リッツカールトン京都に泊まって再認識した、貧困者と富裕層の習性の違い
ワタナベさんです。
【見られ方が変われば人生が変わる】
をテーマに、ホテルマン時代に300人以上の億万長者のお客様から教わったブランディングをデータ化し、集客法に体系化して10,000人以上の店舗経営者や個人事業主に提供しています。
先日は関西最高のホテルの一つ
「リッツカールトン京都」
に宿泊してきました。
理由は
「1回どんなものか泊まってみたかった」
だけです(笑)
なかなか広々としたお部屋でベッドも大きく、バルコニーならぬ日本庭園が各部屋にありその向こうに鴨川があるお部屋で、ここでしか味わえない造りと高級感でした。
お値段はもちろんなかなか高いのですが、ホテル内は宿泊客でいっぱい❗️
やっぱりこういうところにこういう金額を使える人って、たくさんいるんだなと思います。
そんな人たちを今回見て、先日とあるメディアでみたデータを思い出しました。
それは
「貧困者ほど自己規制ルールが多い」
というものでした。
要は貧困者ほど
「こうあるべき」
という自己規制ルールが多いというのです。
例えば
「他人や国に頼ってはいけない」
とこだわり、生活保護を受ければ楽になるのに、そろまで堕ちたくないと言って拒否をする。
「仕事はイメージがいいものがいい」
とこだわり、お金が必要な窮地に追い込まれても介護や工事の仕事など、イメージが比較的いい低賃金労働を選んでしまう。
介護や工事を否定しているのではなく、お金がいる窮地に立っているのにイメージ中心で仕事を選ぶという意味ですよ。
そしていざ困ったら、人に言えない、頼るのはかっこ悪いと隠れながら風俗などに走ったり、騙して人の売り上げをかすめ取るような仕事をし出したり、違法なものをうりさばいたりし出してしまう・・・。
だというデータが出ているというのです。
そしてこうなった理由が、親や友人や仕事場の人や環境からの影響であることばかりで
「生まれつきな人は1人もいない」
ということらしいです。
これを見て思ったのが
「確かにこの逆が成功している人だな」
ということなんです。
一方、私の周りのリッチな人達は
「自己規制」
なんてありません。
ブレーキなんてなくて、やりたいと思ったことを何でもやる人が多いです。
世間にこう思われるのではないか
こんなことを言われるのではないか
自分はまだまだこうあるべきではないだろうか
なんてことは全く気にしていません。
犯罪じゃなく、人として間違ってないもの以外は、面白そうなことはどんどんやります。
このホテル泊まってみたいな
こんなところ行ってみたいな
と思ったらどんどんいくんです。
でもうまくいっていない人ほど、自分のお金を理由にして自己規制を作り
「これくらいの給料だから、こんなところに泊まるのは早いでしょ」
「こういうお店いくなら、これくらいの値段のお店に複数回行くべきでしょう」
なんてことを言い出して諦める。
こういうことを言うと
「でもそれはお金があるからできるんじゃない」
と出逢う人でいう人もいます。
でもそれは大きな間違いで「だからその人はお金がない」というのを断言できます。
お金があるからできるのではなく
「それをするために、どうしたらそのためのお金を作れるのか」
を考えて生きてきたから、それをやるためのお金に恵まれる人になるのです。
その人がそれをできてしまった、表面的な結果だけを見て自分を照らし合わせると、そういう発想になってしまうのかもですね。
ということで、何かにうまくいってる人、リッチな人などなどには
「自己規制」
というものがないなというのを、今回リッツカールトン京都に泊まって泊まっているたくさんの人たちを見て、改めて理論的に再認識した1日でした。
1泊15万円20万円の宿泊費は、作ろうと思ったらある金額でしょ?
普段からしたら高くても、今財布になくても、それが欲しいと思ったら、作れる金額でしょ?
では何かを欲しいと思ったら、どうしたら手に入るかを考えましょう。
そこまでしてするべきか・・・
みたいなことを金額と自分の収入、所持金と照らし合わせて考え出したらそれは
「自己規制をしている状態」
です。
自己規制ルールがいろあるのであれば、今一度クリアにすることをお勧めします。
自分で無理な人は、自己規制がない人に是非クリアにしてもらってください。
いない人は是非お気軽にお尋ねください。
自分の毎日の習慣やルーティンは、より良い人生にするためにあるはずなのに、間違ったルールで貧困になったら本末転倒ですもんね。