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人を理想化し、人に理想化される。


私は結構、好きな人と興味ない人がはっきり分かれる。好きな人は本当に大好きだけど、興味ない人は本当に興味が湧かない。

興味ない人に何思われていても、どう思われていてもどうでもいい。好きな人が私のことを好きでいてくれたらそれで全部いい。

一旦好きになった人は、友達でも恋人でも「コイツ、一生、大切にする…」という大変重い愛を持ってしまう。本当に大好きになっちゃうのだ。
そして、好きな人の全てが素晴らしい、と思う。好きな人は完璧だと思っていた。



好きな人が完璧だと思っていたのは、私自身のものの見方がとても歪んでいたことに関係する。

私はダメだから、私以外の人は生きてるだけで全員すごい。みたいな考えを持っていて、人の欠点?も私にとっては存在しないものになっていた。
(欠点というとアレだけどなんか変だなとかやだなとか思う部分のこと。ここからは便宜的に欠点とします。)



私はダメだから頑張らなくちゃいけない。と思っていた。そういう思い込みが存続するには、下記のような歪みが必要だった。

つまり、私がダメだということが証明され続けなければならない。そのためには、他の人が完全にすごくないとダメだった。
他の人は私のために、理想化されていた。

私がダメなところを矯正し続けるためには、欠点の存在は罪で、撲滅しないといけなかった。
その際、「他人もこんなにダメなところあるよ」という情報は不要だ。なぜかというと、他の人にダメなところがあるのに普通に暮らしているということがわかってしまうと、私のダメなところも許されてしまうから。

他の人は完璧で、「他人はこんなにすごい!」と思えるからこそ、自分の至らなさを責めて「改善しないと」と思えるのだ。


たとえそれが現実と違っても。




そういう歪みが私にはあった。
最近色々あって、その歪みが取れた。



歪みが取れたら、まぁ!びっくり!
好きな人にも、めちゃくちゃしょうもないところがある〜!!!!
ちょっと、だいぶ、衝撃〜!

久しぶりに会った好きな人に対して、「アレ?この人、こんな人だったっけ…?」って思うようになった。

それでも、「好きな人、めっちゃ好き!」という気持ちはある。

しかし、

「好きな人、たまにめっちゃ謎に芸能人に怒っている!なんで?」

「好きな人言ってることとやってること全然違う!人に言うだけで自分はやってなかった!びっくり!」

「好きな人の怒るポイントがめちゃしょうもない!そんなことどうでもいいやん!」

という日々の気づきに衝撃を受ける毎日である。

理想的な世界の住人を好きになった(と思い込んでいた)私にとっては、好きな人たちに変なところ、ヤバいところ、ちょっとおかしいんじゃないか?と思うところがあることにとても驚いた。


色眼鏡を外して、現実の人間を見たということなんだと思う。


そういう欠点や個性的な部分があるのは人だから当たり前なんだけど、今まで見えてなかったから、自分の中でどう扱えばいいかわからなくて困ってしまった。そういう部分を自分の中でどう収めればいいのかわからなかった。

私は自分の欠点を許せなかった。(それは親が私の欠点を許せなかったと言うことなんだろうけど。)
だから他人の欠点もまた、許せなかった。


好きな人と付き合えていたのは、欠点がそもそも見えていなかっただけで、完璧な人だと思ってただけで、欠点が見えた上で受け入れていたわけではなかった。


欠点が見えてしまったら今までのように、手放しにみんなすごい!とは思えなくなった。悪く見える部分にイラついたり、こんな人だったんだと思って困惑したりした。

でもそれはその人たちが悪くなったとかダメだと言うことではなくて、本格的に私の歪みが露呈したということだ。「欠点を受け入れられない自分」が、露呈しただけだ。


欠点があるのも人だから当たり前で、人はその性質上、完璧じゃない。
欠点がある私の好きな人たちも、欠点があるからと言って素敵な部分が消えるわけじゃない。

そういう欠点を私の歪みでこんなにも消してしまっていたのだと驚いたし、私がどれだけ理想化して人を見ていたかに驚いた。

人を現実的に見たら、こんなにみんな色々不完全なのかと思った。不完全な中で色々頑張っているんだと思った。

私の妄想上に存在した、完璧で理想的な人なんかいなくて、誰しもが自分の限界と闘いながら現実を生きている。

そういう現実を最初は受け入れられなくて動揺して、1人で怒ったりわからなくなったりしていた。欠点があるのはダメだから縁を切らないといけないのかなって本気で悩んだ時もあった。

けど、最近やっと「そういう部分があっても、私はこの人たちと過ごしたいんだ。一緒にいたいんだ」ということがわかった。

そしたらすごく楽になった。

私は、欠点があってもこの人たちが好きだった。

私自身にその欠点があったら、絶対直さなきゃって思うけど、そういう脅迫的な考え自体がきっとどこか歪んでるんだと思う。

人のダメなところを治し切るなんて、できっこないし、そもそも治さなきゃいけないのか?
私は欠点がある人を愛す。だって好きなんだもん。一緒にいたいんだもん。

こんな欠点のある人とは縁を切った方がいいんじゃないかという考えがめちゃくちゃよぎった。それはきっと私自身にかけられた呪いだ。


…でもそんなことでこの人たちを失いたくない!なんかその考えおかしい!
そう思って「ダメなところがあったらダメ」という考えに反抗し続けた自分にマジで拍手を送りたい。

ありがとうマジで!

そんなこんなあって、私の中で理想的で完璧な好きな人たちは、ダメなところも変なところもある、現実を生きる素敵な好きな人、になったのでした。

イェーイ🥴



こういう出来事があってから、「あ、この人は私を理想化しているな」という人のこともわかるようになった。

私も誰かに理想化されている。

それはちょっとだけしんどい。

私はそんな人間じゃないから。
それは決して卑下して言ってるんじゃなくて。
現実的な私を受け入れてほしいなと思う。
私はできないことも限界もあるし、しょうもないところもある。それをわかってほしい。

でもやっぱ私自身もやっちゃってたから、その人にそれダメだよと言う気はさらさらないし、仮に言ってもタイミングが合わないとわからないと思う。

ただ、私はあなたの理想をいつかきっと、必ず裏切るし、現実が見えた時あなたは私にきっと落胆する。

でもそれは私が悪いんじゃなくて、あなたが人を理想化していたということにすぎない。

私と一緒。

いつか、私の本当の姿があなたに見えたらいいなーと思う。そしたら本当の姿で話そうね!

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