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『土にまみれた旗』ウィリアム・フォークナー (著), 諏訪部浩一 (訳) フォークナーの作品の多くが「ヨクナパートファ・サーガ」と呼ばれる連作、ひとつの架空の町の長い歴史と多くの人々を描いているのだが、その第一作がこれ。超重量級の大作でした。

『土にまみれた旗』
ウィリアム・フォークナー (著), 諏訪部浩一 (翻訳)

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「サートリス家の人間が、他の人みたいに普通の死に方をしたなんて話、聞いたためしがあるかい?」ーーあらゆる者が苛烈に生き、滅びゆく、20世紀最大の物語のはじまりの書にして記念碑的大作が、初の邦訳。
 暴力、スピード、死。心に傷を負い戦争から帰還した青年の絶望と破滅ーーガルシア=マルケス、中上健次ら次代の巨匠へ影響を与えた、世界文学史上最高の物語群ヨクナパトーファ・サーガ。その第一作となる傑作の「真の姿」を、フォークナー研究の第一人者が待望の初邦訳。『サートリス』オリジナル版。

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ここから僕の感想

 今年に入ってから、今まで全然知らなかったフォークナー作品を続けて読んでいるわけだが、初めに読んだ『アブサロム・アブサロム!』(池澤夏樹=個人編集世界文学全集)での池澤夏樹氏の解説で、フォークナーの作品の多くが、架空の街、ヨクナパートファ郡ジェファソンという街を舞台にした、大連作群「ヨクナパートファ・サーガ」というものであるということを知ったのだな。で、本作が、その連作の第一作ということなのだ。
 フォークナーの人生のほとんどを暮らしたミシシッピ州ラファイエット郡オックスフォードという街をモデルにしているのだが、そこの、南北戦争の前から話は始まり、この作品では第一次大戦後、1920年くらいまでが描かれる。

 これ、今、話題のガルシア=マルケスの『百年の孤独』にも影響を与えたと言われており、あの作品同様、「大佐」の一族の物語で、男は何代にもわたって同じ名前を繰り返し、この小説だと、サートリス家の男は「ジョンとベイヤード」という兄弟が、四代+次の代の赤ん坊一人、まで繰り返される。それをずっと見続ける、一族の女主人のような老婆ミス・ジェニーがいるのも、あちらでウルスラがずっといるのと似ているのである。

 サートリス家の男は皆、向こう見ずで危険を冒すことがもう遺伝というか運命づけられているというか、初めに出てくるミス・ジェニーの兄弟のジョンとベイヤードは、南北戦争の南軍で無鉄砲な大暴れをして、一人ベイヤードは命を落とし、もう一人ジョンは生き残って地域の鉄道王となり銀行も起こし、政治家になったところで、仕事仲間と決闘騒ぎを起こして死ぬ。このエピソードは、この前読んだ『フォークナー短篇集』の中の「クマツヅラの匂い」という小説で描かれていた。この短編で、父の敵討ちをさせられそうになる大学生の息子がまたベイヤードという名前なのだが、こちらの小説、第一次大戦直後では、父親の事業、銀行をついだ、耳の遠い頑固老人となっている。オールド・ベイヤードである。

 その孫、二人の兄弟がまたジョンとベイヤードである。二人は戦闘機乗りとして第一次世界大戦に従軍し、空中戦でジョンは命を落とし、目の前で弟を亡くしたベイヤードはその心の傷を抱えて帰郷する。ヤング・ベイヤードである。

 小説の主人公をあえて誰か一人選ぶならば、このヤング・ベイヤードなのだが、まあこのサートリス家の無鉄砲で暴力的で危険を冒さずにはおられない男たちと、それと関わらざるを得ない女たち、そして南北戦争前は奴隷だったが、その後も使用人として共に暮らし続けている黒人たち、狩りや密造酒づくりやなんやかやで関係のある町周辺の人たち、そういう群像とエピソードを、ものすごいボリュームと複雑な文体で描いていくのである。

 「中上健次にも影響を与えた」と言われているのは納得できる。ガルシア=マルケスのようなユーモアの感覚や荒唐無稽さは無くて、重量感があって濃密で、という小説世界を塗りこめていく感じは、たしかに中上健次ぽいのである。

 ヤング・ベイアードは弟を失った心の傷を抱えて、酒と車の暴走スピードスリルとで、自分や他人を傷つける行為を繰り返す。周り中がやめなさいといい、恋人に「もうしない」と約束するけど、ぜんぜん治らない。

 この「やめなさい」という恋人、ナーシサ・ベンボウの、そのお兄さん、ホレス・ベンボウも第一次大戦からの帰還兵である。ホレスの方は、文学青年の優男ではあるのだが、こちらは暴力的な壊れ方はしていないが、女関係でどんどん壊れていく。解説によると『サンクチュアリ』ではこのホレスがまた登場するらしい。

 激しく暴力的な人間と、文学的で繊細な人間、どちらもおそらくフォークナーの分身なのだと思う。戦争を通じて壊れてしまう人間のいくつかの異なるパターンを描いているのである。

 南北戦争と第一次世界大戦を通じて、常に激しい暴力の中で生き、黒人奴隷制の廃止と、その後も黒人とともに生きてきた南部の人のあり方というのは、これは日本にはないことだから、なんというか、現代のアメリカもこの延長線上にあるのだよなあ、と改めて思う。

 この小説の中でも、何度も狩りのシーンが出てくる。というか、フォークナーの小説、どれを読んでも狩りのシーンが出てくる。銃があって、猟犬がいて、馬がいて、そういうのが生活の一部に組み込まれている南部の人の生活が描かれる。今の銃社会の問題というのも、こういう南部の生活の歴史と切り離せないのだろうなあ、と思うのである。

 銃、狩り、自動車、という日常と、戦争、飛行機、どれもが一つ間違えると死につながる暴力として、生きることの中に組み込まれている。

 アメリカという国の根っこにある何かを、教科書に書かれた歴史ではなくて、人の生活の歴史の蓄積の中から知ろうとするならば、このフォークナーの作品群というのは、読まないと分かんないよなあ、という感じがしてくるのである。

 もうしばらく、フォークナー作品は続けて読んでいこうと思うのである。知らずに、読まずに死んだらまずい、いろんな意味で重要な作家であることを、あらためて感じた本でした。


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