「家族に乾杯」、の受け入れがたさ

3月6日と13日の2回に分けて、「家族に乾杯」(NHK総合)は「震災12年…小平奈緒が宮城県南三陸町でワカメ家族と出会い旅」を放送しました。
私は、この番組を欠かさず見ているわけではなく、ゲストに関心がある時のみ、ごくたまに見るのですが、シナリオのない「ぶっつけ本番旅」だけに、時にやや強引な「ぶっつけ」に耐えられない時があります。
この回に興味を持ったのは、もちろん小平奈緒さんの人柄の魅力から、であり、アスリートの顔としてではない「素の表情」を見てみたいと思ったからです。
6日の放送は、いきなり有名人の畠山重篤さんが登場したり、絵に書いたようなすばらしい幼稚園と世代の違う教諭とその家族の話と、「ほんとはシナリオあるだろ」と言いたくなるような展開で、「ああ、やはり人柄の良さが縁を引きつけるのだな」と見ていました。

次回放送、13日の月曜日の2日前が、3月11日、12年前に大震災のあった日です。
私は、11日の2時46分には、コンサートホールの中でコンサート開演を待つ人達と一緒に1分間の黙祷を捧げ、さすがに静かに涙しました。ほんとうに、たくさんの人生を変えてしまう大事件でしたので。
そして、その日の夜から次の日の日曜日にかけて、飯館から南相馬、そして浪江、津島と、福島の津波と原発事故「被災地」巡りをして、12年という時を、自分なりに体感してきました。

「家族に乾杯」の13日の放送は、同時刻にNHKFMで流れていた「祈り」の合唱をモチーフとした「ベスト・オブクラシック」の放送を聞いていたので、「家族に乾杯」は録画して後ほど見ました。

ところが、後で見たこの日の放送は、私にとって苦痛でした。初回は楽しかったのに。

震災の記憶を、お笑いタレントによって「バラエティ化」していることが、見ていて許せない気持ちになってきました。「津波のときは・・・」「津波のときは・・・」番組の構成として、あえて12年前の津波の記憶を呼び覚ましたいという意図が見え見えで、録画だったので、30秒飛ばしでダイジェスト的に画面を見、これは単に、「震災をネタにしたバラエティ番組じゃないのか」という疑問をいだきました。受け入れられませんでした。

震災から12年ということで、震災をテーマにした番組がいくつか放送されていましたが、私が秀逸だと思ったのは、ETV特集「震災から12年 5400人の”被災地からの声”を掘る」でした。この番組は、ほぼ泣きっぱなしで見ていました。五百旗頭さんのインタビューでは泣けませんが。

その、「被災地からの声」における丁寧な、ある意味「無言の」取材を見た後で、「家族に乾杯」の中でいきなり発せられる「津波のときは・・」という言葉を聞くと、有名な芸人が「土足で」被災者の心の中に入り込んで、短い時間の中で「幸せ」だけを掘り出して足早に帰っていく、みたいな、いわゆる「マスコミのいやらしさ」を感じてしまいました。個人の感想です。

例えば私が、そのアポ無しロケに遭遇し、地震の時のことを聞きたいと言われても、私にはそれを笑い話につなげていくような寛容さはありません。しかも、あからさまに大きな番組とわかる大勢のスタッフ。

そもそも基本的なところで私は、お笑い芸人と、それを中心に作っているテレビのバラエティー番組が好きではありません。そういう意味では、「見なくてもいい人」が、小平奈緒さんに惹かれて、たまたま「家族に乾杯」を見て、勝手に嫌な気分になって、それをわざわざnoteしているわけで、「自分こそいやらしいヤツ」という話です。

だとしても、このタイミングで、南三陸町で大所帯のロケ隊が有名人を連れ回してバラエティ番組を作ったということに、一言くぎを刺したくなりました。

東京が大きな予算とスタッフで作る人気番組が、必ずしも「震災」を正しく伝え切れず(編集方針)、少ないスタッフと予算でつくる「声」を拾うローカル番組のほうが、人の心に寄り添えるように思います。
同じように「声」を聞いても中身が全然違うし、むしろ無言の「間」があったほうが、心を揺り動かす「芯」を感じる、というのは、私だけではないでしょう。
ドキュメンタリーとバラエティの違いでしょうか。
目指しているのは、視聴率? 心の拠り所? 

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