
君の青さ、空になって (上)
1
隣の芝生は青いとよく言うが、隣の席の子が青く見えたのは初めてだった。中学2年の冬、君と隣の席になった。
君はいじられキャラで皆んなに好かれていた。垢抜けない髪型で少しシャイな君は、いざ話すと誰よりも面白くて、まるで小さな宝物をポケットに沢山忍ばせているかのよう。言葉を交わすたびにその宝物の発見に周りが笑顔になる。君の中には人を幸せにするパワーが詰まっていた。
そんな君が隣の席になった。
君はシャイだから登校してもいつも黙って席に座る。私がいつも決まって挨拶係だった。「おはよう!」と言うと少し照れたようにぺこっとする君。すかした顔と赤くなる耳。君は本当にシャイだったね。
2
放課後の正門。遠くから男の子が手を振って近づいてくる。私の彼氏だ。フィリピンとのハーフで色黒、パッチリとした綺麗な二重。目鼻立ちがはっきりしていておまけにサッカー部。一般的に見るとかなりカッコいい。笑うと小さな歯と歯の間に隙間が見える。その不細工な口元は付き合いたての私にはあえかに思えたっけ。だけどもう、その口元があえかに思えるほど彼に惹かれていない。
私の家の裏門でしばらく話しているとすっかりと日が暮れた。遠くからでは私達の姿が見えないくらい夜が近づいていた。徐にこちらを見つめる大きな瞳。最初は蠱惑的なその瞳に惚れていたっけ。
分かっているでしょ、と言わんばかりに近づけられる唇。整髪料と外国製の柔軟剤の香りが私にはキツイ。薄暗い静謐にドクンドクンと彼の鼓動が響いている。彼はまだ私に恋をしているのだろうか。
いつも通り唇が触れ合って自分達の中に眠る「大人」を感じる。いつもはそこで終わりだった。でもその日は、隙間の空いた小さな歯を超えて彼の生温い舌が入ってきた。全身の皮膚が粟立ち、思わず目を開ける。許しかけた侵入を防ぐように顔を遠ざけて固く唇を結ぶ私。流れる沈黙。なんだか申し訳なくなって、お詫びの気持ちでフレンチキスを1つ彼の口に落としてみせた。
「もう帰んなきゃ」と別れを告げる。
3
次の日も隣には君が座っていた。私の「おはよ〜」にぺこっとする君。何も変わらない日常。
ボーッと彼を見ていると、ふと、ある俳優に似ていることに気づく。
「◯◯に似てるよね?」
「え俺?似てないよ(笑)」耳を真っ赤にして照れたように笑う君。
「◯◯は言い過ぎだろ、カッコよすぎるもん」
「えでも似てるよ?」
「カッコいいってこと?」
「ん〜カッコいいかも」
もう赤くなるだけでは照れを浄化できないのか、君は顔を背けたね。照れながら、でも確実に嬉しそうに笑っていた。“楽しい”とはこのことだと実感する、温かい瞬間だった。
4
放課後、テスト期間で部活がオフだと聞いてハーフの彼を呼び出した。なんか分かんないけど別れたいかもしれないと、そう告げた。しばらく黙って「そっかぁ、、うん分かった!」冷たく言い放たれる承諾と感情のない笑顔。あれ、こんなにさっぱりした人だったっけ。もう赤の他人同士になったかのような、今まで構築した関係は一切無かったかのような不思議な冷たさ。ひとつの恋が終わったのだ。
教室に戻ると君が座っていた。今日提出期限だった理科のノートを必死に書いている。可愛いな、と思うと同時、涙がポロポロと頰をつたう。自分から別れを告げたのに涙が止まらない。別れるという事実は、17歳の少女には泣くに値する出来事だった。あわあわした様子でこちらを向く君。「どうした?」そう言いながら教室の前にあったティッシュを小走りで取ってきてくれる。その優しさにもっと涙腺が弛んだんだよ。
「彼氏と別れてさ。自分から別れたいって言ったのに、なんか急に涙出てきた。」
「... 」
「ごめんね、急に泣き出して。てか早くノートやりなよ(笑)」
「うっせぇ、もう終わるわ!」
困窮した状況をなんとか和ませようとお互いが気を遣っているのがわかる。17歳にしてはよくできた子達だった。
君がノートを書き終えて職員室に行っている間、待っていたら変かな、とか、でも帰るのも変かとか、中学生らしく真剣に悩んだ。と同時、一緒に帰りたいと思う自分がいることに気づく。君への想いが萌え初めていた。
5
結局、心に素直に従って君を待つことにした。教室に戻って来て、入り口であからさまに驚いたように止まってみせる君。「待っちゃった」と言うようにフフッと息を出して微笑むと、君も嬉しそうに照れ笑いする。
幸い、彼の帰り道は私の家の前を通ることが分かった。徒歩通学の私に合わせて自転車を押してくれる君。君は歩くのが早くて置いてかれまいと時々小走りになる。しばらく歩くと、突然君が「あっ」と思い出したようにポッケを探した。
「飴食う?」
私があまり得意ではないコーラ味。
「え、ありがとう!」
君からの小さなプレゼントに心が躍る。君が口に運ぶのを真似て私も躊躇なく口に運ぶ。甘ったるい。それから話している最中、君は何度も口の中でそれを転がした。今君も、同じ甘さを感じているだろうか。
6
帰宅後、君との繋がりが欲しくなってやりたくもない数学の宿題を開き1秒も考えずにスマホで写真を撮って送る。
「この問題わかる?」
「これはx項をまとめて...」
君は数学が得意だったなあ。数学というより算数レベルでさえ危うい私には君がとても知的で頼もしく見えた。嫌いだったはずの数学が、君と繋がる口実になって、嫌いだったものがゆっくりと好きに近づく。私にとって、君にはそんなパワーがあった。
それから毎日連絡するようになって、それまで以上に学校でも話すようになった。だけど君は相変わらずシャイだから、挨拶はしてくれなかったね。「昨日LINEで言ってた◯◯ってさぁ...」と少し周りに聞こえる声で話すと、艶やかな唇に人差し指を当てて眉を上げる。「連絡してることバレるからやめて!」のアピール。君はとても可愛いらしかった。
気がつけば終業式になって、同じクラス、隣の席。終わって欲しくないなと願う。私は君にすっかり懸想していた。
言い換えれば、新しい恋をしていた。
7
4月の頭、小銭を握りしめて近所の神社に向かった。ただなんとなく、何故か突然、神様に君とのことを願ってみたくなった。ご縁がありますようにと、縁起の良い硬貨を選んだ自分が可愛いらしい。3分くらいだろうか、君のことが大好きだからどうか一緒にして下さい、本当にお願いです、と何度も心の中でお願いした。あれほど神に縋ったのは生まれて初めてだった。
数日後、春。
薄ピンク色がはらはらと散る正門で神様の応えを見つける。1組、2組、、、順番に探して、5組の真ん中辺りに君の名を見つけた。怖いな、嫌だなと思いながら目を下に動かす。
「 」
見つけた、君の下に私の名がある。ちゃんとある。神様って本当にいるんだなと感じた瞬間だった。
名前の順で決められた私の席は窓際の一番前だった。教室の後ろから入り自分の席に近づいていく。
後ろからでもはっきりと分かった。隣の席の清々しくも魅惑的な澄み切った青さが。今思えば私の運はここで全て使い切ったのかもしれない。中学3年間の中で一番嬉しい、いや、心に花咲く瞬間だった。
「やっほ!」
少しびくっとした後に振り向いてぺこぺこっとする君。その日は特別2回ぺこっとした。私が嬉しいのは、多分全身から滲み出る幸福オーラとニッコニコの表情からバレていたと思う。でも君も、バレバレだったんだよ?頬と耳を真っ赤にして嬉しそうに笑っていたから。
8
それから毎日私が挨拶して、ぺこっとされて、放課後はしょうもないLINEのやり取りをした。何ともない日も、嫌なことがあった日も、君さえいれば毎日が本当に楽しかった。
君が好き、ということを強く自覚していた。と同時に、君も私を好きだということが分かる。恋愛とは不思議なもので、片想いの時には相手の気持ちなどこれっぽっちも分からないのに、両想いになったとたんにこれでもかというくらいに分かるようになる。まるで恋愛の神様が「今だよ」と囁いているのが聞こえるかのよう。君と恋人になるのが鮮明にイメージ出来る。
もちろん私だった、告白は。なんせ君はとてもシャイだったから。
私は君と恋人になった。
9
それから何て呼ぶかとか、みんなには内緒にするとかどうかとか、一通りのキュンを味わった。部活終わり、君は毎日正門で待ってくれていたね。先生や友達に冷やかされる君。君はシャイだから、本当は待つのは嫌だっただろうか、でも君は毎日待ってくれていた。
帰り道は決まって飴をくれたよね。きっと家にあるものを毎日ポッケに入れて来ていたのだろう。同じ味、同じ匂い、きっと同じ甘ったるさ。同じものを口の中で転がしながらたわいもない話をして家に着く。君との帰り道は本当に幸せだった。
ある日の家の裏門。君が中々帰らない日があった。覚えてる?9月くらいだっただろうか、まだ暑さは夏だというのに、すっかり日は暮れて19時半過ぎ。まだ14ばかりの中学生。そろそろ帰ろうと促すと君の口がまごついた。
「していい?」
「?」
「だから、していい?」
なんだか少し怒っているように感じた。シャイな人は限界を越すと照れ隠しに怒るのだろうか。想像もしなかったよ、君から言うなんて。だけど、それは想像していた以上に嬉しかった。だって君は本当にシャイだったから。
初恋のようなフレンチキス。それだけで心の底から満足だった。君も私も、すっかり恋に落ちていた。