あの日のこと
前回の詩のことを含めた話
まり(23番:解離によって生まれた複数いる中の代表的なパーツで存在を知ったのは昨年)と一体化した後、いろいろと不思議なことが起きている。
その一つは、20歳になって家を出るまでの自分の感情の再体験で、何も覚えていなかったものや、出来事自体の記憶はあるけれど特に何も感じていなかったものに対する感情の甦りである。その他にも、これまで感じたことのないような強い身体の違和感(性別の違和感を含む)や自分でも理解できない感情(怖いものではない)などもあるのだが、今回の記事の内容とはあまり関係ないのでここでは触れない。
前回の詩に書いた出来事についても、その出来事自体の記憶はずっとあった。ただ、そこには事実の認識以外の感情は一切なかった。十代の終わりの5月、晴れ渡る初夏の日に、知らない町の知らない場所を大した目的もなく一人で歩いたという事実。なのに30数年後になって初めて、そのときの感情を見つけた気がした。
消えないうちにその感情を辿って詩にしようとしたが、うまく書くことができない。ロックがかかっているように、言葉にすることができないのである。どうしようと思っているうちに、感情はすぐそこに見えてはいるけれど流れる道すじが自分を通っていないように感じたので、まりの感情を辿る(誤解を招く言い方だが、まりになる)ことにした。すると言葉が何のためらないもなく自然に外に流れてきて、あの詩になった。
よく考えれば、臨床心理士の方とのカウンセリングのときもそうだったけれど、自分の場合は、感情を持ち続けていたパーツになることで、初めてそれを言葉にすることができるらしい。今から考えると、カウンセリングのときはクマのぬいぐるみを見たことをきっかけに8歳の男の子のパーツが出てきて初めて、当時自分を汚いと思っていたことや、見えない場所に大切にとっておいた楽しい記憶を言葉にできたようだ。
言葉にできる前は、心理的にパニックになるようなフラッシュバックが起きたことを認識しながら、何の感情にも触れず、ただただ客観的な事実として淡々とそれを臨床心理士の方に説明していたわけで、詳しくは聞かなかったけれどどういう風に思われたのかな。どうしようかと最初思いました、とおっしゃっていたけれど。
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あの日にやったことは、小さなころから繰り返していたことと同じ。単純に言えば、誰にも言わずに一人でどこかに出かけてその間、見えているもの以外のことは何も考えないようにしていた、ということだ。ある程度大きくなった10歳ごろからは、電車に乗って知らない町に行ったりもしていた。行きつく先でうろうろしていて、知らない女の人に一緒にいてもらったこともあった。その人は、子どもが何も持たずに一人で同じ場所をうろうろしているので心配してくれたのだと思う。
そしてあの日は、平安時代の和歌に歌われている場所に行ってみた。何故その場所を選んだのかは覚えていない。
ただ、ずいぶんと離れたところにある最寄りの駅からその場所までにはめぼしいものは何もなく、今では日本中でみかける国道沿いのロードサイドの風景がひたすら続いていて、たくさんの車たちが轟音を立てながらすぐ横を通り過ぎる誰もいない歩道を何も飲まずにひたすら歩き続けることになった。路地のたくさんある場所で育った自分には、あまりにも無機質でとても受け入れられない場所でもあった。
帰りは別の駅に向かった。その小さな駅には地元の高校生たちがたくさん電車を待っていて、夕陽の中で笑いさんざめく彼らは決して無機質なものではなく、今そこに生きているものとして感じられた。そして私は、あまりにも違う世界にいる彼らに嫉妬していた。当時は嫉妬とはわからなかったけれど。
でも
あの日私は一人ではなかった。
まりがずっと横にいて、辛い道のりを一緒に歩き続けてくれていた。
見えないものに生かされることは確かにあるのだ