『君たちはどう生きるか』【ネタバレ感想】宮崎監督は「自分の人生の扉を離すな」と言った。
メタファーがすぎる!ww そんな映画に見えました。
『ラピュタ』も『トトロ』も『カリ城』も、ジブリ作品のモチーフがてんこ盛り。
キリコさんの船の足こぎ(カッコいい!)には、『もののけ姫』のタタラ場の足踏みを、サギ鳥が渾身の力で飛ぶ「ビィィン」と鳴くような羽ばたきからは『ラピュタ』で海賊兄弟が乗るフラップターを感じました。
まだ1回しか見ていないのですが、その時点での感想を書きます。
眞人くんは宮崎駿監督の心の中にいる少年。
直近の記事には「自分の理想だけではなく己の悪い面まで反映した」とありました。
眞人くんを煽り、だまし、違う世界(ジブリの城)に連れて行くのはアオサギ。私は「サギ鳥」と呼んでいますのでここではサギ鳥と書きます。
このいい“詐欺師”ぶりはきっとプロデューサーの鈴木敏夫さん!
……と思ったら、本当にそうだったというのもニュース記事から知りました。
■『アニメージュ』にいた私から見た鈴木敏夫さん
私は90年代『アニメージュ』編集部に入り、ライターとして育ててもらいました。80年代に鈴木敏夫さんが編集長を務めて『ナウシカ』を立ち上げた場所です。
90年代初め、鈴木敏夫さんが編集長を辞めてジブリに行かれたばかりの時、入れ替わりのように私は編集部に入ったのでした。
そんな新人ライター時代、編集部の黒電話が鳴って私が取ったら、
電話口から「おう、俺だ」と声がします。
ドスの効いた、でもちょっと愛嬌も感じるような男性の声です。
「ど、どなたですか……」
「…鈴木だぁーー!!!」
びっくり、びっくりです!電話で名乗らず名前をわかれというのです。
どうしようどうしようとパニックになっていると、別の編集さんがすぐに電話を代わってくれました。
「おう、俺だ」という肩で風切るような言い回し。
それは、のちに私の声優記事の担当編集になる古林英明さんとそっくりの言い方でした。
古林さんは、宮崎駿さんのマンガ『風の谷のナウシカ』担当を鈴木さんから引き継いだ編集さんです。
古林さんは「俺が『ナウシカ』を引き継いでやっている方法は、鈴木さんのまねをしているだけだから」と言うことがありましたが、その言い回しも鈴木さんから受け継いだものだったのかもしれません。
■世界の美しい調和を保つ城=ジブリ
今回の『君たちはどう生きるか』には、宮崎監督の人生が入っていると感じました。
城はスタジオジブリ。レンガ造りの塔と窓の形。私が三鷹ジブリ美術館のムック作りで取材した時に見た、動画机周りに貼られていたイメージボードと似ているような(うろ覚え)。
登場人物の多くは、宮崎さんがこれまでに知り合った人々。
「サギ鳥」は鈴木敏夫さん、
静寂な城の中で「世界の調和を保つ」賢者となった大叔父は、高畑勲さんにも重なりました。
美しい調和の世界を保っていたのはぐらぐらのつみ木。「明日までしか持たない」不安定な状態で世界は存在していると提示されます。
眞人くんは、積み木を積み続ける役を託されることを断ります。「外に出るよ」と。
ふたつの意味を受け取りました。
この平和な世界の外に出れば、火の海と戦争が待っている――現実にある戦争、人が争う世界は、私たちが生きる世界そのものでもある。
眞人が外に出る選択することで、観客である私たちに「君たちはどう生きるか」を問うているのです。
そういう意味では、世界に送り出す大叔父賢者は宮崎監督とも重なります。
もう一つは、「争いを起こす人の醜さは無くならない」という提示です。
「人が持つ醜さを受け入れる」こと。それがこの作品と、宮崎監督自身のテーマであるとも思っています。
私は宮崎作品でモヤモヤしていることがありました。『千と千尋』では千尋の両親が“人の醜さ”を象徴する人物として描かれましたが、宮崎監督は子どもに理想像を託しすぎでは? 醜さを大人と子どもで分けているのがいやだな、とか。
私は「現実社会は醜いところもある。人にも醜さもある。その社会の中でどう生きるか」のほうに関心がいきます。だから宮崎作品が登場人物に「理想像」と「醜さ」を分けて対比させる手法や思想にちょっと抵抗があったのです(これは評論ではなく私自身の感想文なので好きに書きますね)。
だから眞人くんが外に出るのは「勇敢な少年という理想像だから」ではなく、
鳥の皮を被った人を騙す鳥人間、サギ鳥とも手を取り「友達」になり、「共に助け合うことで外の世界で生きていこう」とすることが、私にとってすごくすごく嬉しかったのです。
■自分の人生を進めという「君たち」へのメッセージ
崩れていく城。眞人が宮崎さん自身だとすれば、美しい調和の世界を作ってきた“自分のジブリ”は自分の代で終わらせる、という意思表示に見えます。
美しい世界を終わらせる時、大叔父賢者と眞人はふたりで崩壊していく世界を見届けます。
そして大叔父は外で生きることを選んだ少年に自分の思いを託します。
大叔父と眞人、ふたりが並んで立っているシーンでは、宮崎さんの「心の中の少年」と、若者に託していく「今の自分」の投影になっています。
登場人物がそれぞれの自分の時代の扉を開けるシーン。
火の海になること、戦争が続くことを知らされても、美しい世界から「外へ出る」選択をする。眞人くんのお母さんになる少女・ヒミも同じで、皆が自分の運命を引き受ける。
ここは理想ですが、自分がいる社会を引き受ける選択をするというメッセージは良かったと思いました。
ここで宮崎監督は、
自分の世界とあなたの世界は違う、それぞれの人生を「自分で生きるんだよ」と言っている。
これは観客にも向けたメッセージだと思います。
それぞれの人に人生があって、おばあちゃんたちは、ジブリを支えてくれた女性スタッフだったかもしれないと思います。キリコさんは宮崎監督の盟友・色彩設計の保田道世さんなのだろうなと。
■罪悪感に向き合い、吐露することで心の荷物をおろす
眞人は、宮崎監督が「自分の心にある悪い面」を投影したもの。悪い心と向き合い、そこ決着をつける存在でもあります。
ナツコさんに対して最初、意固地で頑なな態度を取るけれども、自分からナツコさんを探しに行き、母さんとして認めることができた。
眞人の頭の傷は、同級生たちとのケンカの後、自分でつけたもの。それをちゃんと告白できた。
頭に付けた傷は宮崎監督が抱えてきた「罪悪感」です。宮崎監督の生い立ちの談話を読むと、少年時代は戦時中でも実家が裕福で、それに負い目があったと語られています。
自分が抱えていた「罪悪感」。それを眞人に「傷」という形で象徴させて、眞人に「自分でつけた傷だ!」ときちんと告白させたことが宮崎監督にとって心の荷物を下ろせたということかなと思います。
これで前に進めるぞ、というよりも、ようやく荷物を下ろせたというほうが80歳になった監督の気持ちに近いかもしれません。
■みんな逃げて、飛び立ち、それぞれの人生を生きろ
ラスト、ジブリの城は崩壊しますが、鳥たちもみんな逃げ出せるんですよね。「人を食う」鳥たちはジブリに紐付くお金周りの人々(宮崎監督にとってはそう見える)。彼らももちゃんと逃げていたり。
それからスタッフさんたちも鳥に仮託されているのかなと。なんたって翼があって、空に飛び立てるんです。鳥たちが崩れる城から逃げるシーンも、“自分のジブリ”が終わっても彼ら彼女らが巻き込まれないようにしたいという宮崎監督の願いが込められている気がします。
【あと、眞人たちを追い続ける鳥の隊長は宮崎吾朗さんではないかなと思っています →追記で訂正】。
ジブリの城は美しい世界をたくさん作ってきました。
作っておきながら、それを自分の代で崩そうというのが良いですね。
そして友達になったサギ鳥が、鳥人間からまた鳥の皮を被り直してしゃあしゃあとしているのもさらに良い。
理想と現実の清濁を併せのむサギ鳥・鈴木敏夫さんが、またサギ(ジブリブランドでマネタイズ)を始めてもそれはそれでまた良し、友達の生き方だからと認めているのも良いですね。
自分の人生の扉を離すな! 友達を作れ(できれば自分と正反対なタイプと)というメッセージ、しっかり受けとめましたよ!
【追記】2回目観た感想。
★インコ大王は宮崎吾朗さんではないと思いました。ここはめっちゃ訂正しておきます!
★眞人を導くキリコさんは高畑勲さんかなと思いました。
★傷つき死んでしまったペリカンは近藤喜文さん、そして道半ば、志半ばで倒れていった"アニメづくりの仲間"ではないかと思いました。
ペリカンを眞人さんが埋葬しているところ、
宮崎駿さんの想いが反映された眞人は、過酷なアニメ作りで倒れた彼らの想いを継ぎ、「贖罪の墓」を作っているのだと思いました。
【8/4さらに追記】
こちらの感想を元に再解釈した
『君たちはどう生きるか』評が
8/4「朝日新聞」朝刊「文化面」に掲載されました。改めて読んでくださった皆さまありがとうございます…!