若い青年のことば
セルゲイとは昼下がりの街で別れた。よく晴れた気持ちのいい天気だった。青く高貴なモスクに積もった雪に太陽の光が幾度となく屈折して煌めく。相変わらず、なにをそんなに急ぐことがあるのかと思うくらいに車の波が押し寄せてくる。だけど山々の美しさが身体の中に染み込んでいたから心は豊かだった。宿に帰ってゆっくり休みながら明日向かうビシュケクの下調べをしようと思う。
夜になってキッチンに降りると数人が食事をしていた。「よっ、仕事どうだった?」。僕が聞くと、まあまあだねっという仕草でセルゲイが答えた。セルゲイが「なんか食べ物買いに行かない?」というので夜道を売店まで歩いた。そろそろここの雪道にも慣れてきた。水とお菓子を買って宿に戻って2人でキッチンのテーブルに腰掛けて、今日登ったあの美しい山々について語り合った。彼はいつか日本に行ってみたいと言う。その時は北アルプスの山を登ろうと約束した。セルゲイは数ヶ月アルマトイで過ごし、次はゴアに行こうと思うと話していた。彼もまた旅びとだった。瞑想の話を聞かせてもらったり、りんごを齧りながらフルテリアンだという話もしてくれた。アルマトイ(Алматы)という街の名前は「りんごの里」という意味だったとテーブルの上のりんごを見ながら思い出した。なんて素敵な名前だろう。
いろんな話をしながら、僕はひとつ聞いてみたかったことをセルゲイに聞いてみた。「なあ、ロシアは今大変でしょ。どう思う?ウクライナへの侵攻。」と気になっていた、突っ込んだ話を持ち出してみた。彼は少し考えるように間を置いて「僕の友だちがウクライナに住んでるんだ。もし軍隊に入ったら、僕はその友だちのことを殺さないといけない。その友だちの家族のことも考える。プーチンは本当にひどい」。若いロシアの青年の素直な想いに僕は返すことばがない。彼は聡明で心の優しいやつだった。「日本の政府もなにやってんだ、と思う。ひどいもんだよ」と申し訳程度に僕はことばを返した。対ロシアについて、侵攻はもちろん、報道の偏りや棚の上にあがってふんぞり返るアメリカ、難民に対してとことん否定的だった日本が平等性を見失い表向きいい顔をすることへの不条理を「安全」な日本から批判していた。僕はセルゲイと目を合わせられなかった。時計の針だけが静かに動いていた。それでもキッチンに流れる空気はあたたかかった。気が済むまでいろんな話をしていたら、いつの間にか日付が変わった。僕らは静かに身体を寄せてハグをして、別れ告げた。「また会おう」。