理解の難しさ

私はかれこれ精神障害者保健福祉手帳ユーザー4年目ほどだ。
これは私自身も、国からも精神障害保持を認められたこととなる。

最初は周りの目、自分で病気を認めたくないなど抵抗があり、医者にすすめてもらって手帳を作るのを躊躇ったが今では私の一部になった。

まあ自分でも障害を認められない時期もあったし、そうなると周りから理解して貰うのなかなか難しいのがわかる。

主に私が他の人と関わる時に苦労していたのが摂食障害だ。
摂食障害と聞くと、私の周りの多くは『過食嘔吐』『拒食症』などを想像するようだ。
だから『非嘔吐過食』の私はなかなか話しづらい状況になる。
(私は吐けないため下剤乱用の代償行為が多かった。)
というのも非嘔吐過食はただの『食べすぎ』という風に取られがちなのだ。
しかも私は運の良いことに標準体型。尚更他の人からすると見た目もあいまって理解し難いのだろう。

最初の方は私も周りの人に障害を理解してもらいたい気持ちが強く病状を聞かれると、自分が自分をコントロール出来なくなり食べている時も意識が飛んだりするなど他にもいろんな病状を話した。
しかし返ってくる言葉は

「食べ物を大事にしろ。」
「(どうしたらいいかわからない顔)」
「自分で手間ひまかけて作ったご飯を食べたらいい。」
「でも私こそ〜(友達自身の大変な話)」
「なにそれ〜」
「それだけしか食べないの??」
「情けない」

このような言葉しか返ってこないとなるともう自分自身もしんどい。
ああ、そうじゃないのに、と思う繰り返し。

そうして1年以上ランチなど遊びの誘いを断り続ける時期もあった。というよりも20代前半のほとんどの遊びの約束を断ってしまった。正直気持ち的には楽だった。
ただ、やっぱり普通に食べ物を食べられない悔しさとそれを理由に遊びを断る辛さと、普通に食べている人たちへの羨ましさは山々だった。

食べ物のカロリーを気にするあまり、もうなかなか会えなくなる人との約束を泣く泣く嘘をついて理由をつけ断り、泣いたこともあった。

そんなこんなありながら長い年月をかけて分かってきたことは、『理解してもらおうと思わない。』ということ。
そりゃあ大変な病気を患ったひとでなければその大変さは経験しないと分からないし、こんな大変な自分の現状を理解された気になられちゃあ逆に困る。

だけど、理解はできなくても私自身が相談を受けた時は、理解できなくても

『共感の姿勢で否定をしない』

これは何事においても大切にしたいものだなぁとつくづく思う。

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