『まず牛を球とします。』 柞刈湯葉 (著) 短編集なんだけれど、それぞれの作品が創り出す世界が、どんどん広がっていくという新鮮な読書体験。ふだんSFは読まない、と言う人にも超おすすめ。
Amazon内容紹介
より、帯のコピーのほうがいいかなあ。
ここから僕の感想。
ここのところ超長編のヘビーな小説と、硬めの政治評論を読んだら脳味噌お疲れ気味になって新しい本が頭に入って来なくなった。(ウクライナ戦争周りの本を何冊か買い込んで読もうとしたが、全く頭に入らない。)
ので、ちょっと前に買ってあった最新・新世代の作家のSF短編集を読んだのだが、これ、大当たり。いやー、ほんとに一篇ずつは短いのだが、抜群に読みやすい、知的刺激極大、面白い。
僕はそもそもは短編小説はちょいと苦手で、それはなんでかと考えるに、短編と言うのはどうしても「切り取り方」「アイデア」「構成」みたいなことが勝負なところがあって、三島由紀夫なんかが短編を書くと「どうだうまくできただろう」みたいな作者の得意顔が浮かんだりするのである。ごくまれに短編の名手というような海外の作家が、短いのにその向こうに人生全体が浮かび上がるような名品を書く人がいたりするが、本当に稀である。
だからまあ、人生や世界をまるごと小説に書こうとする大作長編の方が「文学読んでるー」という感じがして好きなのである。うまくできるかどうかわからないが、へとへとになるまで書く、とことんどこまでも書く、みたいな小説が好きなのである。本来は。
なんだけどね。この人、まあSFの超短編だから、現代版星新一みたいな感じか、と言われると、たしかに現代の最先端科学知識と哲学的洞察から、知的な短編を編み出すという点ではたしかにそうだともいえるのだけれど、いやなんかもうちょっと違うんだよな。
と思ったら、最後に、じゃなくて、最後の一つ前に「あとがきにかえて」エッセイのような自作解題のようなものを書いてくれているのだけれど、その中で、なるほど、そういうことかあ、と納得の文章があったので、引用しちゃいます。
そうなんだよな。三島由紀夫を例に出しちゃったけれど、「作者の掌の上の小宇宙、よくできた箱庭」というのを見せられているようなのが短編小説を読むということだ、と僕はふだんは思っていて、それはあんまり好きじゃない。のだけれど、この人の小説は、ものすごく短いのに、作者の知識、作者が書いたものの外側に世界がどんどん広がっていく、そういうものとしてSF短編を書いているのだな。
と書くとすごく理屈っぽくて難しいみたいに思うかもだけれど、もちろん違います。もうところどころ爆笑して、横にいた妻に「どうしたの」って何度も言われるくらい笑ってしまったり。
現代の、コロナ禍のひきこもり生活・リアルな設定の作品もあれば。、未来、宇宙のどこか、主人公も、人間じゃない?宇宙や未来にちょっと今の人類と違う感じになっている人みたいなSFぽいものから、大正時代の女学生とか、中国・元(モンゴル)の治世下での漢民族の天文学者とか、過去歴史ものまで、舞台設定はものすごく幅広い。
のだけれど、全部とは言わないけれど、割と通底した問題意識、テーマとしては、科学的思考をつきつめたときに、人間の自由意志の余地がどのようにありうるか、ということがあるようなんだよな。そういう意味では、昨日、感想を書いたフランシス・フクヤマのリベラリズムの本ともちょっとつながりはあるか。
あとがきのさらに後にボーナストラックとして配置されている「ボーナス・トラック・クロモソーム」の一節を引用して感想おしまい。「原の紹介する本はどれも長いか難しいかでハードル高い」と不満のみなさん、これはほんとに軽く楽しくすぐ読めて、でもいろんな意味で知的最先端に触れる喜びがあります。超おすすめ。
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