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週刊私自身

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サウダーヂなアーカイブ。
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2018年12月の記事一覧

平成最後の大晦日。

オープンして間もないヒバリでsakanaのライブを初めてみた。pocopenさんがMCで「ヒバリのスタッフさんがこんなんだと困りますけどね。」って喋って歌い始めたスカイは、私の胸にずっと住みついた。すぐにBLIND MOONのアルバムを買って、私はいつかスカイみたいになりたいなんて年甲斐もなく憧れたことを今でも思い出す。 ヒバリを退職して短くて長かったなと思いながら、そんな感傷に浸ることもなくせわしく年の瀬を迎えている。 恋人たちが素晴らしきタイミングの良さにますます胸を

いちから、ということ。

『カレーライスをいちから作る』という映画を見た。これはグレートジャーニーの関野吉晴さんが1年かけて自分のゼミ生たちに「食べる」ということを教える内容となっている。私の住む街には岡山映画祭というものがあるからありがたい。気になっていた映画を見事にピックアップしてくれるのだから。 いちから作る、ということは私の両親が私に教えてくれたほぼ唯一のことではないかと思う。とにかくうちの家族は、あらゆることをいちからやった。トイレの汲み取りは自分たちで肥溜めの畑まで運んでたたことは当時恥

よそへの慕情。

「パッタイ」のパッはタイ語で炒めるという意味であり、パッタイとはタイを炒めたものらしい。つまり、日本にいながらタイを丸ごと満喫できてしまう一品なのである。海外へ行ったことはほとんどないけど私は異国の料理が大好きなので、うちの台所でも再現しようと奮闘する。現地の味も知らぬのに邪道かもしれないが、満足すれば問題ない。異国の味を作る時、重要になってくるのが現地にしかない食材や調味料。そんなのを揃えていると、醤油や味噌みたいに毎日使わないからとにかく残る。珍しい調味料はそこの文化に馴

きやがれ三十路。

自分はどう生きたいんだろうって時々考える。時々だけど、そんなことをずーっと考えて三十路を迎えた。29歳が終わるまでにちゃんとわかるのかなって焦っていたけど、今年が終わろうとして「ちゃんとわかったな」って思っている。 29歳の私にとってビックリするほどのヒントになったのが『うしろめたさの人類学』だ。社会に放たれて「ハイ貴方は自由です」って選択を迫られて、自由を選ぶほどに不自由と不甲斐なさを感じる私にとって、松村さんが言ってる「スキマ」は得体の知れない希望のようだった。だけど、

週刊を習慣とする週間。

あなたは詩人としてどう思う?と聞いてくるのは、いかにもお洒落で芸術的かつグローバルな人生を送ってきたであろうグレーヘアのご婦人である。彼女と話す時、私はしれっと周りを見渡して店内のアラをこそっと直そうとする。私の中のうしろめたさが発動するのだ。彼女はいつもひとしきり自分の近況や感情を話しきったのちに、私に必ず聞いてくる。「あなたはどう思う?」 世界へ出なさい、と毎度説教されながら、私はふむふむと答えて時々、いやー、世界みてたって自分の足元見えてないヤツもいっぱいですよー、な

時々、恋のせいにしたくなる。

毎日、あれやこれやと考えごとに追われるけれど、そんなのを時々、恋のせいにしてしまいたくなる。 何がしたいの?とか、これからどうするの?とか、どうしてそれなの?とか。ああ、ややこしいな〜ってこと全部まとめて、恋のせいにしたくなる。 いつも単純すぎる私の動機はもういっそ恋だと呼びたい。だって恋してるからねって、ぐうの音も出ないほどのアンサー返したい。 だけど、未来の自分を傷つけたくないから、自分の衝動に後からあれこれ理由をつけてみる作業に結局一番骨を折ってしまうのだ。そうは

今治、夏の思い出。

お盆明けの朝、外を歩くと涼しい風が吹いてて、うっわーーーーーーーとなった。秋の一番風はメランコリック凝縮されてムショーに涙を誘う。無条件に泣ける日は、秋が始まる日。毎年かちっとやってくる。(だけど、そんなこと嘘みたいに残暑が厳しくて嫌になる今日。) そんな秋の始まりにふと思ったことは、ちゃんと意識的に人の話に耳を傾けるっていうのはいいなあってこと。それから議論できる相手がいるのは幸せだってこと。ヒバリと今治で聞いた西村佳哲さんの話は、それぞれの人にそれぞれの届き方で、うまい