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諦めるためにキライを見つけるのは意地汚いでしょうか

ここ数ヶ月、おんなじ人のことばかり考えている。

最初は気になるなあって。でも友達だから考えないようにしよう。でもやっぱり好きだなあって。脈がないから諦めよう。でも本当はまだって。こんな具合に、頭の中はその人のことでぐるぐるだ。ぐちゃぐちゃか。


でももう脈が無いと分かったから、いつまでも引きずっていては次に進めないから、なるだけ早くその人のことを考えないようになりたいと思っている。


でも人を好きになる時、その人のことを沢山たくさん知って、それから「人」として素敵だなと思って惚れるから一度好きになると諦めるのが中々難しい。だって「人」として丸ごと惚れているから。

もちろん一途だから、今まで付き合った人もみんな2年くらい続いたし悪いことばかりでは無い。

それでも、貴重な大学4年間の内の1年半を片想いで使ってしまったこともあったし、もう同じように時間を無駄に過ごすのは嫌だなって。(なるほど、そんなことがあったのね( ◠‿◠ ))


そうなった時、まず初めに“お前のことなんて考えないぞ作戦”に取り掛かる。好きかもとか諦めたほうがいいかもとか、ネチネチ考えると中々抜け出せないからいっそのその人のこと自体考えないと決めるのだ。考えそうになったら「BTSかっこえぇ」だの「ネトフリ観よう」だの、どうでもいいことで気を紛らわす。


まあこんな小学生でも思いつくような作戦では勿論効果はない^_^ ソリャソーダ



そんでこんで辿り着いたのが“恋の盲目全剥がし作戦”である。

誰しも恋をするとその人の悪い所も、不細工な所も、なんだかんだ許容出来る部分になってしまわないだろうか。〇〇な所もあるけどもっと沢山良い所があるし♡とか、酷い時には〇〇な所も△△らしくて好き♡とか、そんな風にキラキラして見えてしまうものだ。


私も1年半片想いしていた人に冷め切った時、

え、何でどこがそんなに良かったん^_^??

と自分の盲目さに唖然としたことがある。


だから今回もきっとそうだと、盲目が発動されまくっているのだと信じてスキな人のキライを一生懸命探している。

プライド高そうだし、お酒が入るとちゃらんぽらんだし、寝起き悪いし、誰にでも距離近いし、そおいえば食の好みも合わないし、エッチ下手って言ってたよな、とか(ごめんなさい)。



こんな風にキライをとことん思い出して、沢山のキライを集めて纏めて、今までのスキを掻き消そうと私の理性が奮闘している。

そんなキライの塊くんは私に「ほら、よくよく考えたら全然良くないじゃん!」「やばい所いっぱいあるよ、あの人!」って、それはそれは優しく語りかけてくれる。ああ、そうだよなと腑に落ちる。ひとつの恋が終わりそうだ。


でも"途切れそうな脈を信じて、正々堂々とスキをぶつけられなかった過去"を、"かき集めたキライ"で正当化するのは何だか意地汚いのではないだろうか。捻くれていないだろうか。こんなんで良いのだろうか。


いつからかスキなものをとことんスキと、スキな人をとことんスキと言える強さや覚悟がなくなってしまったように感じる。恋愛に労力を使ったり傷ついたりするのに疲れてしまったのだろう。


その強さやら覚悟とやらが私にあれば、スキな人の“キライ”な所など見つけなくて済むのかもしれないが。




#一途は良いのやら悪いのやら #恋は盲目とは良く言ったものだ #盲目どころか猛盲目である  


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