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高畑勲監督が『かぐや姫』で残した重たいバトン-新潟国際アニメーション映画祭プロデューサー陣トークレポート-

新潟国際アニメーション映画祭 第2回で「高畑勲監督特集」があり、私のお目当て『かぐや姫の物語』関係者のトークショーに行ってきました。
会場は新潟の老舗映画館、シネ・ウインドです。

「高畑勲の『かぐや姫の物語』とそれ以後」
【登壇】高橋望(MC)×西村義明(スタジオポノック代表取締役)×櫻井大樹(サラマンダーピクチャーズ代表取締役)

新潟・市民映画館 シネ・ウインド。開館は1985年。新潟市民とともに歩んできた様子がうかがえます。映画祭のために、窓に「高畑勲特集」と作品名を大きくラッピング!

私は、『かぐや姫の物語』にかなり遅れてハマりました。
かぐや姫が、自身も人間という”自然の一部”として日々の暮らしに喜びを見出すこと。
一方で、人間は”社会的属性での役割”に縛られる生き物であること(かぐや姫なら女性)。
物語では、かぐや姫が「姫」として祭り上げられ、身分の高い殿方に自分の身をゆだねるしか生きる道がない、という悲しみと葛藤を描きながら、月に帰る時に、「人の営みの喜びと悲しみは、同じ場所で同時に生じてしまうもの」「それでも人として生きる喜びと悲しみを味わいながら暮らした痕跡が宝物である」ということを発見する。
まさに人生の苦しさと醍醐味を描いたところにとても惹かれました。

かぐや姫が、月から迎えに来た月人たちに「この世の苦しみをすべて忘れることができる衣」を着ることを促されると、“自分が地球で暮らした喜びも悲しみもすべて大事なもの”と言うところがめちゃめちゃ好きなんです。なんという人間賛歌!

こういう重たいテーマを、軽やかで抽象化した描線のアニメーションが美しく描き出す。
高畑監督のTV作品『赤毛のアン』オープニングにある、桜並木を走る馬車が浮いて桜吹雪の中を走っている描写も思い出し、まるで夢を見ているような気持ちになるのです。

『かぐや姫の物語』は、平安時代を舞台にした『竹取物語』を元にした作品。自然の野山を駆けまわるかぐや姫に心惹かれます

■高畑作品の「公平性」に救われる

2013年『かぐや姫の物語』は私の周りにいる女性クリエイターたちの心をつかみました。実は1991年公開『おもひでぽろぽろ』は、彼女たちの評判は必ずしも絶賛ではなかったのです。自分の地元では叶わない夢を抱いて上京した彼女たちは、結局、”農家のお嫁さん”になることを選んだ主人公に気持ちが乗せきれない、と語っていました。
けれども『かぐや姫』にはとても共感していました。「女性が社会から押しつけられた役割にNOを示している、アニメーションとしても大好きだけど、そういうところも好き」とお話してくれた方もいます。

私は、高畑監督の持つ「現実に置き換えるシミュレーション力」と「公平性」が好きなポイントなのだと思い至りました。
高畑監督には、特に決まった女性観、理想の女性像というのは無いように思います。『かぐや姫』も、「主人公が実際にこの立場に置かれたらどう動くか」「この結末に至るには、主人公がどういう立場でどう思ったか」を徹底的にシミュレーションした結果、あの物語に至ったのだと思います。

原作『竹取物語』を題材にする際に、決まっていることは、かぐや姫が公達からの求婚を断わったことと、月に帰ること。だから、どうしたらその結末にたどり着くかを考え抜いて、「かぐや姫が自分に与えられた社会的な役割に疲れて失望してしまった」という動機を埋め込んだのだと思います。

かぐや姫は平安女性として身分の高い男性に嫁ぐことが幸せだろうと押しつけられる「社会的役割」の強制に苦しんだけど、高畑監督は、平安時代に生きる男性、貴族、平民、様々な属性の人々すべてが社会的役割に悩み苦しむ様を描いています。かぐや姫の幼なじみ・捨丸も鶏を盗んで捕まり、持ち主の家来にフルボッコに遭っている。観客は捨丸を通じて、平安時代の民の貧しさ、生きていくために盗みもするしかない、男性に課せられた「一家を食わしていく責任の重さ」を感じ取るのです。

生きるのがしんどいのは、かぐや姫だけじゃない。“社会的属性のしんどさは誰にでもあるよ”って描いてくれている。
その公平性がとても嬉しく感じます。

『かぐや姫の物語』上映前の待ち時間。この日は『セロ弾きのゴーシュ』上映とご家族のご挨拶もあったそうです。

私の場合ですが、昔は(アニメに限らず)映像作品で描かれる女性描写にストレスを感じることもありました。”こういう女性、ホントにいるのかな?”と。
私は、女性は「女」に生まれるのではなく、「人間」という土台に女性か男性かの”オプション”が乗るだけだと思っています。

高畑作品では、登場人物の行動動機を、本人がこれまでどんな人生を送ってきたかをシミュレーションすることで描いています。
言い換えれば、どこまでも「個人の人生」を描いているから、「男性だから、女性だから」という視点から解き放たれているんです。
『かぐや姫の物語』であれば、かぐや姫が苦しんでいるのは「女性だけが持つ感情によって」ではない。自然の中で生きてきたのに「女性という役割の檻」に閉じ込められたことが苦しいんだ、と描いている。
捨丸もそうですが、「社会的役割の檻に閉じ込められる苦しみ」は、立場が違っても誰もが持つもの。その公平性に、心が救われる気持ちになりました。

私は高畑監督にはお会いしたことはありません。それでも少し縁を感じることはありました。
大学を卒業してほどなく上京した私は、アニメ制作会社で映画配給の営業を半年ほどしていたことがあります。『セロ弾きのゴーシュ』を作ったプロデューサーの会社です。映画『赤毛のアン』を劇場にかけてもらうため、山形市の老舗映画館に出張したこともありました。
そうした縁がありつつも、『かぐや姫』など高畑監督作品の魅力にたどり着くには長い時間がかかりました。

シネ・ウインドの館内を撮影させていただきました。古今東西の映画に関する書籍やパンフレット、資料がズラリ。

■あの時インタビューをしていれば…

私は高畑監督作品から少し距離を置いていた時期がありました。『かぐや姫の物語』を観るのが遅れたのもそのためです。

とある編集部(とある、ということにさせて下さい)では、アニメ誌やムックに掲載するために高畑監督からインタビューを取る仕事が多くありました。
誰もがうらやむ仕事……ではあるのですが、一時期は若い編集さんやライターさんが行って、しんどい思いをして帰ってくることがしばしばありました。

高畑監督は、曖昧なものは明確に、理屈に合わないことはちゃんと解明したい、そして腑に落ちないことに妥協をしない方です。
だからインタビューでは、質問に出てくる単語の意味を問い正されたり、間違いを指摘されたり、時には怒られる……ということが頻発していました。

一時期、高畑監督のインタビューに若い女子編集やライターが行くことがありました。編集部のトライとしては、若い人が監督にお話をうかがうことは勉強になる、そして女性の視点で書けば、女性読者も興味を持って映画の観客になってくれるかもしれない。
そんないい話の裏にはもうひとつ別の意図もありました。
“気難しい監督も、若い女性であればまだ手心を加えてくれるかもしれない“。

けれども、すべてに公正公平な監督にそんな手心があるわけはなかったのです。
涙を浮かべて帰社する子もいました。何人か交代になりました。結局そのトライはうまくいかず、ジブリ作品歴が長いベテランライターさんが担当することになりました。

実は当時、私も声をかけられた一人でした。けれど実際に行ってきた子から話を聞くと、自分にはとても荷が重すぎると思い、断ってしまったのです。

怒られても失敗しても、高畑監督に一度はお会いしておくべきだった!

今になって思うのです。

■『かぐや姫』に関わったプロデューサー陣

さて、そんな高畑監督に関する諸々を踏まえた上で、『かぐや姫の物語』トークショーのレポートにいきたいと思います。
【ご注意とお願い】私のレポートはその場でメモを取っただけで、音声録音をしていません。なので間違いも多々あるかと思います。気がついたらこっそりコメント欄でお知らせください。

左から高橋望さん(司会)、西村義明さん、櫻井大樹さん

登壇するのは、いずれも高畑監督と作品づくりなどで関わったプロデューサー陣です。
司会の高橋望さん(『おもひでぽろぽろ』『平成狸合戦ぽんぽこ』『ホーホケキョ となりの山田くん』制作、『海がきこえる』プロデューサー)。
西村義明さん(『かぐや姫の物語』『思い出のマーニー』『メアリと魔女の花』プロデューサー)
櫻井大樹さん(『かぐや姫の物語』脚本協力、元Netflixアニメ チーフ・プロデューサー)

トークショーでは、前段の説明として、『かぐや姫』には多くの制作・スタッフ陣が関わったけれども、長い年月がかかったこと、そして高畑監督と合わず(マイルド表現)担当を降りた方が多くいらっしゃったことのお話がまずありました。

その中で、高畑監督に制作を促し、スタッフ陣とも長い間調整役をして、8年に渡る『かぐや姫』の完成・公開に導いたのが西村義明さん(現スタジオポノック代表取締役)です。

このエピソードも傑…胸が詰まります。

高畑さんと話すためには、自宅に会いに行かなければいけない。会いに行くためには、電話をかけて時間をもらわなければいけない。そこで、K氏は電話をかけた。

  トゥルルルル。トゥルルルル。ガチャ。
  高畑さん「高畑です。」
  K氏「あっ、お世話になっております。スタジオジブリのKです。」

  すると高畑さん、しばしの沈黙の後に答えた。
  高畑さん「……あなたを“お世話”した記憶が、ないんですが。」

「かぐや制作日誌 “悲惨な日々” 西村義明」<悲惨日誌 第5回> お世話してない!
2013/4/19 00:00

ね、こういう感じなんですよ。

シネ・ウインドではこの日、古い資料を販売する蚤の市が開かれていました。映画を見に来たお客さんも、貴重なポスターやパンフレットに夢中。古い『アニメディア』を買ってレジに並んでいる人もいて、あーっと。私も見つけたかった…!(笑)

■トークショーのレポート

【楽しいやり取り】

櫻井さん:高畑さんのお宅にお邪魔したとき、高畑さんは本だらけの部屋でランニング姿で寝ていて、ムクッと起きたら、奥さんがパイナップルを切って出してくださって。
パイナップルか……これも高畑さんに試されているのかなと思いました。ここは『おもひでぽろぽろ』みたいにパイナップルを手に取って「いい匂い~」って言わなきゃいけないのかなと(笑)。

西村さん:監督は、よく、ふっとした時に問いかけるんですよ。
僕も高畑さんと一緒に歩いている時に聞かれたんですよ。神社で「この木が何の木か、わかりますか?」。言葉に厳密な方だから、すごく悩むんです。(杉かな……でももし違ったら何か言われるだろうな……)とめちゃくちゃ内心で悩んでいたら
「これはね、杉です」と(笑)。
高畑さんにはいつも問われている気持ちになるんですね。

【テーマ別発言】※ここからはテーマごとに発言を並べていきます。

・西村:高畑さんにとって、プロデューサーは、(自分の思考の)壁打ち役なんですよ。だから僕は壁代わりになる。高畑さんには相手の意見はあんまり必要ないんですよね。埋まっている原石を、掘って取り出すのが面白い。原石を掘って取り出して削っていく作業の手伝いをするのがプロデューサーの仕事なんです。

⚫『かぐや姫』高畑監督が作る気になるまで
・高橋(司会):スタジオジブリでは『ホーホケキョ となりの山田くん』から『かぐや姫の物語』にはどういう経緯で気運が高まったんですか?

西村:ジブリで気運が……気運が生まれたことは一回もなかったです(苦笑)。(徳間書店社長の)徳間康快さんが亡くなって、日本テレビの氏家齊一郎さんが、「高畑監督にはいいものを作ってもらいたい、お金をかけても作ってくれればいい」と(氏家さんは『山田くん』の大ファン)。もう、パトロンですね。
でも高畑さんは、ほっといても作品を作ってくれる人でもないんですね。
鈴木さんだけでは、高畑さんの相手が物理的にも精神的にも大変になってしまって、それで「もう一人連れてけ」ということで僕が呼ばれた。僕は高畑作品のファンで、作品は観たいけど、関わりたいとかは一切なかった。
 
・高橋(司会):高畑作品は、企画!制作!公開!全部が大変なんです!時間もかかる。それなのに西村さんは高畑、宮﨑と3作品も担当している。本当にすごいですよ! 西村さん、本当にすごいんですよ!(司会者としてというよりも、ここはご本人の“心の叫び”になっていて感動しました。)
 
・西村:僕は『火垂るの墓』は100回くらい観ている高畑作品のファンです。岸本(卓)くんと一緒に高畑さんの家に通って、「映画作ってください」「まず脚本をお願いします」と通い続けた。週に6日。日曜も行く。昼飯と夕飯を高畑さんの奥さんが作ってくださって、僕の身体は高畑さんの奥さんのご飯によってできているんです。
 
・西村 高畑監督に言われました。「あなたたちが作りたいのであって、僕が作りたいわけじゃない」
 
・西村:岸本さん、初めての電話も緊張して「お世話になっております」と言ったら、高畑監督が「あなたをお世話した覚えはありません」と返ってくるんです(この記事で引用したアニメスタイルさんのインタビューにもあったエピソード)
 
・櫻井:僕も昼夜、高畑さんの奥さんのご飯で育ちました(笑)。朝行って、夜の10時に帰る。
僕も『かぐや姫』を一年半くらいお手伝いしたんだけど、それを2年半やった後も、まだプロットすらない! ほんとにどうやって……。

・高橋:本当にどうやって……監督が本腰を入れて「やります」といったきっかけは……
 
・西村:会社からのプレッシャーもありました。岸本さんも焦っていて、これでだめだったら辞める、と言っていて。みんな高畑監督との仕事がなかなか進まなくて、それで辞めていくんです。
僕は高畑さんにお話ししました。その時、高畑さんはご自宅で涅槃のポーズで(腕枕をして横になっている)TVを見ていました。
「話したいことがあります。僕は映画を作りたいんです。アニメーション作家で世界一なら宮﨑駿である。でも世界一のアニメーション“監督”は高畑勲であると思っています。映画監督、やってください」
すると高畑さんがムクッと起き上がって、「わかりました、やりますよ」と。
……でも、その時から何も変わらなかった(笑)。結局6年くらいかかった。

修羅場をくぐってきたお三方。にこやかに話してるけど気が遠くなるエピソードが続出…!!

⚫田辺修さん(『かぐや姫』人物造形・作画設計)に描いてもらうまで
・西村:高畑さんが「田辺修さんがやらないなら、やらない」と言ったくらい、こだわりがあった。(田辺修さん…『となりの山田くん』コンテ、演出、原画、着彩ボード、『かぐや姫』人物造形・作画設計)
田辺さんはリアルな絵でではないのにリアリティがあるというのか、写実的ではないのに感じが出ているというのが日本一うまい方。
でも田辺さんも高畑さんも変人で。
田辺さんもほんとに描かないんですよ。1年で6枚だったこともありました。4スタの田辺さんの机に行くと、田辺さんはずっと座っている。ずっと座っているけど描いていない。でも脳では考えているんです。

・櫻井:田辺さんもなんとか描き始めて、赤ちゃんが頭をよじ登るシーンを見て、「進んでる!」と思ったんだけど、絵を見た高畑さんが怒りだした。「アニメーターは集団作業です。こんなにうまいと他の人が書けないでしょう」って。田辺さんが耳まで真っ赤にして、帰りの車で「もう描きませんよ」となっちゃって。

・(西村さんか櫻井さんかメモ取れず)高畑監督、ほんとにタイミングうまいんですよ。同じ絵を使っているのに、タイムシートを直すだけで全然違う巧さになる。

⚫どうやって「完成」までこぎつけた?
・高橋:6年かけてようやく完成させられた理由は? どういう努力をされたんですか?
西村:努力じゃないですね。あきらめ。若いときは自分の仕事に時間には限りがあると思い焦る。でも監督は、完成させなくていいと思ってる。だから、僕が人生を諦めればいいんだ、と思った。そして諦めようと思った時から「おっしゃ、作ろう」という気になった。

・西村:高畑監督は怒る。それで辞めた人も多い。でも、僕がブレたことを言っても、「僕が高畑さんを尊敬している」と高畑さんはわかってくれている。だから怒られてもこわくないんです。大きな尊敬があるから。「ふざけんなこのくそじじい」と思うことと「尊敬している」は同居できる感情。

・櫻井:ここまで付き合うんだと。西村さんは素地を作ってくれた。思いついたことを描くのがクリエイターじゃない。僕が書いた脚本を高畑監督に見せたら、目が(わずか)2行目で止まっていたことがあった。「竹の節が光って割ったら姫が入っている。なんでこんなことがあるんですか?」と聞くんです。
平安時代の竹はもっと細かった。監督は竹の本に関してだけでもものすごい量の蔵書を持っていて読んでいる。
こんなに細い竹に人は入らない。それで、竹の子の薄皮をむくようにしたら大きさ的にウソにならない。そういうところも考え抜く。
まさに高畑監督が言ってた「原作のままに描いてはいけない」https://niewmedia.com/news/035822/ (冒頭トークより)ですね。

⚫高畑監督に対して、説得の極意
・西村:2013年に『風立ちぬ』と同時公開の予定になっていたのに、高畑さんは進行に全然関心がない。スタッフからすると、いつ終わるのかがわからない。ずっとそれをやっていると、現場が崩壊していくんですよ。スタッフがボロボロ抜けていく。
だからスタッフが「あ、もうすぐ終わるんだ」って思ってくれるように、プロデューサーとしては「完成するんだ」とウソでも言ってあげなきゃいけない。でも高畑監督は「でも、できあがらないですよ」と人ごとのように言う。もう人じゃない!【ここは書けない言葉を使用】ですね! 
でも高畑監督は合理主義だから、僕は「このスタッフが離れると困りますよね?」「監督に僕が『プロデューサーとはどんな仕事ですか?』と聞いた時、監督は『決める仕事だ』と答えましたよね。では僕が決めるべきですね」と言いました。
(理詰めの人には、本人が言った理屈を逆手に取る。これが説得の極意だと見えて、震えました……)

高畑監督のことが(大変だけど)大好きなお三方。深刻な現場の状況もユーモラスにお話ししてくださいました。

⚫高畑監督から受け取ったもの
・高橋:高畑さんと、高畑作品とはなんだったのか? 次の世代にどうバトンタッチできるのか?
・櫻井:高畑監督に接したら、好きにならざるを得ない。引力圏にあるというか地場を感じます。接した前と後で違う人間になっているくらい。

・櫻井:高畑監督は宮崎監督と東映動画時代からずっと一緒に作っていた時代があって、その後、それぞれ違う方向に行き、高畑監督も宮﨑さんから離れるような作風になった。宮﨑さんもよりファンタジックに、高畑さんはリアルに。そんな中で最後に『かぐや姫』はもう一度ファンタジーに戻ってきた。宮﨑さんは『風立ちぬ』でリアルにいきました
(櫻井さんの分析眼すごいです!)

・高橋:高畑監督から引き継いだものは? 
櫻井:高畑さん作品に立ち向かう姿勢ですね。作りたいから作る、ではない。寝ても覚めてもずーっと仕事をしている。

西村:高畑さんが生きていた時代は、「映画」は社会を変革していくものなんだと信じられていた時代。でも時代が進むにつれて社会と芸術は離れていき、アニメは快楽と向き合えばいいというふうになっていった。
アニメは楽しい、面白いのところに行くけれども、「高畑アニメ」はメッセージを隠し持っているんだ、と。
僕は脳内に、高畑さんのAIを、チャットGTPみたいなものを持っていて、高畑さんと会話をし続けている。「これは高畑さんだったらどう思うのか」。
今だって、グローバル社会の中で、監督が若い頃に通ってきた1968年くらいに起きたことが起こりうる世界情勢になっている。
(注:1968年を調べたら、アメリカのベトナム戦争の反戦デモ、キング牧師やケネディ大統領の暗殺、フランスの大規模デモなどなど歴史の転換点でした。日本でも学生運動があり、若者が映画で社会が変革できると信じた時代で、私が最初に就職した独立系映画会社の方からもその空気は感じていました)

それでも、作り手の本能を持った作品が今後も生まれてくるはず。
新潟のアニメ映画祭を続けていくことに意味がある。ロシア、ブラジルの作家なんかだと、「今これを伝えねばならぬ」思いが強くて、日本とは(持っている危機感が)違いすぎる。けれども高畑作品みたいな作品は、今後も絶対生まれてくる。ひとりの映画人が作ったものにいろんな作家が影響を受けて新しい作品が生まれてくる。高畑イズムは残っていく。
鈴木さんが僕に言ってくれたのは「宮﨑作品は時代とともにある、高畑作品は普遍的。100年後にも評価される」ということ。

まだまだお話はありましたが、レポートはこれくらいで。

『かぐや姫』トークショーのお話は、以下の記事にも掲載されています。媒体と記者さんに感謝です!

トークショーと『かぐや姫』本編上映を終えてシネ・ウィンドを出たのですが、現世に帰ってくるにはちょっと時間がかかりました。

おそろしいのは、最初から「8年間かかります」と言われたわけではなく、「いつ終わるかわからない」ものを8年間、「どうしたら完成するんだろう」と模索しながら走り続けたということです。なんというか常軌を逸したものづくりですね。
また、今はお三方ともそれぞれご自身の道を歩み、キャリアを築いていらっしゃるので、アニメづくりは人づくりでもあると感じました。

私にとっては受け取ったお話がすべてです。
受け取る方が受け取って、次の世代の方にバトンタッチしてくださればと思います。

そのバトン、重すぎるんですけど……!!

シネ・ウインドさんの『かぐや姫』上映とトークが行なわれたシアター。プレス席はないので、私も公式チケット販売開始とともに席を取りました。ここに集った70人(満席)も、高畑監督と生で接したプロデューサー陣の生々しいお話を聞いて、様々な思いが去来したと思います。


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