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週刊を習慣とする週間。

あなたは詩人としてどう思う?と聞いてくるのは、いかにもお洒落で芸術的かつグローバルな人生を送ってきたであろうグレーヘアのご婦人である。彼女と話す時、私はしれっと周りを見渡して店内のアラをこそっと直そうとする。私の中のうしろめたさが発動するのだ。彼女はいつもひとしきり自分の近況や感情を話しきったのちに、私に必ず聞いてくる。「あなたはどう思う?」

世界へ出なさい、と毎度説教されながら、私はふむふむと答えて時々、いやー、世界みてたって自分の足元見えてないヤツもいっぱいですよー、なんて軽口もたたきたくなるけれど、自分のこと棚上げしといて彼女を説得させる度胸も語彙力もない。

今日なんて、あなたは辞書を毎年買い換えるの?と言われて、うっっ…と言葉に詰まった私は、芸術とは厄介者の集まりなのではないかしらと思う。私は生活したいだけなのだ。だけど、自分が好きって答えたものに対しては人生かけて貫き通す気概がなければ、自分の生活を全うしていると言えないのでは?「詩人」と言われてハッとする。だからよし、書くことを暮らすことの一部にねじ込んで歯磨きくらいの重要事項にしようと決意するのだけど、気がつけば私の暮らしは洗い物する時の水道水くらいにシャーっと流れてしまうから、蛇口、蛇口って今日の出来事を意識する区切りにしてみるのだ。

そうやって、週刊を習慣とする週間、なんてぱっと「シュウカン」を並べてみたけど、図らずも水道水みたいな語順になってしまった。今回の週間はいつまで続くのかしら。

2018年11月30日

「サウダーヂな夜」という変わったカフェバーで創刊された「週刊私自身」がいつの間にか私の代名詞。岡山でひっそりといつも自分のことばかり書いてます。