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『ケプラーの憂鬱 』 ジョン・バンヴィル (著) 高橋 和久 (翻訳), 精密な天体模型を組み立てるように書かれた驚くべき小説。ケプラーの人生への敬意を、小説の構造で表現している。

『ケプラーの憂鬱 』(プラネタリー・クラシクス) 単行本 – 1991/10/1
ジョン・バンヴィル (著), John Banville (原著), 高橋 和久 (翻訳), & 1 その他

Amazon内容紹介

「初めに形ありき!」宇宙における調和は幾何学に基礎があると信じ、天球に数学的な図形を探し求めたヨハネス・ケプラー。本書は、天文学に捧げた彼の半生を追いながら、科学的真理は幻想から生まれることを描いたヒストリオグラフィック(歴史記述的)・メタフィクションである。1981年度英国ガーディアン小説賞受賞作。

ここから僕の感想。

 
 この前作の『コペルニクス博士』が、三島由紀夫的知的美文で、人生まるごとを大河ドラマみたいに描く大傑作だったので、それに続く科学者4部作の2作目として期待をもって読み始めたが、これが、読みにくーい。のは、5章からなる、どの章も、それぞれの中で、時間の経過が、変なのだ。まっすぐ進まないのだ。かといって、単純に遡っていくのでもないのだ。ケプラー何歳の、何年の話なのだ?というのを、日付に注意して、読み進めないと、すぐに分からなくなってしまう。

 中盤まで読み進むと、だいぶ、時代背景と人物と出来事と地理的関係が、なんとなく頭に入ってくるのだが。そもそも、宗教改革でルター派とカルヴァン派とカトリックが争っていた、ボヘミアとオーストリアとドイツの間を行ったり来たりするという、歴史的にも地理的にもよくわからない舞台のことで、巻頭にある地図と、巻末にあるケプラー年譜と、Wikipediaでの宗教改革あたりの記述を参照しながら、四苦八苦しながら読み進めた。

 人物としても、主人公ケプラーとコペルニクスを比較するとコペルニクスの方が魅力的だったし、周囲の人物たちもコペルニクスの周りの人たちの方個性的だったし。

 面白い面白くないでいうと、『コペルニクス博士』の方が圧倒的に面白かったのだが、何でこっちの方が何やら賞を取ったりしてるのだろうな。と疑問に思いつつ、やっとのことで読み終えて、訳者解説まで読み進むと・なんとまあ。

 壮大な知的お遊びであったのか。いや、お遊びと言うのは失礼か。小説を、そんな風に、精密な天体模型を組み上げるように、書くわけか。そう言われてみれば、ケプラーって、宇宙の、太陽と惑星の間に、幾何学的美しさを求め続けた人だっていうことを、この小説は書いてあるわけで。途中に、ケプラーが、太陽系の模型を、皇帝に金を出させて作る、という逸話も出てくるしな。まずは火星の軌道が、楕円だっていうことにたどり着くまでにとんでもない苦労をしたわけで。そのケプラーと同じような苦労を、小説を書く中で、ジョン・バンヴィルはやってみせるのである。奇特なことである。

 なるほどなあ、この、解説の答え合わせというか、解釈を読むところまで含めての読書体験、として考えると、ものすごく面白かったなあ。というか、なんか、珍しい体験でした。

 小説、文学というものの、奥深さ、いろいろあるもんだ、という驚き。そういうことに興味のある人には、おすすめですよ。

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