後鳥羽上皇・弐〈転生記外伝〉
後鳥羽上皇は御所の二条殿で思い耽っていた。
東国では和田義盛が挙兵するも2日で鎮圧されたと聞いた。
平賀朝雅が京で誅殺されてから八年の月日が経っているも東国は相変わらず血にまみれている。
とはいえ東国に対しては憂いだけではない。
目をかけ続けた源実朝もいまや二十二歳と立派な大人となった。
征夷大将軍に就いた翌年には朕の従兄妹である坊門信子が実朝に嫁いだ。
その間に心身共に育み、文武共に目覚ましく上進した。
この度の乱も二日で制せたのも武威があったからこそであろう。
文ではより一層の輝きを放っていた。
実朝が金槐和歌集なる和歌集をまとめた。
藤原定家が云うには感性が煌びやかに光っているようだ。特に
『山は裂け 海は浅せなむ 世なりとも 君にふた心 わがあらめやも』
という歌は実朝の我が君への忠誠の証と諳んじてきた。
実朝の位階は正二位まで昇叙した。
これは大臣級の位階となり二十二歳での昇叙は藤原四家ですらまずいない。
近臣達もなにもそこまでと漏らす者もいたが実朝の強度が東国の安定に繋がることと予測も出来ずなんと短絡的なのか。
絶対なる東王として源実朝が東国に君臨する世。
その東王が朝廷や朕を崇める事がどれだけこの日本にとって重要な事なのか。
一方で東国での不穏な雲行きのなった折に備えて西国武士の気勢も高めていく必要もあった。
西国の柱として大内惟義がいる。
大内惟義は伊勢・伊賀・越前・美濃・丹波・摂津、6ヶ国の守護として十分な力をつけてきた。
東国に何事あっても大内惟義が壁として十分立ち働くであろう。
理想は東西が拮抗して頂に朝廷がある姿である。
後鳥羽上皇の心地は朗らかになった。