物語を書けるようになるまで(エッセイ)

幼い頃から本が好きだったので、漠然と言葉に関わる仕事がしたいと思っていました。

言葉に関わる仕事といってもあまり思いつかず、またもや漠然と小説家になりたいと考えるようになりました。

初めてきちんと小説を書こうと思ったのは高校三年生のときでした。
部活を引退して莫大な時間を手に入れたこともあり、昔から頭のどこかでちらついていた夢の尻尾に触れてみようと手を伸ばしたことがきっかけでした。

結果から言えば私は、書き終えることができませんでした。
それどころか好きだった読書すらも失うことになりました。

近所の図書館へ自転車で行き、アイデアノートと原稿用紙を広げたときのワクワクした気持ちは今でも覚えています。
勢いのままにドクターグリップのシャープペンシルを走らせ、起承転まである程度形になったところで一度読み返しました。

なんてことはない高校生が書く少し屈折したラブストーリーだったのですが、私はそれを読んでから10年以上も物語を書くという行為から離れることになります。
それだけではなく、本を読むことからも何年も遠ざかることになりました。

私の書いた物語はそのまんま山田詠美さんの「ひよこの眼」だったのです。

それを読んだ私の感想は「恥ずかしい」でした。

私は自分が原稿用紙を広げていたことを恥じました。
まるで小説家にでもなったつもりで意気揚々とシャーペンを走らせ、わざとらしく頭をひねり、顎をなでながら書いたものは、昔読んだお話の質の低いモノマネでしかありませんでした。

私は急いで原稿用紙とノートを鞄にしまうと逃げるように家に帰りました。
原稿用紙の上に自由に自分の物語を始められるはずが、自分の内側に自分だけの物語が存在しないことを確認して絶望しました。
今まで好きだった物語たちが、まるで私から自由なアイデアを奪っていったかのように感じて、それからは本を読むこともなくなりました。
新しい本を読むたびに自分の可能性が一つずつ潰されていくように感じるようになったからです。

それから10年以上の時が流れました。
たまに気まぐれに物語を読むこともありましたが、以前ほど熱中することはありませんでした。
同時に、日々社会の中で生き抜くことに必死になり、読む本といえば自己啓発本やビジネス書などばかりで、私の世界は現実だけのものになっていきました。

現実の世界のできごとは私にとって重たくて冷たいものでした。もちろん心温まることや心から笑うこともたくさんありましたが、私にとっての現実は「正解を選ぶ」という作業の繰り返しでした。
そこに自分の言葉はなく、提示されたいくつかの言葉の中からもっとも適切なものを選ぶだけでした。

ある日、学生時代からの友人に聞いて「文学フリマ」なるものを知りました。コミックマーケットの文学版だと解釈しました。
その友人の誘いで本を作って出店することになりました。

それをきっかけに私は久しぶりにノートと、当時はなかったノートパソコンに向き合いました。
すると、今まで私の中で固く重く積もっていた現実が、物語という器を手に入れたことでゴボゴボと音を立てて溢れ出したのです。

経験したことのないことを書ける人が才能のある小説家なのかもしれません。
でも、私にとっては必死に生きた日々が、情けなくも前に進み続けた日々が、物語を書く土台になりました。

誰でも一生に一本は傑作小説を書けるといいます。
それは「自分の人生」を書けばいいからです。

自分の人生を土台にした物語が面白くあるためには、たくさんの感情を経験することが大切だと思っています。
喜怒哀楽なんて単純なものではない、細分化された細かい感情の端々をきちんと捉えて大切にとっておくこと。
そのためにいつでも柔軟で、何事にも熱っぽく、同時にどこか冷めている、そういう姿勢を大切にしたいと思っています。

私が初めて物語を書こうとしたあのときの劣等感や恥ずかしさも、今私の糧になっているとやっと思えるようになりました。
物語を書くために一番必要なことは「日々を必死に生きること」だと思います。

こうして私は物語が書けるようになりました。

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