自己肯定感と嫌われる勇気
ここ数年、「嫌われる勇気」という言葉を、自己啓発に関するところで、よく目にすることが増えているように思います。
あまりわたし自身は、その言葉に踊らされているつもりはないのですが、少しだけ、思うところがあったので、その話を。
まず、「嫌われる勇気」というものは、当然ですが、「嫌われる勇気」のない人に向けられた言葉ですよね。
この言葉を目にするようになったとき、正直わたしの心には響かなかった。
なぜなら、すでに持っているものだったから。
臆病だけれど、「嫌われる勇気」は持っていたのです。
ある偉大な先輩をきっかけに。
その先輩は、中学時代の部活動の二つ上の先輩で、わたしが入部したとき、部長をやっていました。
部活動自体(吹奏楽でした)、真面目に、熱心に取り組んでいるような部でしたが、その先輩の厳しさは他にはいないほどでした。
挨拶などの礼儀に厳しいことはもちろんのこと、何を指示するにもキツめの口調。その先輩と同じ学年の先輩でさえ「怖いね」「厳しすぎない?」「一年生かわいそう」とささやいているほどでした。
当然、入部したばかりで、まだ右も左もわからないわたしたち同期も、揃って「○○先輩怖いね」「怒られないようにしなきゃ」と言い合っていました。
でも決して、悪い人ではなかった。
明るくて、笑顔が素敵な先輩で。
わたしはその先輩から直接指導していただく機会も多々あったのですが、いちから丁寧に教えてくださる人でした(緊張はしていたけど)。
入部してから、数か月ほど、「部長の先輩は怖い」という認識の中で、同期と肩をすくめながら過ごしていたある日のこと。その部長の先輩と仲の良い先輩が、そっとわたしたち一年生のところへ来て、こんなことを話してくれました。
「○○ちゃんはね、みんなにきつく当たっていて、厳しすぎるかな、と思うことも正直あるんだけど、全部みんなを思ってのことなんだよ。○○ちゃんは、とにかく部活が大好きで、この部活をよくしたくて、そのためなら自分は嫌われてもかまわないと思って、みんなに厳しくしてるの。だから、それはわかっておいてね。」
その先輩は、部長の先輩がいないのを見計らって、とてもやさしい口調で、そう教えてくれました。
この日から、わたしたち同期、一年生の意識が変わったように思います。
綺麗事のように聞こえるかもしれませんが、みんなが真剣になって、部長の先輩を受け入れ、話をしてくれた先輩のことばを受け入れ、がんばろう、と決意した。
部長の先輩を見る目も、大きく変わって。
本当に大切に想うものには、自分すら犠牲にできるのか、と、当時のわたしには衝撃で、そしてやけにかっこよく見えたのです。
小学生の頃から、班長だとか、クラブや委員会のリーダーだとか、学級委員だとか、比較的人の上に立つことは多かったのですが、その先輩ほどの覚悟を持ったことはありませんでした。先輩に出会って、その意識が大きく変わったのです。
ただ、それがいきすぎて、自己肯定感を見失っていた。
今振り返ってみると、自己肯定感とか自信とか自尊心とか、そういうものを見失っていったのは、ちょうどその頃だったように思います。
何度もボロボロになって、挫けて、そんなことも思い出にできるようになったのは、ほんとうにここ最近のこと……
ただ、もしも今、その部長の先輩が当時を思い返したときに、いやああれはちょっとよくなかったよ、と言ったとしても、それでもわたしにとっては、ひとつの人の在り方として、これからもずっと憧れであり、目標であると思うのです。
それくらい、大きな存在です。
人の上に立つときに限らず、周りに見放され、捨てられ、嫌われたときも、わたしは自分が正しいと思うことをひたすら選んできました。
正しいことを続けていれば、きっといつか誰かが気づいてくれる、と。
どんなことでも、まずは自分が正しい行動をするべきだ、と思っています。わたしのひとつの信念かもしれません。
まだここには書けていないような、というか他人には言いづらいようなことを、正直それなりに経験してきた方だと思います。
だけど、そういうこともぜんぶ含めて自分で。
だから、この先も関係を続けていきたい人や、仲良くしていきたい人には、隠していたくないのです。
もちろん、話すタイミングや、相手にはいつも慎重で、迷いもします。
やっぱりそばにいてくれる人って大切じゃないですか。ひとりぼっちは寂しいじゃないですか。
でも、それで嫌われたり離れていったりしたら、それまでだな、と思うのです。
そういうのが、「嫌われる勇気」なのかもしれないな、と。
ありがたいことに、こんな生き方をしていても、わたしのことを想ってくれる人がたくさんいます。
こんなに曝け出しても受け入れてくれるんだ、って。
もうびっくりするくらい、わたしの周りにはいい人しかいないんです。人の運にはほんとうに恵まれているなあと思っています。
きっと、一生かかっても感謝しきれないくらい。
そういう人たちがいるから、わたしは生きていられるんだなあと。
改めて、ありがとうございます。
そんなことに気づかせてくれたのも、これまた仲間との会話でした。
みんな色々あって、自分ひとりだけが不幸せだなんてことはなくて。もちろん、わかってはいるし、当たり前のことかもしれないけど、それでも落ちこんだときって、いつの間にかひとりぼっちになっている。
ひとりじゃないんだよ、って教えてあげたい。
そんな人たちに。昔の自分に。
生きていればなんとかなるよ、って。
そして、「今が一番幸せ」と思える自分を誇りに思います。
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