任天堂ハード不要論
任天堂ハードは、本当に必要なのだろうか。
個人的に任天堂のハードはスーパーファミコンしか触ったことがない。ファミコンを第一世代とすると、プレステ、64の第三世代から特に顕著なのが、
任天堂ハードには任天堂ソフトしか出ない
ということではないだろうか。スマブラ、マリオ、最近ならスプラトゥーン・・・そこらへんくらいだろうか。現状、専用ソフトという点では充実しているかもしれない。最近はいろんなソフトがスイッチ対応へ移行しており、かなりの数のソフトが、数だけみればそれなりに揃ってきたと言えよう。
しかし、スイッチの独特な操作形態である「携帯機にもなる」という機能だが、果たしてこれが成功しているのか、というのが疑問だったのだ。別に携帯機に変身しなくても、環境さえ整えれば据え置き機でも寝ころびながらできるだろうし。
スイッチ独特の機能を生かしたゲーム、というのがあまりに少ない、というか全くない以上、もう任天堂はハード開発を放棄した方がいいのではないか。それは任天堂だけでなく、ゲーム業界全体にとってもいいのではないか、と考える。
まず、日本のゲーム業界の現状を簡単に振り返っていきたい。日本のゲーム市場は、PSでピークを迎え、PS2あたりから徐々に衰退の兆しを見せていた。しかし体感で一番の衰退期はPS3時代だろうか。このときに「ユーザーのPS2からPS3への移行」がうまくいかなかったのが、一番の問題だった。PS2までの覇権に胡坐をかいたのか、開発しづらい仕様、高いロイヤリティなどが原因でキラーソフトがでなかった。また、ゲーム全盛期に幼少期過ごしたユーザーたちもこの頃になると就職を迎えていく。就職すると時間泥棒のゲームという趣味から卒業していくものが多数でた。このことによって、日本からゲーマー、特にコア層が大量に離脱してしまった。PS3もいろんな手を打ったが、時すでに遅し。また、この頃からコアゲーマーはPSやXbox、ライト層は任天堂ハード、という住みわけができた。ゲームのために二台もハードを買う人はそうそういない。これによってライト層とコア層の住みわけができてしまった。
住みわけができる――一見いいことのように思えるが、このことによってライト層がコア層へとシフトすることがなくなった。ただ単に狭まりゆくゲーム業界というパイを、任天堂とソニーが取り合うことになってしまった。
ここに台頭してきたのがスマホである。携帯ゲームはガラケー時代からあったが、スマホによって一気にスマホゲーというジャンルが出現した。また、PCゲームでもブラウザゲームやいわゆるネトゲというのがさらに興隆してきた。これからゲームをやろうという若者にとって、ハードだけで二台あってどっちを買っていいか分からないだろう。それならスマホゲーでいい、となってしまうのも分からないではない。(スマホゲーの市場が完全にライト層と一致するか、というとそうではないが、それでも重なり合う部分はあると思う)
コア層はPCゲームもあるし、そうなるとゲーム専用機を買ってまでさらにゲームがしたいか、ということになってくる。ひょっとすると、自分もこのようにPCゲーマーになっていたかもしれない。たまたま好きなゲームが「ゴッド・オブ・ウォー」だったので、PS3を買って、それ以降PS機を使っているが、GOWがなければCS機ゲーマーから完全に足を洗ってPCゲーマーなっていたかもしれない。
話がそれたが、ハードが分かれていることでライト層とコア層の分断が発生、そこにスマホ・タブレット、PCといったハード面の発達、ネットの発達によってさらにゲーマー人口が減ってしまった。
任天堂もハードで稼げる時代ではなくなっていて、無理してハード開発を続けている状況だ。それならいっそハードを捨てて、ソフトに注力した方が、任天堂の得意なソフト面の資産も生かせると思う。また、任天堂ハードで発売されるソフトも、ほとんどの操作方法は結局コントローラーで行うため、そこまで独自ハードにこだわる理由は薄い。(もちろん、今後任天堂が独自的かつ画期的な操作系統を持つハードを投入すれば話は別だが)
任天堂ハードが消えれば、ハードはPSとXboxの二つになる。もう、それで十分ではなかろうか。仮にPSに任天堂ソフトが来れば、いままで迷っていたハード購入もスムーズになる。また、一つのハードの中でライトなゲームもあれば、コアなゲームもあるので、ライト層→コア層という流れも生じる可能性がある。人の好みは分からないもので、一応ハードを所持していれば、他のゲームにも手が出てしまうものだ。ゲームソフトなんて中古でよければかなり安く手に入る。ある意味で、ハードは覇権ハード一機だけ、というのが一番いい状況なのかもしれない。
沈没していくゲーム業界。もう企業が個々の利益を考える状況ではなく、ユーザーのことを見据えて、全体で当たっていかないとかなり厳しいと思う。