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うわさ

アメリカのイラストレーター、ノーマン・ロックウェルの絵に「うわさ」というものがある。

絵はマンガのように左上から始まり右下へ。黒革の手袋の女性が、どこかで聞いた話を別の女性に伝えている。するとその女性もまた次の人へうわさをリレーする。途中で電話を介している(実際に対面していないのに目線があっているようで愉快)。途中で会話を盗み聞きしている人。そこからどうやら非常に声の大きい人の耳に入ると、話が誇張されている雰囲気もある。最下段の中央、指を差されて笑われているのは、きっとうわさの当人だろう。最後は、お前さん俺の話ばらしたろう、と言わんばかりに、黒革の手袋の女性に戻ってくる。


Norman Rockwell (1894-1978), “The Gossips,” 1948. Painting for “The Saturday Evening Post” cover, March 6, 1948. Oil on canvas. Private collection. ©SEPS: Curtis Publishing, Indianapolis, IN / 引用元:http://www.sothebys.com/en/auctions/ecatalogue/2013/american-art-n09048/lot.16.html


この絵がとても面白いのは、とびきりのうわさはうっかり人に話したくなるもの、という当然の事実を思い起こさせることにある。そして同じ人物が二度出てくること。最初はうわさの「聞き手」として、次は「語り手」として。

ここで、「うわさ」を「ストーリー」と、より一般的な名詞に置き換えてみよう。

ストーリー

イラストでは15回、ストーリーが語られる。このとき、ストーリーはすべて同じ。でもきっと同時に、どれとして同じではない。心地よい矛盾がある。ストーリーの「幹」、中心となる部分はおそらく全員の中で共有されているのだろう。でも人によって、なぜ興味を惹かれたのか、どこを肉付けしたのかは少しずつ異なっている。みな、自らの背景や趣味に応じて、おかしいと感じたり語りたくなったりする部分が違う。だからストーリーはひとつでも、15人いれば、15通りの文脈が花開いた。

ストーリーは、語られるたびに「新しい命」を得る。語り継ぐことはストーリーを「生かす」こと。そして語り継ぐことで、読者はいつの間にか作者になる。最初は「聞き手」であった人物が、心に火種を灯されて、すぐに「語り手」になってしまう。それほどに共鳴している。もはやストーリーの「書き手」となったとも言える。

語り直すことで、ストーリーを書き直している。書き直すことで、それは自らのものになる。語り継ぐことはストーリーを「所有する」ことだ。

コンテクスト

コンテクストの総体(=ストーリー)が常に変化し続け、語り直されている。この運動を、ストーリー・ウィーヴィングと呼ぶ。ここでは、すべての人が主体的にストーリー・ウィーヴィングに加担している。以前『ストーリー・ウィーヴィング』という本を書いたが、この『コンテクストデザイン』はその概念を拡張したものになっている。

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渡邉康太郎 / Takram @『コンテクストデザイン』青山ブックセンターにて発売中
記事執筆は、周囲の人との対話に支えられています。いまの世の中のあたりまえに対する小さな違和感を、なかったことにせずに、少しずつ言葉にしながら語り合うなかで、考えがおぼろげな像を結ぶ。皆社会を誤読し行動に移す仲間です。ありがとうございます。