大好きだった人が結婚する
大好きだった人が結婚することを決めたらしい。
大好きだった彼は、3年ぶりに再会した私に、煙を吐きながら教えてくれた。
私は彼のことを本当に好きでいた。
最近ハマっていた大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で、女性が思いを寄せる男性に、「お慕いしております。」という言葉で、愛を伝える場面があったが、私の彼への気持ちは、その言葉に近いような気がする。
大好きだけどそんなに軽い言葉じゃなくて、愛しているというほど情熱的でもなくて、ただ、尊敬している人の幸せを祈るような、静かな気持ち。相手にお守りとして持っていて欲しいような、彼が辛い時に少しの光になれたらとひそかに願うような、果てなく広がる、おおきな気持ち。
私は彼のことが好きだった。果てしなく好きだった。彼も、私の気持ちに気づいていた。気づいていなかったとは言わせない。
彼と出会った当時、男性経験がなく、頭の悪い女だった私は、この気持ちは全然バレていないと思っていたけれど、今思うと私の好意なんてバレバレだったと思う。
目を合わせないで、自分のことをぶつぶつしゃべる不思議な人だった。ひょろりと背が高く、おじいさんのような雰囲気を持った人で、サークルの会長だった。
関わり出すと、彼は気さくで優しい人だと分かったし、思考がとてもよく合致した。合わせることが上手な人だったのかもしれないし、私が合わせに行ってしまっていたのかもしれない。するりと人を自分の懐に入れ、彼もまたするりと人の懐に入り込む人だった。それに加えて彼はものすごく聞き上手だった。他人の意見を否定しない人で、相手と違う意見を話すときには、「そうだね。それもそうだし、」という前置きをして、相手の意見を受け止めてから話す人だった。
彼が住む一軒家のシェアハウスにはよく人が集まった。私も便乗してよく遊びに行った。年上と、男性と関わることが大の苦手だった私が、男の先輩とこんなふうに楽しく遊べるなんて、当時の私にはとても不思議で、そして嬉しくてたまらなかった。
彼がぶつぶつとする話は、どれもこれも苦しみを抱えた人間が思考を続けた末に出た言葉だったように思う。そして私はこんな苦しみを知っている人間のオスに、出会ったことがなかった。こんなに苦しみを言語化できる人間は初めてだった。彼がすごく特別に思えて、もう必然的に好きになった。
好きになってすぐ、彼に恋人ができた。それでも私は彼が好きだった。彼がその恋人と別れても、次の好きな人を作っても、彼に恋愛相談をされたときも、私に初めての恋人ができても、私がその恋人と別れても、私は彼のことがきっとずっと大好きだった。きっとずっと、彼のことを慕っていた。
私が初めての恋人と別れて、落ち込んでいることをメンヘラだと周りにからかわれ、さらにひどく落ち込んでいた時、居酒屋で彼にそのことを話した。言いつけるような気持ちで彼に話すと、彼は予想通りすごく怒ってくれていた。口元を押さえて絶句して、その後大きな声で「大(だい)きもいじゃん‼︎」と言ってくれた。そして、
「大丈夫。落ちるところまで落ちたって、’わたし'は戻ってこれるよ。」
という言葉を私にくれた。この言葉が何度私を闇から掬い上げたことか。こういう言葉をたくさん、たくさんくれる愛の人だった。彼は気まぐれでその場にあった餌を撒いていただけかもしれないが。
彼に呼ばれる名前が好きだった。
彼にもらった言葉をいつも抱きしめていた。
そして2年経ち彼は卒業した。私は卒業と同時に想いはキッパリ諦めるつもりでいた。
しかし少し経って私に新しい恋人ができ、付き合って2ヶ月記念の旅行をしている時、脳みそがとろけるようなロマンスランデブーの最中、1年ぶりに彼から恋愛相談のLINEが来た。キッパリ諦めたはずなのに、脳みそがとろけるような恋愛が始まったばかりだというのに、彼が私を思い出してくれたのが少し嬉しい自分がいた。『彼のことを忘れるな』って、神様からメッセージが来たのかと思った。
でも、なんだか恋人に後ろめたい気持ちが湧いてきて、少し会話をしたあと、恋人がいることを彼に明かすためわざと「私もデート中です、お互い楽しみましょう、」という返信をして終わった。その時付き合っていた恋人とは1年経って別れた。
恋人と別れて1年が経とうとしていた先日、ふと思い立って彼に連絡をしてみた。単純に連絡したくなったのもあるが、尊敬している人間の思考回路に久しぶりに触れたくなったと言うのが理由の一部だった。
出会った時の彼はどうして人を懐にするりと入れられたのか、意識していたのか先天的なものなのか、聞きたくて聞いた。
1日もしないうちに、当時のようにぬるっと返信が返ってきた。彼は、それは意識してやっていたし、その時期だけだ、と言った。そうやって人徳のある過去の自分は、自分が意識して生み出したものだとあっさり認められるところが好きなんだよ。と、果てしなく惚れてしまっている私は性懲りも無く思った。
彼は、『あとは身内認定した人にはそうだ』、と続けた。私のことを身内と言いたいのかな、と温かな気持ちになりながら、『(周囲の人間は)身内だから懐に入れられたんですね。』と返したら、『あんたは身内だよアピールとしてもね』と返ってきた。
分かっていたのに、私のことを身内だって、伝えてくれていることは分かっていたのに、この返信が来た私は尻尾を振らずにはいられなかった。
恋人と別れてからというもの、私は恋愛に対して冷めているところがあった。自分のことを好きになりそうな人間とそうでない人間の分別もつくようになり、自分のことを好きな人間にしか興味が湧かなかった。自分の見せ方もある程度は理解しており、こんな冷静な思考回路では、返信ひとつで心が躍るなんてことは、ありえないことだった。
でも彼から「身内」などと言われれば、すぐ顔が熱くなり、鼓動が早まり、口元は緩んでしまう。好きで好きでたまらない。嬉しくて嬉しくてたまらない。ああ、もう一生かなわない。この人の前で私は、一生頭の悪い処女でしかいられないと思った。クールになんて振る舞えない。かっこ悪い自分でしかいられない。心からの喜びしか伝えられない。まだこんな自分がいることに自分でも驚いた。まだこんなに彼のことを慕う自分がいることは自分にとっても驚きだった。
そのまま流れでぽつぽつと話していると、なんと彼が、偶然にも私の住む大学生の街に来ていることが分かり、会うことになった。私は卒業が1年伸びていて、そのことを彼は知らなかった。だから私が今もこの街に住んでいるとは思いもしなかったようだった。
なんたる偶然、私がふとメッセージを送ろうと思い立たなければ、実際送らなければ、彼が近くに来ていることなど知る由もなかっただろう。神様が引き合わせてくれたのだとしか思えなかった。彼も私も、別の人たちと会っていたので、同じ居酒屋に向かって、席を外して少しだけ話すことになった。
3年ぶりにに見た彼は、全く変わっていなかった。ああ、あの形、ああ、あの骨格、ああ、あの笑い方、シワ、ああ間違いなく貴方だ、と思った。彼は外にある喫煙所で煙草を吸っていた。
お店にも入らぬまま、私は、私たちは、久しぶりにたくさん話をした。ずっとずっと、私は彼と話したかった気がする。彼に話したいことが、山ほどあった気がする。ずっとずっと、私は貴方に話したかった。ずっとずっと、私は貴方に聞いて欲しかったのだ。
私が思考をどれだけぶちまけても、彼はびくともしなかった。驚きもしないし、見下さないし、反対に私の思考を持ち上げたりもしない。彼も思考してきた人間だからである。私は安心して私の思考を投げる、彼は特別に受け止めることもしない。ただ、転がる私の思考を一緒に眺めて共感してくれた。
そして、彼の言葉に耳を傾ける。彼の思想を精神を研ぎ澄ませて聞く。ああ、この時間が欲しかった。
クリスチャンがバイブルを読むのは、宇多田ヒカルファンがこういう時宇多田ヒカルってなんて歌ってたっけ、と歌詞を読み返すのと大体同じ感覚らしいのだが、そうというなら私は、彼の思想を全身に浴びるあの時間、久しぶりに私のバイブルを読むことが叶ったような、正解を見つけたような、安心できる思考の拠り所に戻れたような感覚がした。彼は私の思考回路の基礎だった。そんなふうに言われると、彼は不気味がるだろうけど。
そして、私のように、彼を神格化し想いを寄せてしまう人間は、彼の伴侶にはなれない。心を捧げることはできても、支えることはできない。それは分かっていた。
煙と共に、彼の口から、『俺の彼女も、』という言葉がこぼれた。分かっていた。彼は結婚願望が強いから。愛の人だから。素敵なところは私が1番知っているから。彼に恋人がいることは、連絡した時からどこかで分かっていた。
多分結婚すると思う、と彼は私に言った。私は、綺麗事ではなく、そのことを心から嬉しいと思った。
孤独をよく知る彼が、自分の醜さ、弱さ、生きる苦しみを、よく理解している彼が、もう孤独に泣かなくていいこと、そう思える人に出会えたことは、私にとって本当に、本当に嬉しいことだった。
しかし結婚するんだなと思ってから、話を聞いていると、だんだん心に鉛が溜まりゆくのを感じ始めて、喫煙所から店の中に入った。一旦解散して各々の席に戻り、私はその日一緒にいた、私と彼の事情を知っている友達ふたりに、やっぱ結婚するって、と話した。
彼に会う前、その友達に、俺結婚するんだよねって言い始めそうで心配だ、なんて話をしていた。普通に当たった。こういう時の私の直感は本当によく当たるのだ。レモンサワーをぐびぐび流し込んだ。全然酔わなかった。
普段から私は酒を飲んでも全然トイレに行きたくならないが、彼に私の姿を見せたくて、彼の席の横を通過するべく何度もトイレに立った。彼の席の横を通過しトイレに向かうと、男性用も女性用も使用中で、私はトイレの前で待っていた。
すると、追いかけるように彼が来た。2人で、使用中のトイレの前で話した。私は少し酔い始めていたから、普段は使っている敬語も忘れて、愛をたくさん、とにかくたくさん、伝えたくなって、
「しあわせになってね。」と伝えた。
「ありがとう。」
「まだ、だれにもいってないんだけどさ。もうけっこんすることはかくていなんだよね。」
「おたがいの おやにも はなしてて。」
「よっぱらってるからいうけど。まじでまだだれにもはなしてない」
ああ、そんなにも嬉しそうな顔で。よかったね。
ああ、眩しい、なによりも、貴方が幸せなことが、私は
「すっごいうれしい!」
「よかった。」
彼がそう言ったら、見計らったようにトイレが同時に空いた。
やっぱり彼は私の気持ちを知っていたのだ。「良かった。」という言葉の意味は、そういうことだと、私は思う。私の気持ちを知らなかったとは、言わせたくない。
彼のいるグループは私たちよりも早く会計をして店を出た。ど田舎の街にはすでに終電などなく、彼らは始発までカラオケに行くと言って店を出た。じゃあ、また!私らもカラオケしようと思ってます、なんて返事をした。彼らが出て程なく、私たちも会計をして、店を出た。酒を買い込んで、カラオケに向かった。彼らが行くと言っていた店舗には向かわなかった。
女3人で酒をたらふく飲んで、肩を組んで失恋ソングを歌って、抱きしめあって、なんか分かんないけどめちゃくちゃ泣いた。やっと酔いが回ってきていた。別に失恋したなんて思いたくないが、5年という長い長い月日を経て、私の恋が終わった日であることに、間違いはなかった。その間にも、恋愛のようなことをたくさんしてきたけれど、そのどれもが偽物に思えてしまうほど、私は果てしなく彼を愛していた。
酔っ払ったまま、『〇〇さんは幸せになれます✌️』と送った。返事は返ってこなかった。