あの日よりもっと美しく咲いて
桜は散るときが一番好きです。
奇しくも、私の好きなバンドは、春にデビューしていたことが多かったり、桜にまつわる歌を歌っていることがあったりします。
相変わらず(?)季節外れな話をしていますが、今日は『ヘタリア』の話を。
私がヘタリアを知ったのは、アニメ配信が始まった中学生の頃。
同級生にヘタリアを好きな子がいたのです。
ただ、その同級生は、私のことを嫌っていた子でした。
当時、思春期真っ只中の中学生。
自分のことを嫌いな人の好きなものなんて、と、毛嫌いする、というほどではなかったものの、どうしても触れようとは思えませんでした。
だって、その同級生のことを思い出してしまうから。
とはいえ、物心ついたときから、地図や国旗を見るのが大好きで、小学校低学年の頃には歴史が好きだったので、興味はずっとあったのです。なんやかんや、オタク気質だし。
あれから十数年。
今年の六月頃、なぜかふと「よし、ヘタリアを見よう」というタイミングが訪れ、それからというもの、毎夜毎夜、ヘタリアのアニメ(しっかり1期から)を流しながら寝る、という生活が始まりました。
(まあ、つまるところ、寝落ちしていたので、きちんと観てはいなかったと思うのですが……。)
蓋を開けて見ると、これまで、全然ヘタリアというコンテンツに手をつけてこなかったはずなのに、なぜか主題歌は耳馴染みがあるし、キャストの方々の「うわっ、めちゃめちゃ世代……」感(とは)はすごいし。
そして何より、歴史や政治にまつわる小ネタの散りばめられよう。これが楽しくて仕方がなくて。
今年の春というと、ちょうどアニメの最新シリーズ(World★Stars)の配信がされていて。
なんと、一期から見始めたというのに、それにすら追いついてしまうほど、文字通り毎夜毎夜、ヘタリアを観ていたのです。
こういうとき、アニメは手軽でいいなあと思いますね。
ま、その最新シリーズって七期なんですけど。
(でも七期は短めだし見やすくておすすめ!ですよ!)
そんな生活をはじめ、すっかりヘタリア中毒者のようになった私が、アニメだけでは飽き足らず、そのままヘタミュにも手を出し始めたのです。ほんと、dアニさんにはめちゃめちゃお世話になりました。
本題はここからです(前置きが長いんだよ)。
2.5次元舞台には、正直あまり詳しくないのですが、ヘタミュについては、キャストさんやスタッフさん、もちろんファンの方々にとって、「特別」である、という印象を勝手に抱いておりました。
たぶん、廣瀬大介さんの影響で。
いや、廣瀬さんのファンの方々の影響で、というのが正しいのかもしれません。
廣瀬さんのことは、お名前だけは薄ミュや刀ステに出演されていたころから存じていたのですが、きちんと認識したのは、私がA3!を始めた2020年。
それから、あっと思い出して、記憶の穴を埋めるように、色んなことを調べて、見て、聞いて、知って。そうだヘタミュにも出ていたのだ、と。
やや話が前後しますが、昨年の秋に、ヘタリア再始動のニュースを見て、まだ手をつけてもいなかったのに、Twitterでしっかり反応するなどしていたのですが、私がヘタミュ過去作を観始めた頃には、最新作のキャストの情報も出てきていて。
順を追って観ていた過去作も、七月の半ばには、「最後のライブ」と言われていた、FINAL LIVEに追いついていました。
かつてあった「最後」を観ながら、最新シリーズの情報を待つ、というのは、なんだか不思議な感覚になりながらも、その「最後」に、たくさんの人たちが信じて止まなかった「いつか」を今生きているのは、本当にすごいなと思って。
それだけで、泣けて泣けて仕方がなかった。
ああ、夢って、大人になっても、何年と間が空いても、叶うんだな、って。
重なる奇跡を想って、もう言葉も出なくなるほど。
そして、大千秋楽での、廣瀬さんの挨拶。
このときのことは、噂には聞いていたけれど(なんだかいやらしい言い方になってしまって申し訳ない)、まず思ったのは、「ああ、この人やっぱりものすごく優しい人なんだな」、と。
そんなこと、他のキャストさんの挨拶からもわかるし、今のお仕事での配信やラジオでも、わかるのだけど。でも、舞台って、そういうものがよりいっそう伝わるんだなって。舞台で嘘はつけないとよく聞くけれど、こういうことなのかもしれない、と。
おそらくそれを受けての、植田さんの挨拶。
廣瀬さんに対する、「僕はあなたのことが大っ嫌いでした!」も、かえって清々しくて、かっこよかった。
あんなに美しい涙を見たのは、はじめてだったかもしれない。
その後の、「わかるんです、舞台をやってる人間って。その人がどんな思いで立っているのか」(ニュアンスです、とても申し訳ないです)という話も、おこがましくも、深く共感してしまった。
中学のときの自分が、そうだったから。
中学当時、吹奏楽部だった私は、元々音楽が好きだったこともあり、その楽しさにのめり込んでいました。
先輩が引退して、自分達の代になってからは、副部長もやったし、パートリーダーもやった。新入部員の育成係みたいなものもやった(そんな名称はまったくなかったのだけれど)。
弱小校ではなかったし、むしろ地元では金賞常連、代表だって経験してきたような学校というだけあって、練習もそれなりで。
とはいえ、色々な部員がいるのは当然のことでした。上手な人、下手な人、やる気のある人、ない人。それをまとめていくのは難しい。それでも、上の大会に行きたい、という共通の目標はあって。
わかってしまう、本当に。自分が一生懸命やっているからこそ。
適当な気持ちでやっている人間がいることを。
決して同じ気持ちにはなれないことを。
そんな人間に、自分が嫌われていくことを。
先述してた、「私のことを嫌っていた」「ヘタリアを好きな」同級生は、同じ部活の子でした。
中でも筆頭だったんじゃないかな、そうやって私と気持ちが離れていった人の。
もしもあの頃、部活以外に打ち込めるものがあったら、何か違っただろうか。
それこそヘタリアに触れていたら、大嫌いで大の苦手だった英語も、頑張れていたんだろうか。
ま、そんなことを思うのは一瞬で。
遠回りだったとしても、はっきりと自分の意志で、ヘタリアのアニメを観て、舞台を観て、そしてそれを全部見終えて、素直に好きだと思えることは、ヘタリアというコンテンツに縁があったのだな、と思うわけです。
どうしたって、結局私は真面目さを捨てきれない人間なのだと思います。
一生懸命やることが、努力することが美徳だという意識を捨てられないのは、それで今まで救われてきたから。
一生懸命がんばっていれば、きっと誰かが見ていてくれると。
そんな自分を、見つけてくれる人がいるのだと。
そういう人たちが本当にいたから、私は真面目なままなのだと思います。
真剣に部活に取り組んだ日々は、間違いなく私にとって青春だったし、あの頃にしか放てない輝きがあったから。
今は前を向くだけです。
あの頃みたいに、後悔したりしないから。
真面目なままだと言いながら、適当になったところもあるし、まあいっか!と割り切れるようにもなったし、なんというか、強かに生きているのかなあと。
あの頃、「最後」と思いながら見た桜が、願った「いつか」という今、もっと美しく咲こうとしているように。
散る姿が美しいのだとしても、咲こうとする姿だって、美しいのだ。
p.s.
思いっきり名前を出してしまいましたが、廣瀬大介さん、植田圭輔さん、もちろん他のキャストの皆様も、みんなみんな大好きです。
関わっているすべての皆様に感謝を。
ミュージカル『ヘタリア〜The world is wonderful〜』が無事に上演されることをお祈りしています。
よろしければ、サポートよろしくお願いいたします。