スニーカーマニアになった少年
スニーカーを買いました。
新しいスニーカーを買いました。
世の中ではなんてことはないありふれた話題のようなんですが。
僕にとってはこれがまたとんでもない話題なんです。
幼少期から病気のせいで足部の変形がありました。内反凹足変形と言って、足首から指先にかけてグニャリとねじれていたんです。麻痺した筋肉で懸命に歩こうとすればするほど、変形は進み筋は委縮し痛みを伴って全然歩けない。そんな子どもでした。
猛烈な変形に対して、理学療法士によるイターイイターイリハビリがあり、夜間に矯正するべくガッチガチの矯正装具があり、小学校低学年ではとうとう麻痺した筋肉をつなぎ直す手術(後脛骨筋腱移行術)を受けることとなりました。もう痛いことの連続で、手術後にはさらにイターイイターイガッチガチでかっこ悪い『オーダーメイド靴』なんてものにたどり着いてしまいました。
めちゃめちゃ高価なくせに、かっこよさなんてみじんもない…質実剛健のオーダーメイド矯正靴。職人技です。
一方で、クラスメイトがさっそうと履きこなすカラフルでかっこいいスニーカーの数々は、悲しいかな全く自分の足には合わないのでした。
中学生になり、成長期真っただ中の少年の足はさらに変形が進みました。矯正靴の中で当たり散らして傷だらけになり、歩けないほどの激痛とともに通学を続けていました。見るに見かねた整形外科医から「変形がひどすぎるし、もう足首固定するか?」の提案。足首あたりの骨たちを…削って集めて固定釘でひとかたまりにしてグニャリと変形しないようにする大手術(三関節固定術)の提案でした。
即決でした。
手術後。誰が見ても異質だった足首はびっくりするほどスマートになり、関節が固定されたことで変形が進行することもなく痛みもなく格段に歩きやすくなったのです。
そして何よりも、あのイターイイターイガッチガチでかっこ悪い『オーダーメイド靴』から卒業を迎えることになったのです!
もう痛くない、傷つかなくてもいい、そして憧れのかっこいいスニーカーが履ける!
リハビリを継続し、念願のカラフルでかっこいいスニーカーを買うことができました。
夢のようでした。そして、少年はスニーカーマニアとして覚醒しました。
それから30年近く。「履き心地を検証する」という大義名分で収集し足を通してきたスニーカーは130足を超えました。いったいいくらつぎ込んだのでしょうか、今ではもうわけ分かりません。
そして近年。30年以上前の大手術の経過は順調ではありましたが、少しずつ麻痺が進み脚全体の筋力が著しく低下することに。それに伴って、オーダーメイド足底板(インソール)やカーボン製短下肢装具を導入するに至りました。
結果として、現在の脚の状態と足底版&装具との相性を勘案すると、わずかなスニーカーだけを残して悲しいお別れをすることになってしまったのでした。あれほど履き心地を検証してきたスニーカーたちは、いまではほんの5足程度になったのです。
そして、冒頭にもどります。
スニーカーを買いました。
新しいスニーカーを買いました。
現在の脚の状態と足底版&装具との相性も確認したうえでスニーカーを買いました。
めぐり合うまでに労力と時間と勇気の必要な作業でした。
そして脚が不自由なものにとって、理想のスニーカーに出会えることはとっても稀有なことなのでした。
足元を支えてくれるかっこいい新しいスニーカーを買いました。
「脚が悪かったからスニーカーマニアになった少年」のお話でした。
*ダーヤマ:4歳頃からシャルコー・マリー・トゥース病による四肢遠位や呼吸筋の進行性麻痺あり。2児の父。作業療法士。130足以上の履き心地を検証してきたスニーカーマニア。