず問題にし、加藤典洋氏がさらにいくつもの著作で論じてきたことだが、いずれもが、文壇でも論壇でも異端児として孤立したことから分かるように、まともに考えればどう考えてもそこにいきつくはずなにのに、ほんとうのことを言うと孤立してしまう、いつのまにか一人ぼっちになってしまう。そういう思想的立場というのが、あるのである。
左右両方を、それぞれぶった切るのではなく、左右をひとつながりのものとして批判する、というのが、佐藤氏の立論の際立ってオリジナルな点である。戦後から現在に至る日本の病理を
「1970年代ぐらいまで、日本人と安定した共生関係を築いてきた「戦後平和主義」というウイルスが、昭和から平成への改元あたりを境に「新自由主義」へと変異して毒性を強め、自滅においやろうとしている」
というとらえ方。
なぜ安倍政権が選挙に勝ち続けたのかの分析も、画期的。詳しくは本書を読んでほしいのだが、戦後の平和主義の根幹には、政府への不信が埋め込まれている。先の大戦での国家戦略が国民を不幸にしたという反省から導き出される、国民の国家への基本態度というのは、「国家戦略が遂行されるほど国民は不幸になる。」のであれば、逆に「国家戦略が失敗するほど、国民の利益になる」安倍首相が長期にわたって支持されたのは、本文から引用すると
「国益や国家戦略を損なうことこそ、国益や国家戦略を真に重視する(=国民の利益になる)ことだという矛盾した発想が国民に根付いているため。消費増税もアベノミクスも領土問題の大失敗(北方領土を永久に回復不能にしたこと)も、「こう考えれば、安倍総理、ないしは安倍内閣の人気について、不可解な点はなくなります。国益が損なわれ、国家戦略が行き詰まるほど、「総理はちゃんと結果を出している」と思い込むのです。失敗こそ成功、ないしは失敗ほど成功というのだから、こんなに楽なことはありません。着実に失敗を重ねれば、安定した支持が得られるのです。」
日米貿易交渉も、米朝交渉における日本の失態の分析も、外交文書の英文と日本語訳の齟齬など細かな分析までしつつ、いかにポンコツだったかを論じていくパートなども読みごたえがあります。
また、MMTについて、日本では中野剛志氏や藤井聡氏など、主に右派の論客が熱心に取り上げているのに対し、アメリカでは左派の経済理論になっていて、その食い違いがなぜ生じているかの分析もきわめて興味深い。グローバリズムにも「新自由主義グローバリズム」と「世界政府志向グローバリズム」があり、中野剛志氏は反グローバリズム、ナショナリズムMMTだが、米国のMMTの人たち、左派の人たちは゛「世界政府志向MMT」として新自由主義グローバリズムを批判している、と分析する。面白い。
本書・終盤のコロナを論じるパートは、途中までは全く納得できる論の展開なのだが、最後に至って、コロナ、ウイルスの存在意義を保守主義と結びつけようとしたところから、かなり混乱というか、普通の人にはというか、いや、保守主義者である私にとっても、論旨はわかるが賛成しにくい中身になって、この本は終わる。ので、読後感はかなり混乱したものとなる。
あまりに広く大きなテーマを、全部ぶっこんで、しかもそれぞれが、あまりにオリジナルな視点で論じられるので、全部を飲み下すのは無理、という感じでした。
そういう内容の本だと著者もわかっているからこそ、「私は半ば狂っているのかもしれない。しかし、その中に、いくつもの真実があることは、分かる人にだけ別れは良い。多くの人は、狂人のたわごとと受け取るだろう。それでいい。」というような覚悟と諦めが、装丁のデザインに表れているのだと思う。「そういう内容であっても、この路線の装丁なら、結構、売れる」ということに、前著で味を占めたんだと思うのだよな。
保守思想家というのは、故・西部邁さんもそうだし、例えば西尾幹二さんなんかもそうだったけれど、「バカにはわかるまい」と思っているうちに、どんどん大衆からも論壇からも見放されていって、孤独な晩年を迎える、というところがある。佐藤健志氏も、そういう恐怖と戦いながら、どうやってこのことを分かってもらえるだろうと、苦しんでいるのだよなあ。そういうことが痛いほど伝わってくる本でした。装丁でギョッとして、とてもまともなほんとは思えない。そう、その通り、まともな本ではない。全部に賛成できるわけではない。しかし、そうだなあ、自民党支持者にも、リベラル、左派、平和主義の人にも、読んでほしいなあ。読んで、一旦、自分の信じる思想を別の角度からとらえ直してみてほしいなあ。そうすると、MMTの議論が、全然違って見えてくるとか、コロナ対策の考え方が、すこし深まるとか、思わぬ効果をもたらす。そういう、かなり風変りだが、おすすめしたい本でありました。装丁は、なんだが。