大江健三郎氏の訃報に思うこと。
昭和10年生まれの有名人、というのを見ていくと
大江健三郎 倉本聰 筑紫哲也 畑正憲 高畑勲 小澤征爾もそうだなあ。
その前後の昭和9年生まれ
山田太一 井上ひさし 灰谷健次郎 大橋巨泉 田原総一朗 愛川欽也 米倉斉加年
あえて選んだと言われるとそうかもしれないが、小説家でも、テレビの世界の脚本家やタレントでも、その政治的な心情が理想主義的・平和主義の人が多いように思う。はっきりと左翼的である人もいるが、そうでなくても。
敗戦を10歳で迎え、それまで使っていた教科書を墨で塗りつぶし、教師たちも言うことが180度変わる。そういうことを今でいう小学五年生六年生で体験する、というのは、特別な世代的体験だと思うのである。大人が間違っていた、ということをはっきりと批判的に認識できる年齢。「現実はこうだから」という世知を軽蔑する純粋さをまだ保持できている年齢。そういう10~12歳くらいの年齢に敗戦から戦後すぐの時代を過ごした世代である。
私は大江健三郎の良い読者ではない。なかった。
大江健三郎の小説家としてのキャリアを、私は勝手にこんな風に分けている。
①デビューから1963年まで。
僕の中では特に、「性的人間」と「セヴンティーン」の時代なのだが。
②1963年の、障害を持った子供が生まれたことを書いた1964年の『個人的体験』以降
『洪水は我が魂に及び』から『万延元年のフットボール』の時代。
③1979年の『同時代ゲーム』以降。
これはガルシア・マルケス『百年の孤独』に衝撃を受けて以降、と僕は勝手に思っている。
森の連作の時期である。イメージとして。
④1999年以降の晩年期の作品。
大江がノーベル賞を取ったのは③の時期の作品群が最も評価されてのことだと思うのだが、その時期の作品があまり好きではなく、買ったが読んでいない本もけっこうある。
僕は①、②の時期の作品を、僕の大学時代1981~85年くらいに、集中してもれなく読んでいて、その頃の小説がいちばん好きだ。特に②の時期の『洪水は我が魂に及び』と『万延元年のフットボール』が大江の文学的ピークだと勝手に思っている。
好き、と言う意味では①の時期の『性的人間』とか『セヴンティーン』が好きだ。政治的立ち位置も文体も全く違うのだが、性と暴力と政治が混然一体となって、スピード感あふれる読書体験を作り出すという意味では、これら大江作品と全盛期三島由紀夫の例えば『憂国』と初期村上龍『コインロッカーベイビーズ』をつなぐ斜めの連続線が、私の頭の中の小説家ポジショニングマップでは描かれているのである。いちばん好きな小説ラインである。全然違うって?いやいやいや、これらこそ、日本文学における、性と暴力と政治の最上の融合小説群なのである。
③の時期に、文学理論やラテンアメリカ文学に影響されて、それを自らの四国の森の一族の物語に置換しての連作小説としていくわけだが、僕には「理屈っぽくなりすぎてつまらない」になってしまったのである。『百年の孤独』にあるような、小説を読む生理的快楽が、この時期の大江作品から、少なくとも僕には感じられなくなってしまったのた。
④の晩年期になると、ときどき面白い小説が出てくる。いちばん好きなのは『晩年様式集』である。衰えた大江と重なる主人公が、妻や娘にこてんぱんにされる様を淡々と描く。いいなあ、力みが取れて、と思う。
性や暴力(や政治)に翻弄される存在としての人間をまずスピード感ある文体で描いた第一期
家族を持ち成熟する過程で、世界全体との新しい対峙の仕方を見出した第二期
この世界全体、空間だけでなく、時間の広がりまでを含んだ大きな世界全体・宇宙を小説の中に構築しようと試みた第三期。
最後、老いの衰えを受け入れる境地に至った第四期。
これは小説家の一生の変化のあり方として、模範的な形だなあ。こういうことを成し遂げた小説家と言うのは、日本人の小説家ではほぼいないと思う。三島は超特急でやりきったのか、途中で降りたのか。途中下車したと思うしな。
何より、「世界と歴史的時間」全体を、個人的体験としての小説宇宙にしようという第三期のようなことを、やってみようと思ったのは、空前絶後だと思うのだよな。挑戦として。
ここまで小説家の人生として見事に完結していると、訃報を聞いても、素晴らしい小説家人生であったことを羨ましく思うという感情が先に来て、悼むとか、ましてや「惜しい」とか、全然思わないのである。訃報に際してR.I.P.と書くこと、なんか気恥ずかしい感じがしていたのだが、大江氏訃報には、本当に心からR.I.Pと思うのである。