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『クライシスマネジメントの本質: 本質行動学による3.11 大川小学校事故の研究 』  西條 剛央 (著) 事故のその日の真相に迫る一部では胸が苦しくなり、事後数年にわたる市教育委員会の対応にはハラワタが煮えくり返り、しかし、それらを個人の責任ではなく、日本の組織に巣食う病理として解明するのみならず、それへの解決策を提示していく第三部では大きな希望が胸に灯る。名著。必読。

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『クライシスマネジメントの本質: 本質行動学による3.11 大川小学校事故の研究 』 2021/3/3  西條 剛央 (著)

 いや、ここ数年読んだ本の中でいちばん感動興奮したかも。いや、原は本を読むと、すぐ興奮するから。たしかにそうだ。それにしたって、小説以外の本では、デヴィッド・グレーバーの著作を読んだときと同じぐらい感動興奮したぞ。
読むべし読むべし。ほんとに読んでみて。絶対びっくりするから。

Amazon内容紹介

「東日本大震災から10年。なかでも108名のうち74名が犠牲となった大川小学校(宮城県石巻市)の事故は、「人災」とする遺族らによる長い闘いの末、2019年の最高裁決定で教育行政の「組織的過失」が認定された。
なぜ隣接する裏山へ子供たちは逃げられなかったのか?なぜ市教委の事後対応は遺族たちに不信感を与え、その後の検証委員会も遺族らの疑問を解明できなかったのか?」
震災直後から現地でこの問題に取り組み、「組織的過失」を予見していた著者が、その「失敗の本質」を明らかにし、教訓からクライシスマネジメントのあり方を提言する。

ここから僕の感想。


 僕は大川小学校の事件には、ニュースで聞くたびに胸がかきむしられるような思いをしてきた。しかし、報道で断片的に知るだけではいけない。本当は何があったのだろう。まずはそういう興味で読み始めた。著者はそれをていねいに解明していく。そこまでが前半。その日、何が起きたのか。なぜあんなことが「その日、その場で起きたのか」。きわめて詳細かつ公正な分析だ。誰かの責任を過度に責めるためではなく、誰のどのような判断や行動言動が悲劇の原因になったかについて「死者を責めてはいけない」みたいな配慮は横において、事実をクリアにしていく。ただし「その人がそのように判断を誤った要因」を整理してクリアにしていく。

 隠したりごまかしたりするのではなく、過去の地震と津波警報への行動対応とその結果の影響、教員の勤務年数と担当学年、地震津波対応への研修への参加やその知識共有の有無、校庭に避難してきた地域住民の発言や行動の影響、当日不在だった校長はじめ学校としての避難訓練や避難対応策の事前対応の状況など、関係すると思われるあらゆる要素を、「複数証言で確かと思われること」と「矛盾する証言とその背景」などから整理していく。また、当日の津波のきた時間や方向、それがどの地点でどのように見えたか、避難を促すラジオ放送や防災放送その他が、どの時点で何を言っていたかまでを詳細に分析し、その影響を整理する。

 ここまでで、教頭と教務主任という津波と地震についての防災研修を受けた二人が、裏山への避難をすぐに主張、考えていたことがわかる。教務主任は声に出して「裏山に上れ」と叫んでいる。教頭もそう考えていた。その通りにすぐしていたら、全員、間違いなく助かっていたんじゃないかと僕は思ってしまう。六年生の生徒の一部はすぐに裏山に逃げ始めたの。[以下、本書ではものすごく厳密に詳しく、起きたことや原因や背景要素を、細かく分析していくのだけれど、今、思い出せる範囲でざっくりかいてしまうけれど、詳しくは本を読んでね。]


 ところが、六年の担任教諭が引きとめ「津波はここまで来ない。裏山は崩れる危険があり、生徒が怪我をする恐れがある」として「戻ってこい」と逃げた生徒を制止し、生徒を校庭に整列させたことが明らかになる。そこに地域住民が避難してくる。

 この地域住民というのも(みんな亡くなっているのだが)、この悲劇が起きた原因の大きな要素のひとつだ。河口から6キロも離れたこの地域。地域住民も、ここまで津波が来ると思っていない。

 しかも、津波が来ると思った危機意識の高い住民は、それぞれ独自にもっと高台に避難していたのだ。ということは、小学校に来た住民は津波がここには来ないと。思っている人だけだった、筆者はこの状況を「逆淘汰」と呼んでいる。

 さらに悪いことに、六年生の担任は、こうした地元住民と同様。地元居住者である。かつ、勤務歴が6年と長い最古参である。最古参で地元民であるこの六年担任が裏山への避難に反対したこと。教頭が、裏山への避難を地元民に相談し反対されたこと。そうして30分も決断できずに校庭にとどまったこと。

 その間、六年生生徒たちがそれでも山への避難を主張していたこと。このままでは死んじゃうと泣いている生徒もいたこと。それなのに。もう考えただけで胸が苦しい。

 そして結局、裏山にではなく、津波が来る川沿いの高台への避難をしている途中に津波に襲われ、ほとんど全員が波にのまれて死んだのである。

 こう書くと「六年生担任が悪いじゃん」と思う。そういうことにしたくなる。でも、筆者はそうはしない。その場にいたら、その教師でなくても、そう判断・主張する可能性は、ありうる。一人の間違った判断が通ってしまう条件・理由がいろいろあったはずである。一人の個人の責任にしてしまっては、本当の原因が隠されてしまう。

 事前に、津波の時の避難場所や、親への引き渡しルールなどがきちんとなされず放置されていたこと。それを放置したのは、たまたまその日不在だった校長であること。校長の「余計なことはできるだけしない」方針が学校を支配していたこと。

 ここから第二部、校長が、教育委員会が、そして第三者委員会が、この事件を、「前例のない大災害だったから、しかたなかったこと」「誰も悪くなかったこと」にするために、唯一生き残った教務主任の証言をねじまげ、生き残った生徒への聞き取り調査資料を廃棄し、「なかったこと」「しかたなかったこと」にしようとしていく過程が克明に描かれる。もう、この部分で、私は怒りで、比喩ではなく、本当に血圧は限界を超えて、怒りとめまいで読み進めることができなくなったのでした。

 遺族は、学校、教育委員会、第三者委員会の対応への不満と、何より本当は何があったのかを明らかにし、その教訓を後世に残すために、つまり、わが子の死を無駄にしないために、裁判を起こす。

 ところが、一審は「現場にいた教員の対応、判断にミスがあった」としか認めない。学校の事前の対策の不備・怠慢、教育委員会や市の責任を認めなかった。
 ノモンハン事件の惨敗を、現場将校の責任にして切腹させ、後ろにいた現地参謀の責任を「なかったこと」にしたのと同じ、日本伝統の「現場に責任おしつけ切腹させる」主義の判決である。

 当然、原告は(実は被告も)不服であり、高裁、最高裁と裁判は進み、最終的に事前対策の不備、学校、教育委員会、市の責任が認められた。司法がまともに機能してよかった。
 
このいわば、「なかったことにする」という動機での、学校や教育委員会による「二次被害」についても、筆者は「個人のしたこと」と「組織の病理」の関係を冷静に分析していく。

 なぜ、個人としては人格者だったり、少なくとも常識ある人が、組織人となると、「なかったことにするために、嘘を付いたり証言を曲げさせたり証言資料を廃棄したり」という行為に及ぶのか。個々人の行為を明確にしつつ、筆者は、「そのように個人を行動させてしまう、組織としての原因」を明確にあぶり出していく。

 第一部の「その日まで起きたことの解明」と

 第二部の「その後に起きたこと」全体を、個人のやったことと、組織集団としての問題を明確にしていく。

 第三部は、「そういうふうに個人に判断させ行動させてしまう」日本社会・組織の問題を明らかにし、それを反転することで、そうした悲劇を起こさないための具体的方法を提示していく。

 第一部、第二部で怒りに震え血圧が上がり体調まで悪くなっていたのが、この第三部において「そうだそうだ本当にそのとおりだ」というものすごい納得感となって解決されていくのである。ものすごい読書体験。

 本書のサブタイトル「本質行動学」の本質という言葉の意味が、この最後の数章できわめて明確になっていく。「方法が自己目的化し、形式主義が跋扈すると本質は失われる。本質の反意語は形式なのである。」

 そして、学校という場において、だけでなく、社会全体に対して「命を真ん中においたクライシスマネジメントができない人物を、決してリーダーに選ばないこと。これがクライシスマネジメントを成功させるためのリーダー選出の原則となる。」と筆者は書く。

 筆者は本書の別の場所で、学校では大川小学校以外にも犠牲がある程度出たが、保育園では犠牲がほとんどなかった。これは、保育園では「子どもの命を守る」ことが何より優先するのに対し、学校では「教育」という目的が最上位に置かれるために「命を守る」ということの組織としての目的優先順位が下がってしまっているから。「教育」も、子どもたちの命があってこそなので、学校でも、まず、他の何よりも「命を守る事」、教育であれば「生存のための教育」が優先されるべきだと主張する。本当にその通りだと思う。

筆者と私について


 筆者・西條剛央氏とは、全く面識はないのだが、吉野家役員問題発言事件についての私のFacebook投稿やnoteを西條氏が読んでくださったことがきっかけで、Facebook友人になっている。
 
そして私の、その他、様々な投稿を読んでくださる中で、私のものの考え方に親近感を抱いてくださったようで、「著書を送りたい」と申し出て下さった。
 ですが、なんか、本はもらうものではなく自分で買うもの、大変なご努力の成果をもらっちゃうのは申し訳なかったので「本なら買います」と返信し、Amazonで検索したら、ものすごくたくさん著作があって(絵本まであった)、その中でいちばん私にとって関心のあった大川小学校についてのこの本を買って読んだわけです。

 で、おそらく、私が過去に、震災直後に書いたブログというのが、ここで書かれていることと関係が深いような気がしたので、本を読む前に、筆者に私のブログ読んでいただいたところ、これにもとても共感してくださった。


 この本を読み終えて、予想をはるかに超えて、筆者、西條氏と私は、具体的な個別の問題についてもそうだが(原発や地震予知など)本当に近い考えである。もちろん西條さんは学者さんとして私のようないい加減なところは全くなくて、厳密であるのと、何より私と全く違うのが、私が読むだけ書くだけの口先だけ引きこもりなのに対して、西條さんは、驚くべき行動家として、震災後に被災者のために活動していること。尊敬の念が湧いてくる湧いてくる。すごい人に出会ってしまった。すごい本に出会ってしまった。

 いや、この本、読んで。途中、ものすごくつらいけれど。第三部というのは、今まで日本の組織や意思決定の問題について書かれた本の中で、最高傑作だと思う。単に問題点を解明するだけでなく、それへの解決方向性まで明確に提言しているという点において。

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内容紹介の続きも引用しておきます。

「各方面から推薦の声、続々!!
ソフトバンク孫正義氏の側近から東日本大震災の被災地支援に従事、
「日本一若い校長先生」として札幌新陽高校校長も歴任した、荒井優さん(現東明館学園理事長)
「近年読んだ本の中で、一番おすすめしたいと思った本。行き着くのは、あなたにも僕にもこの事態を引き起こす可能性が高いということだ。そして、そうならないためには何をすべきなのか、の実践を重んじてきた研究者としての著者が惜しげもなく披露してくれている。学校関係者はもちろんなのだが、学校で教育を受けて育ってきた人たちにも、ぜひ読んでほしい」
生物学者の池田清彦さん(早稲田大学名誉教授)
「分析は緻密で、断片的なエビデンスを有機的につなげた力業で、並の努力でなし得るところではなく、大川小の事故のレポートとして、これ以上のものは望めないだろう」
大ベストセラー「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」(「もしドラ」)の作者、 岩崎夏海さん(作家)
「世の中の人は、とりわけ日本人なら、この問題は知っておくべきだ。それはつまり、この本を読んでおくべき、ということだ。この本は、大川小学校事件の問題の本質を描きながら、同時に読者を含めたほとんどの日本人の問題を描いてもいる。そして、多くの人に「反省」を促している本なのだ。ただ、恐れないでほしい。西條先生は読者の気持ちに寄り添いながら、肯定ファーストで問題の本質を丁寧かつ徹底的に教えてくれている」
『PLANETS』編集長、宇野常寛さん(思想家)
「生き残った私たちがやるべきことは“犯人探し"でも“忘れること"でもない。どうすれば繰り返さないで済むのかを知り、行動することだ。徹底した事実の積み重ねだけが産む本質的な洞察。人間たちの愚かさに唯一対抗できる静かな怒りと粘り強い知性の結晶がここにある」
話題書「マイノリティデザイン」の作者、 澤田智洋さん(電通コピーライター)
「この本は『生存の教科書』だと思いました。これだけ災害を経験している国なのに、被災者でないと、あるいは被災者であったとしても、“生存するための知見"はあまり溜まっていない。ましてや大川小学校のような、ある意味での“失敗の検証"も行われていない為、曖昧なまま過去の経験がなかったことにされている。そんな日本人の悪しき習慣に楔を打つ決定版だと思いました。素晴らしい一冊でした。何度でも読み返そうと思います」
教育学者・哲学者の苫野一徳さん(熊本大学教育学部)
「これほどにも胸に突き刺さってくるような研究書があるでしょうか。あの悲劇が起こった根本条件、本質構造を明らかにし、それを“反転"させることで、2度と同じことが起こらないよう、再発防止のための理論を作り上げる。大げさでなく、学問史に残る名著だと思います。そう、学問は、このように人びとの役に立つことができるし、またそうあるべきなのだ。私もまた、一学徒として、こうありたい。そう、胸を熱くもさせていただきました」


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