生きる意味って
夏は夕暮れ
夏という季節の一番の美しさは夕暮れから宵にかけての空の光にあると思う。他の季節では感じることのできない複雑な光と生きものの気配。そして匂い。
意外と夏は繊細なんだなということがよくわかる。
生きることに意味などないと、小さなころからずっと思っていた。
生まれたことに動機も意志も何もない。もしかすると自分以外の他の人の動機や意志がそこにはあったのかもしれないが、それは私の知ることじゃない。
他の無数のものたちと同じく、生物としてのCodeに則って生まれ、プログラム通りにできるだけ環境に適応して生きていく。
そこには意味が入る余地がないように思えた。
余地がないものを求め続けることは苦しみをもたらすだけのように思えたし。
空白を見ようとし続けているうちにタイトル画像の「哲学者」の表情みたいになりそうで、生きる意味を探すことは、快適を追い続けるという生物のプログラムに反した人間特有の行為だと思っていた。
他の生物は誰も生きることの意味なんて求めないでしょ。
もし、意味を求める生物が人間以外にいたら教えて欲しい。
ところが、最近になって、生きる意味があってもいいんじゃないかと感じるようになった。
これは、私自身が良くなったためか、悪くなったためか、あるいは単なる加齢現象なのか、そこのところはよくわからない。直感的には、別に良い悪いなんてものはどこにもない気がする。
とはいえ、具体的なことはよくわからない。
一つだけ言えることは、noteに私の物語を書き続けるうちにそう感じてきたということで、そうすると、少なくとも物語を語ることは生きる意味に含まれていてもいいんじゃないかと思う。
というか、私の生きる意味は自らの物語を語ることであってもよい。
そう決めても、私も、私たちも、誰も困らないだろう。
物語は別の物語の影響を受けて豊かさを増す。
だから、みんなどんどんnoteに自らの物語を書き綴ってね。
もし、その物語が自らの体験を語ったものであるときは、私は証人(Witness)としてそれが本当にあったこととして認めるから。