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土は種でできている①

種は土の隙間を見つけるように、ひっそりと便乗し、その隣人にもよるが、運が良ければ生えてくる。その運や淘汰には、秩序や混沌とも言えないことがきっと起きているに違いないと思うときに、人が育ててきた秩序のある畑を中央線から見かけた。
そこは確かな整備・分類と同時に収穫への期待がふくらんでいるような気がして、必要に応じた生活の選択を、効率的な技術や、数字をつかいこなした幾何学にあふれたようにみえる、あるいは見えているにすぎないことを、わたしは確認した。畑の周りには秒刻みの電車と分刻みの仕事とが一瞬と一生をかけているように振る舞う人間が、不可避に停滞している。私たちにはもしかしたら、局所的な集中と刺激を促してきたことがあった、そういう世界にかつて、私は居たのかもしれないし、流されていたのかもしれない。
私たちの畑は耕されていたのか。畑の肉、は血と骨を抱いていたか。身体は感情に寛容でいられたか。肉はあるとき誤ったことで醸成をあらわにすることもある。とにかく、そのことは階段をゆっくりおりることで、歩行のリズムを止めないことに。
つづく。

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