占領下の抵抗(注 xix)
志賀直哉の「濁った頭」で述べられた同性愛は現代のものとはだいぶ違っているように感じられます。それはまるで異性愛へと向かう一段階であるかのように読めます。
三橋順子は著書『歴史の中の多様な「性」ー日本とアジア 変幻するセクシュアリティ』の中で
ことを指摘しています。
それはこの小説の主人公のように、女色へと容易に結びつくものだった。
三橋順子によれば
り、同著を元に僕なりに要約すると、それは
明治以降こうした男色文化は抑圧されるが、男子校文化の中で、根強く残っていたことをこの本は様々な事例を元に指摘しています。
志賀直哉との関連では、里見弴が「志賀君との交友録」『銀語録』相模書房(1938年)の中で志賀へと向けた言葉を紹介しています。
志賀直哉が、このような男色文化が色濃く残る社会で、この小説を書いたのだということが、この本を読むと良くわかります。
同著で三橋は前近代の日本では
と述べています。重要な指摘です。
志賀直哉の「濁つた頭」で述べられた男性同士の性愛もおそらく男色の流れを汲むもと思われるので、男性同性愛とするよりは男色とする方が正しいのかもしれない。
引用文献:
『歴史の中の多様な「性」ー日本とアジア 変幻するセクシュアリティ』三橋順子
2022.7.14.第1刷発行
岩波書店
この記事は↓の論考の中の[志賀直哉の眼差(芥川龍之介との比較)]で志賀直哉の「濁った頭」に言及した箇所の「同性愛」に付けた注です。
↓の文章中の 同性愛と書かれた横の xix より、こちらへ繋がるようにしてあります。