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民間武術探検隊 ~通背の郷4~

「絶招」
日本語で言えば「奥儀」「奥の手」「切り札」と言ったところか。
有名な絶招と言えば、八極門は李書文先師の「猛虎硬爬山」であろう。
「男組」「拳児」などで紹介され、バーチャファイター結城晶の得意技として、今や(*注1997年当時)小学生の間でも「シンポリコからダッシュモウコでゲージ半分さ」みたいにナンの違和感もなく日常会話で使用されるレベルにまで浸透している。
恐ろしい世の中になったものだ。


第四章 絶招


翌早朝5時。
夏とは言え、さすがにまだ暗い。日本と大連の時差は1時間(日本の方が1時間早い)。
しかし、中国の夏はサマータイムで1時間早くなるので、日本と同じ時間である。(ハズであった)。

練習の準備をして外へ出る。
既に黙々と基本功を行っている隊員もいる。
一体どんなにすげぇー絶招を教えてくれるのであろうか?
逸る気持ちを抑えて、とりあえず、基本功で身体をほぐす。
水平線から陽が昇って来る。
なんてすがすがすがしー朝だろう。
中国に来て良かったとシミジミ思う。
他の隊員達も同じ思いであろう。
さぁ、準備はオッケーだ。
あとは王師兄が来るのを待つばかりだ!
基本功をしつつ、王師兄の泊まる部屋をちらちら見る。
しかし、王師兄は来ない。
おかしーな、とっくに5時はまわって、もう6時近いぞ。いったいどーしたんだ>王師兄
「来たぁ!」
6時を少し回った所で、隊員の期待を一身に背負って王師兄登場。
さぁー絶招だぁー(^-^)

先ずは前日と同じく基本功。(まぁ、最初はそーだな>基本功)

次に前日しなかった基本功。(基本は大事だからな)

さらに続く基本功。(この基本功が絶招に必要なんだな。きっと)

結局、最後まで基本功。(おーい、絶招はどーなってるのぉぉ?)

以上、朝の練習おわり。

なにぃー、昨日のアレはなんだったんだーだだだっ!

みんなブーブー。しかし王師兄はコワイ。だから訊けない(^-^;(ホントにコワイんだから)

昼前の練習も同じく基本功てんこ盛り。
さらに表演関係者は炎天下の中、「不行、不行」を幾度と無く聞きながら、套路。
精も根も尽き果てる・・・。

「オレ達いったい何しに来たんだろーなー。」
ぐったりして動く気力もないまま、ベッドに寝そべりながら、隊員が言う。なんとなく今まで練習してきた全てを否定されたような気持ちからの発言であろう。
確かにいろいろと勉強にはなっているが、彼の言う事も理解できる。
王師兄とて、いぢめようとして注意してる訳ではない。
ただ、同じ通背でも、こうも違うものか・・・。

その晩は「通背虎の穴」最後の夜であった。
ミラーボールが妖しく光を放ついつもの食堂で宴会。
オーナー李老師や梁師叔、習字の老師などなど海の家関係者と円卓を囲み楽しい一時を過ごす。

宴会する人々
上段左から、S隊員、L隊員、サラサラ小姐、M隊員、海の家の人 李老師の妹、李老師のボディガード、B隊員、Q隊員 下段左から、ぼく、李老師、梁師叔、習字のせんせ、王師兄

オーナー李老師は熱い。
ちょっとダミ声で下町っぽいしゃべり方で(どんなだ?(^-^;>中国の下町っぽい)、笑い声もでかくて豪快だ。
「オレの師叔(常松師父の事)には、いろいろと世話になった。師叔の弟子のおまえ達は、いわばオレの師弟だ。おまえ達には出来る限りの応援をするぞ。師叔の名の付いたここ(通背海の家)は、師叔の弟子であるおまえ達の地でもあるという事だ。中国に来たら、いつでも来い。大歓迎するぞ。」とアツク語る李老師。
実はここ「通背虎の穴」は「常松勝地」と名付けられていたのだ。

常松師父の名をとっているのだが、中国語で縁起の良い言葉でもあるという事だった。
敷地内にある岩山の壁面にはでっかく「常松勝地」と文字が彫られている。

常松勝地

この文字は李老師が直々に彫ったものだと言う。
しかし、これを彫った時、李老師は足を滑らせて高さ6、7メートルの所から転落し、両足を大怪我してしまったのである。
我々が行った時には、足中包帯ぐるぐるで歩けない状態であった。
「オレは秘宗拳と摔跤が得意だ。師叔はおまえ達に通背拳を教えた。オレの足がこんな状態じゃなかったら、おまえ達には摔跤を教えてやったのになぁ。通背拳と摔跤、両方学べばコワイモン無しだぞ。」
また、最年少のS隊員には
「おまえ、よく練習しろよ。若いおまえには、これからの可能性が一番ある。ここにいる師兄達を見習ってな。オレが見たところ、おまえの師兄はみんなとっても良いウデしてるぞ。」
そして試合参加者達には
「試合前には体調を整えておかなくちゃイカン。特に前日は、熱い風呂と飲酒は厳禁だ。わかったな?」とアドバイスしてくれた。
この晩の宴会はアツイ李老師の語りで、大いに盛り上がった。
みんなそれぞれ胸に「グッ」っとくるものがあったようだ。
ぼくは「よぉーし、李老師の期待に応えられるようにがんばるゾ」と小さな胸に誓った。

翌早朝、通背虎の穴最後の朝練。
基本功が終わると王師兄はこう言った。
「一昨日の晩お前らに話した『絶招』の事をオレは忘れている訳ではない。これからおまえらに『通背四大名山』の一つ『闖山』を伝授する。危険な技だから、無闇に使うな。それと練習には注意しろよ(他人に見られて技を盗まれるなよという意味)。」

絶招『闖山』は通背にしてはめずらしく接近戦用の招法であった。
しかし、招法としてはそれ程めずらしいものではなく、他派(八極門や形意門)にも同様のものがあると思われる。
さらに「迅雷掌」を使った「四平馬」という招法も伝授してくれたのであった。
これはぼくが套路の練習をしている時に「迅雷掌」がうまくできなくて、いろいろ注意を受けた際、「迅雷掌をよく練習しておけよ。うまくできるようになったら、迅雷掌を含んだ招法を教えてやるからな。」と王師兄が言っていたものだった。

練習の仕上げに
「ここでの練習も今日で最後だ。ここが大会の会場。そしてオレを審判長だと思って、一人づつ表演しろ。」と王師兄が言った。
練習でくたくたになってはいたが、昨晩の李老師の事などを思いだし、ぼくの持てる全ての力を出して表演した。
王師兄は「75点くらいだな。」となかなか厳しい。
ぼくは全精力を使い果たし、表演が終わった時には、もうコレっぽっちの体力も残っていなかった。
息はぜぇーぜぇー、脚はガクガク。もう、今にもぶったおれそう。
しかし、みんなの表演が終わった後、王師兄はこう言った。

「もう、一回」

「えぇー、マジかよぉー。さっき、最後って、言ったじゃないかよぉー。もぉ動けないよぉー」、と言いたかったが、やらない訳にはいかなかった(/_;)

「最後の収勢の引手(虚歩)で、わたる隊員はそのまま崩れ落ちるかと思った。(某師兄談)」
はたから見てもそのくらいヤバヤバな感じだったようだ。
ぼくは「謝謝、師兄」の挨拶のあと部屋でぶったおれた(^-^;
手足がしびれて、息もぜーはーぜーはーな状態が30分くらい続いた。

「もしかして倒れるまで練習したの、はじめてかもしんない。」

と天井を見ながらそう思った。

「第五章 通背海の家をあとに」に続く

語句解説

○サマータイム
夜明けの早い夏の間だけ、時間を一時間繰り上げる制度。
冬の6時は夏だと5時になる。中国と日本の時差は一時間(日本の方が1時間早い)。であるからして、サマータイム中の中国は日本と同じ時間であるハズであった。
しかーし、この年、この制度はなくなっていた(?_?)ナデナデ
その事を知らなかった我々は日本時間の5時に王師兄を待っていたつもりだったが、実は中国時間で「朝の4時」であったという訳である。
「民間武術家の朝はそんなに早くない」のである。

○梁師叔
常松師父の通背拳での師弟(弟弟子)。ぼくらにとっては叔父さんである。常松師父の老師である于少亭師爺は、完全な個人教授方式で通背拳を教えたため、弟子同士でも顔を知らない事があったようである。
于師爺が亡くなった後、「ワタシ、于少亭の弟子ね」というヤカラがたくさん現れたそうだが、中には常松師父が全然知らない人もいたそうな(^-^;
そして、その全てが本当の弟子ではなく、習ってもいないのに「弟子ネ」とか言ってる人もいるようだ。

○習字の老師
通背海の家は、武術と書法の学校である。その書法のほうの先生。その辺については、第五章で書く予定。

書法の学校の建物

○常松勝地
知ってる人にとっては、微妙な名前だが、知らない中国人にとっては、縁起の良い言葉だそうな。

◯通背拳と摔跤
常松師父も摔跤の有用性を感じ、一時期集中的に摔跤を学んだことがある。

○通背四大名山
通背拳には「通背四大名山」と呼ばれる四つの絶招があるそうな。これ以外にも「通背三絶掌」なんてのもある。

○闖山
通背四大名山の一つ。「闖」には「いきなり飛び込む」「体当たりする」「ぶつかる」「修練する」などの意味がある。
ちなみに残りの三つの山は知りません。

○迅雷掌
通背拳の招法の一つ。
「迅雷掌」という手型(瓦稜拳に似ている)でフックぎみに横から頭部を狙う技。

○四平馬
滾手と迅雷掌と鑽拳を組み合わせた招法。
ホントは「馬」の字が違うが、耳で聞いただけなので、どんな字かよくわからない(^-^;

○収式(収勢)
套路の最後の技。「式」も「勢」も同じ発音。「式」より「勢」の方が民間度が高いと個人的に思っている。ちなみに套路の最初の技は「起式」「起勢」もしくは「開門式」などと言う。

1997.11.27民間武術探検隊 わたる

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